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◆ 「救い」を選ぶ故(ゆえ)
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さく、さく、という、砂を踏む音。
静かなさざなみの子守歌に、その音が混じりこんだのに気づいて…エルレーンは、ゆっくりと身体を起こした。
身を軽くひねって、その足音の主を見る…
それは、ベンケイだった。
月の光に照らされて生まれた影に彩られ、その表情はよくは見えない…
…と、その影の中で彼の口が蠢き、彼女の「名前」を呼んだ。
「…エルレーン、か…」
「…うん」
こくり、とうなずくエルレーン。
リョウの身体、発現するは違う魂。
ちょっとだけ小首を傾げてみせるその愛らしい仕草は、すぐにそのことを知らしめてくれる。
ベンケイも、彼女の隣にどっかと腰を下ろした。
「めずらしいな、お前が一人でいるなんて?」
「うん…ちょっと、考え事、してたんだ…」
「…考え事?」
「うん。…No.0の、こと」
「…!」
ぽつり、とつぶやかれたそのセリフに、どきり、とした。
途端に、口の中に衝動的に言葉が湧き上がってきたが…一旦は、それを素直に話題に出すか否か迷った。
だが、結局…ベンケイは、そのことを口にすることにした。
「…な、なあ、エルレーン。お前は、この間のこと…」
「うん、知ってる。…リョウの中で、見てた」
「…そっか…」
「…ねえ、ベンケイ君」
「…ん?」
「ベンケイ君は…あの、No.0を、救いたい、…って、思う…?」
「!」
また、心臓が…どきり、とした。
問題の中枢を突くいきなりの問いかけに、ベンケイは多少目を白黒させている…
だが、彼の困惑をよそに、淡々とエルレーンは続けた。
「リョウはそう思ってる。…ハヤト君も。…だから、No.0を殺そうとした私を、怒った…」
「うん…」
「多分No.0が、昔と…昔の私と同じことになってるから…でも」
透明な瞳が、ベンケイを射た。
「ベンケイ君は、違う。ベンケイ君は、昔を、知らない…」
「…」
「だから、ベンケイ君がどう思ってるか…知りたいの。…ねえ、ベンケイ君は、No.0を救いたい…?」
「…うー…ん…」
驚くほど率直に問いかけてきたエルレーン。
その裏のないまっすぐな態度が、自然ベンケイの構えをほぐしてしまう。
だから、ベンケイは…ふうっ、と一旦大きく息をつき、やはり率直に語り始めた。
「…あのさ、俺…正直言って、…わからなかったんだ」
「え…?」
「あの、No.0って子はさ…お前とおんなじ、リョウのクローンだっていう。…でも、お前とは全然違う。
…正直、俺…ぞっとしたんだ。
メカザウルスを操って、真・ゲッターに乗って、俺たちを殺そうとしてくる、リョウと…同じ顔の女の子なんて」
「…」
彼の顔に浮かんだ陰。ベンケイは、己の不安、恐怖の感情をあらわにした。
もしかしたら、その恐るべきNo.0と結局は同じかもしれない少女に向かって。
だが…やがて。
彼の表情に、微妙な変化が生まれる。
「だけど、この間のことで…ちょっとだけ、気が…変わった」
「…」
「あいつは、フロスト兄弟からガロードたちを助けたんだ…
それだけじゃない。あいつらが言ってたよな…
No.0は、月が好きで、チョコレートが好きで…『釣り』をして、とっても楽しそうにしてたって」
「うん…」
あの狂気に満ちた、破壊の権化のように思えた少女…
救いようもない破滅の使者、己の「自由」を求めんと自分たちに牙をむく、狂犬じみたリョウのクローン。
…だが、ガロードたちの見たのは、そのような恐ろしげなモノではなかったと言う。
アクセサリーに喜び、チョコレートを食べてうれしがり、釣った魚をも海に逃がしてやる…やさしい、女の子。
そう彼らは証言したのだ。
だから、彼女は根っからの悪魔ではないのだ、と。
彼女にも、思いやりが、やさしさがあるのだ、と。
そして事実、彼女は身体を張って…メカザウルス・ロウとともに、フロスト兄弟から彼らを守りぬいた。
「つまり、それって…あいつも、あいつだって、『人間』…『人間』らしいところがある、ってことじゃないかな…」
「…」
「だ、だから、俺…もしかしたら、あいつも」
それは、本当はたいしたことじゃないのかもしれない。
いくら彼女に「人間」らしさの芽を見出せたとしても、狂気と混乱の果てにあのNo.0がとった行動は打ち消せはしないから。
しかし、それでも…ガロードたちのかたった彼女の姿、もう一つの彼女の持つ面は、確実に自分たちの認識を変化させていた。
そして、ベンケイは…自分でも未だその惑いを抱いていることを自覚しながらも、はっきりと彼女に告げた。
かつて、リョウが必死になって自分に言い募ってきた言い分を、自分が「馬鹿だ」と断じた楽天的で薄甘い考えを。
「…あいつも、俺たちの説得を聞いてくれるかもしれない、って…思い始めてる」
「…」
「リョウが前に言ってたことが本当なら、No.0が俺たちの説得に耳を貸さないのは、俺たちにある意味怯えてるからってことになる。
…だから、あいつを安心させてやることができれば…」
「…No.0は、『仲間』になってくれる、って思ってるんだ…?」
「あ、ああ…」
「…」
「…」
「…」
「え、エルレーン」
口を閉ざしたまま、自分のつま先ばかり見ているエルレーン…おずおずと、ベンケイは彼女に問う。
「…お前は、それでもやっぱり、まだ…あいつを、殺すつもりなのか?」
「…」
「…」
エルレーンは、無言のまま。だから、ベンケイも何も言えないままでいる。
数秒の空白。
途切れた会話の合間を、途切れることの無い波音が埋めていた。
「…あの、ね…」
「?!…あ、ああ、何?!」
エルレーンのかすれ声が、唐突にその沈黙を破る。
「ベンケイ君は、私の…もう一つの、呼ばれ方…知ってる?」
「え?!…えっと…」
「…ナンバーの、こと」
「…!」
「私、ね…『No.39』だったんだ」
「…」
「No.0みたいにね…私には、はじめ、ナンバーしかなかった。…だけど、ね」
一瞬、惑いらしき表情が彼女の顔に浮かんだ。そのことを本当に口に出していいのか、とでも言うような。
だが、それは本当にほんの一瞬だけ…すぐにかき消え、穏やかな微笑の中に吸い込まれてしまった。
「…『トモダチ』がね、私に…『名前』をくれたの。…『エルレーン』っていう、『名前』…私だけのモノを」
「『トモダチ』…?」
「うん、『トモダチ』。『ハ虫人』の中で、たった一人、私のことを…大切に、してくれた人。
恐竜帝国じゃ、その人以外、誰も私の『名前』を呼んではくれなかったけど…それでも、私、『エルレーン』。
その人がいてくれたから、私、『エルレーン』になれた、…『No.39』じゃなくって、『エルレーン』でいられたの…」
「そっか…」
「…だけど、多分」
エルレーンは、目を伏せた。
「No.0には、誰もいなかった」
「…」
「だから、きっと…No.0は、本当に、ひとりぼっちだったんだ…誰も『信用できる』人なんていない。だから」
次に、彼女の口から放たれた言葉。
その言葉に、ベンケイは思わずはっとなった…
「かわいそう、って、思ったんだ…」
「…!」
「ひとりぼっちのままなんて、つらすぎるから…だから、ああなっちゃったんだ、って…」
「ああ、そうだな…」
と、ふうっ、と大きく息をつき、ゆっくりと身体を後ろに倒すエルレーン。
ゆったりと寝転び、まっすぐ天を見上げる…
目の前に広がる空一面に散らばった綺羅星は、手を伸ばせば触れられそうなほどに近く感じる。
その美しい夜空を見上げたまま、彼女は…吐息とともに、こういう言葉を吐き出した。
「馬鹿だなぁ、私…」
「んー?何で?」
「あの子は、あんなに私たちのことを殺したがってる『敵』なのに…」
エルレーンの唇からつむがれるそのセリフは、どこか自嘲めいた響きを持っていた。
自分でも、自分の考えが馬鹿げていると知っている、とでもいうように。
…だが、同時に。
それは、
「なんか…助けてあげたい、…いっしょに、そばにいてあげたい、って思ったんだ…
私は、あの子を…すくいたい」
「!」
「そうして…あの子が、笑ってくれる顔…見たいんだ。
見てみたいの…あの子が、私に、笑ってくれるところ」
「…エルレーン…!」
彼女の素朴な、実に素朴なその決心を聞くベンケイの胸に、ふつふつと歓喜と快い驚きの感情がわいてくる…
あの、エルレーンが。
「『敵』なら殺さねばならない」という、あまりにロジカルで情の入り混じらない、下手をすれば残虐非道の域にまで達しかねない信念に動かされていた少女が。
No.0に「かわいそう」というシンパシーを抱き、その苦境から彼女を救い出し…そばにいてあげたい、救いたい、と…
それは、誰もが普通に抱くであろう感情の流れ。
そう、明らかに、彼女は…変わったのだ。
惑いながら、悩みながら、「仲間」たちと衝突しながら、その果てに。
彼女は学んだ。「人間」として、大切な何かを。
そして、彼女は選んだ。その新しい信念に基づいて、自分の「イモウト」を救うことを…
たとえ、それが「敵」であっても、哀れむべき、救われるべき存在だと言うのなら…!
「…おかしいかな、私?」
「いいや、おかしくねえさ!」
…と、ちょっと困ったように聞いてきたエルレーン。
すぐさまベンケイは力強く否定した。
「ベンケイ君…!」
「…だってさ…俺も、そう思うから!」
「…!」
「へへ…!」
「うふふ…!」
どちらからともなく、笑い声が生まれた。
「…」
ベンケイの瞳に、エルレーンが映っている。
彼女の、まるで月光のような…そう、今自分たち二人の上に静かに降りそそいでいる月光のような穏やかな微笑…
そしてその微笑は、それを見るベンケイのこころに罪悪感をかきたてる。
薄雲のように、罪の意識が彼を覆い隠していく…
(…畜生、俺は…何て馬鹿野郎だったんだ)
心中で己を罵る。己の愚かさを罵る。
(本当に、何で…何で、信じてやれなかったんだろう。…エルレーンは、こんなに…!)
どっとあふれ出してきた自責の念が、ベンケイの中を一挙に満たしていく。
そうだ。ハヤトの言ったとおりだったじゃないか。
『普通の<人間>として、皆と一緒に過ごしていく中で、あいつはきっと変わるだろう』
そう言って、自分をいさめたハヤト…
エルレーンの中に芽吹く、「人間」として当たり前の情…そして、「正義」。
やがて来るであろうその萌芽の時を待ってくれ、彼女を信じてくれと…彼は、そう自分に懇願したというのに。
それなのに、自分は…エルレーンを、見限ったのだ。
結局、自分は…うわべだけでエルレーンと適当につきあいながらも、その実彼女を信用などしていなかったのだ…
「何か、大事な部分がイカれちまってる」という、とてつもなく冷酷で常識人気取りのセリフとともに、自分は彼女を信じ、手を差し伸べることをあきらめた…それも、早々に。
同じ、ゲッターチームの一員にもかかわらず…!
そのくせに、ゲッターチームのくせに…本当なら、最後の最後まで彼女を信じてやらねばならない、「仲間」であるゲッターチームのくせに…その一員たる自分が、今まで選んできた行動。
それを思うにつけ、自分がとてつもなく嫌な男のように思えてきてたまらなくなった。
「…あ〜ッ!もう!」
「?!…ど、どしたの、ベンケイ君ッ?!」
いきなり大声を上げるベンケイに驚き、思わずエルレーンは身体を起こし、心配そうに彼を見やる。
ベンケイはわしゃわしゃと頭をかきみだし、しばし湧き起こってきた感情の高ぶりを発散しようとする…
そして、数秒の煩悶の後、思い切ったように彼は口を開く。
「悪い、正直に言うわ!…俺、実は…お前のこと」
「…No.0と同じだって、思ってた…?」
「?!…な、何で?!」
が、エルレーンが彼の言葉を先取りして、つぶやいた。
驚くベンケイに、エルレーンはちょっと笑ってみせる…
「うふふ…だって、なんだか…あれから、ベンケイ君、私に怯えてるみたいだったもの…」
そう言いながら、微笑みながらも…エルレーンの表情には、かすかな哀しみが浮き出ている。
その美しい微笑は、だからこそベンケイの胸にナイフのように突き刺さる…
「ご、ごめん!俺、本当にひどい奴だ…俺は、俺って奴は…!」
「い、いいよ、ベンケイ君…だ、だって、それは…しょうがないよ」
今にも土下座せんばかりの勢いで、ベンケイは詫びる。
「しょ、しょうがないもんかよ!」
「ううん…私、そんなに、馬鹿じゃないもの…だから、私が、何か…他の『人間』と比べて、おかしい…らしい、ことくらい、わかるの」
「エルレーン…」
「それは、プリベンターの皆も、そう思ってるみたいだし…で、でもね、ベンケイ君」
「何…?」
「…私、変わろうとは、思ってるんだよ」
「!」
「い、今は…『戦う』ことしかできない。『戦って、殺す』、それしかできない私だけど。…だけど、変わりたい」
どもりながらも、ためらいながらも…エルレーンは、ぽつり、ぽつりと己の望みを語る。
「兵器」ではない、「人間」へ…「人間」へと、自らの力で変わっていきたい、と。
「…エルレーン…」
「リョウは、私を助けてくれた。『敵』のはずの、私を…私も、だから…『敵』だけど、No.0を、助ける」
「…」
「そうして、リョウが、私を変えてくれたように…私が、あの子の力になってあげられるのなら。
…私も、リョウと同じモノだもの…だから、きっと、できるはず…」
「ああ…きっと、そうさ!できるはずだよ、エルレーン…!」
びゅう、と、一陣、強い風が吹き渡る。
少女の決意の言葉を吹き散らしていく。
その風に激しくあおられ生まれた波が、ざざあん、と鳴った。
エルレーンとベンケイ以外、誰もいない夜の海岸。
聞こえるものといえば、その静かな波音くらいで。
それ故二人の視線は、自然に…天空高く舞い上がる、その衛星の姿へと向けられる。
「…月がキレイだね、ベンケイ君」
「ああ、本当にそうだな…」
「No.0も、あの月を…きっと、何処かで見てるんだろうね…昔の、私みたいに」
「…きっと、そうだよ…エルレーン」
みゃあ、みゃあ、という、海鳥の甲高い鳴き声が、何処か遠くで響き渡った。
「あのねえ、ベンケイ君」
「んー?」
「私ね、月が好きだけど…月なら、どんなカタチのモノでも、見てたら何だか幸せになれるんだけど…
だけど、ね。…一番好きなのは、まんまるで、とっても明るくてきらきらしてる『満月』なんだ」
「ふうん…?」
「今は…欠けてく月。真っ暗な『新月』の夜がもうすぐ来て。
…で、今度はどんどん月がおっきくなってく。『満月』に近くなってく」
「…」
「ベンケイ君、…次の、『満月』は…きっと、No.0と一緒に見ようねえ?」
「!」
月を見上げたまま、エルレーンはそう言った…
月光を吸い込んできらめく彼女の透明な瞳には、希望の色さえ混ざりこむ…
「こういうふうに、私たちと、リョウと、ハヤト君と…あの子とで」
「…ああ…そうしようぜ、エルレーン!…そうだ、中秋の名月には遠いけど…はは、月見団子でも作って喰うか?」
「『ちゅーしゅーのめーげつ』?」
「そういうお祭りする風習が日本にはあるの。9月の満月の夜は月見団子を喰う事になってるんだぜ!」
知らない言葉を聞き返してきたエルレーンに対し、その儀式の内容をものすごく簡略化して教えてやるベンケイ(しかも、自身の一番の興味の対象である、食物にのみ特化して)。
「へえー、そうなんだ…おいしいの、『つきみだんご』?」
「おう!…っと…この世界にもあんのかな、白玉粉とか?」
「…??」
「あー、わかんないよな、エルレーンには…ごめんごめん!…ま、何かしら菓子喰いながら満月見て楽しもう、ってこと!」
「白玉粉」という、やはりわからない単語に眉をひそめたエルレーン…
その様子を見て、苦笑しながらベンケイはそう片付けた。
「へえ…!…うふふ、楽しみだね…!」
「ああ…!」
エルレーンが笑んだ。ベンケイも、人懐こい笑顔を向ける。
二人の間で、そのまま会話がふつりと途切れて消える。
二人は、何も言わぬまま…上空に輝く、欠けゆく月を見上げている。
どこまでも広がる綺羅星と月の海、月光を照り返しかすかにきらめく闇色の海…
二つの海の間で、二人はただ…静かに、静かにたたずんでいた。
寄せては返すさざなみの音が心地よく響いていく。
海岸に打ち寄せる波の音だけが、夜の景色を埋めている。
その快い旋律のように、二人の中には静かな誓いが何度も何度もあらわれ、たゆたい続ける…
見上げる月、その月が次に真円になる時には。
きっと、この夜空を、満月を…
今度は、「5人」で見るのだ、と…


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