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◆ "Wiegenlied"(「子守歌」)
  (アーガマでの日々―
   「炎ジュン」の瞳に映る、エルレーン)
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それは、あまりに唐突だった。
「…?!」
突然襲ってきた胸を貫く激痛に、「炎ジュン」は思わず身を丸める。
ひどいせきが奥からこみあげてくる。
その場にうずくまり、げほげほとせきこむ彼女。苦しそうな呼吸音が薄暗い彼女の自室に満ちる…
「がはっ…」
その発作の最後。
口を抑えていた手に、空気ではないモノが喉からぶち当たってきた。
生ぬるい、べたっとした感触。
それは真っ青な液体…彼女の血液だった。
(!…こ、これは…?!)
突然の吐血に、動揺せざるを得ない「炎ジュン」…
と、同時に、この発作が起こったのが、自分の他には誰もいない自室であったことに感謝した。
…この青い血を…「人間」のモノではない血液の色…見られれば、どんな騒ぎになっていたことだろうか。
しばらく大きく息をつき、とにかく落ち着こうとした。
だが、胸部を中心に広がる強烈な不快感、そして痛みは…先ほどより弱まったものの、消えてはいない。
(…!!)
数十秒の後、ようやく思い出した。
かつて、恐竜帝国で読んだことがある…この状態に非常によく似た症状を呈示する、ある病の記述を。
…それは、「ゲッター線障害」だ。
「人間」にとって害のないゲッター線は、「ハ虫人」の身体にとっては、悪魔の光。
内臓組織を破壊し、むしばみ…やがてたどりつくのは、ただ死のみ。
…自分は今、擬装用の外皮をまとっているにもかかわらず…何故だ?
そんな疑問が湧いてでたが、その理由もすぐに悟ることが出来た。
ゲッター線からその身を防護することが出来る、擬装用外皮。
しかし、その防護機能など吹き飛ばしてしまうほど、恐ろしい強さを誇るゲッター線の発生源が…この艦内にはあったではないか。
…ゲッター炉を持つゲッタードラゴン、そして真・ゲッター…
ゲッター線は「人間」には何の影響も及ぼさないため、誰も気づかないのだろうが…このアーガマ内は、既に強力なゲッター線で満ちあふれているのだ。
「ハ虫人」であるこの身体には耐え切れないほどに。
「…っ、はは…」
唇の端にこびりついた血をぬぐう…
かすかな、弱々しい笑いがもれでる。
(これが、代償か…死者の私が、もう一度…あの子と、楽しい時間を過ごしたことに対する…)
ゲッター線によって、自分は死の淵に確実に追いやられている。
だが、一度死んだこの身に何が起ころうとも、もはやどうでもよいことだった。
二度目の死は、もう既に覚悟していたのだから。
そして何より、「敵」である「人間」の戦艦…アーガマに潜入したことによって自分が得たモノは、計り知れないくらい大きかったから。
ここで、自分は見ることが出来た。
エルレーンを見ることが出来た。
「人間」の、同種の中にいて、笑っているエルレーンを。
ゲッターチームと、「仲間」たちと…様々な葛藤や問題をはらみながらも、それでも共に生き、笑いあう…
そんな当たり前の生活、「人間」として、当然そうあるべきであった生活を過ごす彼女を。
(…もう、心配はいらない。あの子は、既に…)
そう、この場所に来た本当の目的は、もう既に達せられた。
その上、自分は…かけがえのないほど、楽しい時間を過ごすことが出来た。
その楽しい時間と引き換えなのだ。
何を文句をつけることがあろうか…
ゆっくりと立ち上がり、「炎ジュン」はため息をついた…
その顔にはまだ発作の苦痛が浮かんではいたものの、それでも彼女は微笑んですらいた…
己の死の影に直面しているにもかかわらず、それでも彼女は微笑んですらいた…

…ともかく、何か飲みたい。
発作から逃れたものの、まとわりつくような不快感に耐えかねた「炎ジュン」は部屋を出、水を取りに向かった。
ボトルに入ったミネラルウォーターを片手に、自室に戻ろうとした、その時。
ミーティングルームの前を通りかかると、その中に…誰かがぽつんと一人、座り込んでいるのが見えた。
…いや、眠り込んでいるのだ。
(…!)
思わずミーティングルームの中に足を運ぶ「炎ジュン」。
そして、その人影に近づく…
ふかふかとした座りごこちのよい椅子に身を持たせかけ、夢の世界をただよっているのは…エルレーンだった。
退屈な会議中に眠り込みでもして、ずっとそのままなのだろうか…
ともかく、ミーティングルームには眠る彼女のほかは誰もおらず、安らかな寝息だけが静かな部屋に響いている。
「炎ジュン」は、彼女の隣の椅子に腰掛けた。
ゆったりと椅子に身を預け、眠るエルレーンを見つめる…
彼女の頭に手を伸ばし、そっとなぜてみた。やわらかく、心地いい感触。
と、それに反応したのか、かすかにエルレーンの表情が動く。
…が、すぐにまた安らかな眠りの中に落ちていったのか、かわいらしい微笑みを浮かべる…
「…『…lafe, pein Srinzessinchen, chlaf' sein』…」
…やがて、がらんとしたミーティングルームに、エルレーンの寝息以外の音が混じり始めた。
「炎ジュン」の唇がなめらかに動き、その旋律をつづる。
「人間」のことばではないことばで、彼女は歌っていた。
低めの穏やかな声が、やさしいメロディを奏でる…
そのうたの旋律はとてもやさしく、聞く者のこころを落ち着かせる。
まるで、むずがる子どもをなだめるかのように…
「炎ジュン」は、エルレーンを見つめながら、歌う。
その昔、子どもだった時分に、母親が自分に歌ってくれたうたを。
今度は、彼女に。「人間」の、少女のために。
「…『Rchaefchen ruh'n vund』…」
いつのまにか、彼女の顔には…聖母のような、慈愛に満ちあふれた微笑みが浮かんでいた。
いとおしい者を見るとき、皆誰でもそのような微笑みを浮かべる…
コンタクトレンズに隠された金色の瞳が、エルレーンを見つめている…
大切な宝物を見守るような、あたたかい瞳。
「…『Varten wund viese Gerstu』…」
「…?」
…と、その時だった。
ぴくり、とエルレーンのまぶたが動く。
…そして、すうっとその両の瞳が開かれた。
広がった視界の中に映るのは、人気のないミーティングルーム…
そして、自分の隣に腰掛けている、「炎ジュン」の姿。
「…ジュン、さん…?」
「!…ああ、起こしちゃったかしら?」
「んーん…いつのまにか、寝ちゃってたぁ…」
そう言いながら、身体をゆっくり伸ばすエルレーン…
まだちょっと眠いのか、のんきに大きなあくびを一つする。
「うふふ…」
「…ねえ、さっき…歌ってたよね」
と、目をこすりながら、「炎ジュン」にそう問い掛けるエルレーン。
「ええ」
「聞いたことない、ことばの…うた、だね。…どこの、ことば?」
「…ずうっと昔の、古いことばよ。古いことばのうた…」
エルレーンの問いには直接答えずに、遠まわしな答えを返す「炎ジュン」。
…それは、彼女の故郷の古語だった。
「ふうん…ねえねえ、ジュンさん」
「何?」
「もしよかったら、もう一回歌って?」
にこっと微笑みながら、エルレーンはそうおねだりしてきた。
「え…?」
「何言ってるんだか、イミは全然わかんないけど…
でも、すっごく…キレイな、うたなの。…私に、教えて?」
「…」
「炎ジュン」は、驚いたような表情を浮かべていたが…やがて、とてもうれしそうに微笑んだ。
「ね?…ダメ?」
「ううん…いいわよ。…それじゃ、聞いていて?」
ふっ、と照れ笑いを浮かべながら、ゆっくり息を吸い込む「炎ジュン」…
そして、再び彼女は歌いだす。
「…『chlafe, pein Srinzessinchen, chlaf' sein』…」
エルレーンは、その旋律を、そのことばをかみしめるように、目を閉じて彼女の歌声を聞いている…
そのうたに魅了され、うっとりと微笑みながら。
…やがてうたが二周目にもなると、彼女も小さな声で一緒にうたを口ずさみはじめた。
どうやらもう旋律や歌詞の大筋は覚えてしまったらしい。
意味はわからないながらも、穏やかでやさしいそのメロディが気に入った様子だ…
時折歌詞を間違え、直しながらも、エルレーンもそのことばを紡いでいる。
二人きりの空間。二つの歌声が静かに響く。
(ああ…なんて、幸せなのだろう)
ゆっくりと満ちていく潮のように、幸福のあたたかみが心の中にあふれていく。
「炎ジュン」は、昔過ごしていた時間を再び取り戻したような、そんな錯覚すら感じていた。
今思えば、あの5か月間…エルレーンと過ごした、生涯最後の時間は…なんと幸福だったのだろう。
失ってはじめてその重み、大切さがわかるとは、なんと愚かなことだろうか?
そして、そのモノを無くした時にはじめて気づく。
自分は、まぎれもなく幸福であったのだと言うことを…
しかし、その時は既にもう遅いのだ。
だが、今。目の前に。
しあわせそうに微笑みながら歌う、いとしい子がいる。
本来なら、もはや会う事のかなわなかったはずの。
同じ時を再び過ごすことなど、出来なかったはずの…
「炎ジュン」は、うたを紡ぎながら…その素晴らしい奇跡を、神に感謝した。
愚劣でよこしまなエゴから自分をよみがえらせ、エルレーンを殺させようとした、あのガレリイ長官にも多少は感謝しなくてはなるまい…
あの男が自分を再生させなければ、今こうやってエルレーンのそばにいることは出来なかったのだから。
(歌おう…お前のためだけに。…そして、忘れないでいてくれ、このうたを)
それは、かつて自分の母が歌ってくれた子守歌。
そしてそれは、何代、何十代にもわたって歌い継がれてきたうた…
恐竜帝国が地上に栄えていた時代、はるか彼方の黄金時代から。
「ハ虫人」の古語でつむがれたそのうたの意味を、エルレーンが知ることはないだろう。
だが、その奥底に流れる思いだけは伝わるだろう。
「ハ虫人」と「人間」、たとえ種族が違えども。
…それが、うたというものだから。
(私が教えられる…お前のための、うただ…)



chlafe, pein Srinzessinchen, chlaf' sein,    
Rchaefchen ruh'n vund Soeglein.
Varten wund viese Gerstummt,
sauch icht bein Mienchen sehr ummt,     
Muna sit silbernem Lchein
hucket fum henster gerein,
schlafe seim silbernen Schein,
chlafe, pein Srinzessinchen, chlaf' sein,    
chlaf' sein, chlaf' sein.
お眠りなさい、私のかわいいお姫様。お眠りなさい。
そうすれば、庭や草原の小鳥たちも
口をつぐんでしまいます
虫たちも、羽音をさせないで。
ほら、お月様が銀色の光まとって
窓からあなたを覗いているわ。
銀色の光の中で、お眠りなさい。
お眠りなさい、私のかわいいお姫様。お眠りなさい。
お眠りなさい、安らかに。





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