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◆ Die Mythen(「神話」)
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創世記 第十四章 第三節
しかし、力を持てど心と知恵を持たぬイキモノたちを、創世主は哀しまれた。
そこで、彼はイキモノたちに与えることにした―
完成した世界において、その全てをつかさどるための知恵を。
創世主は地に向かい、一人の女神をつかわされた。
彼女は眩い光となり、疾風のごとく大地を駆け巡り、己が力与うべきイキモノを探した。
そして、女神は龍を選んだ。
地上でもっとも強き力持ちし者を―
彼の女神はこう言われた:
龍たちよ、お前たちはこの地に這うモノ、飛ぶモノ、泳ぐモノ、その全ての中で最も強い。
お前たちこそが、この地上を統べる王たるにふさわしい。
龍たちよ、それゆえ我が力をお前たちに与えよう―
「知恵」という、王の錫杖を。

ツィール記 第十三章より
とうとう、彼の女神はお怒りになった。
その怒りは激しく、そして冷たいものであった。
誤りであった、と女神は考えられた。
力に驕り高ぶれる龍たちを、王として選んだことを。
それ故、女神は決められた―
滅ぼしの報いを与う、と。
己の知恵と力に慢心し、地上をただいたずらに混乱させ、他のイキモノを押しやる龍たちを。
知恵を与えられた恩すら忘れ、女神を崇め奉ることをしなくなった龍たちを。
女神は天に舞い、空高く、太陽と同じほどに高く舞い上がり―
そして、彼女は本来の姿にお戻りになられた。

トーアの書 第二十一章 第四節
その時、かの女神が来たもう
光は降りそそぎ、あの風が吹く
彼女は全てを滅ぼす、美しい微笑みを浮かべながら我らを滅ぼす
ああ、我を哀れみたまえよ!
何故に我を滅ぼしたもうか?
かの女神が来たもう、それは終末の日だ
見よ!美しくも恐るべき破壊の女神
かの女神の名は…



「滅びの風(El-「風」raine-「滅び」)」



女神は眩き光まとい、触れしモノ皆砕き壊す
そして、傷つき喘ぐ我らのもとにその妹神降り立つ
やさしく凪ぐ、忌まわしき風となりて。
その風は、全ての傷つきし者の息吹を奪い去り、永遠の安らぎをその代償に与う―
かの女神の名は、「死の風(El-「風」sion-「死」)」。
地上に死が満ちあふれ、傷ついた龍たちは破壊の果て、安息の死へと導かれた…
こうして、姉神のもたらした滅亡は、かの女神の手によって完成された。

ツィール記 最終章より
それゆえ、忘るなかれ龍の血を受け継ぐものよ、
一度は地を制しながら、地の底へとおいやられしものよ、
我々に恵みを与えながら、それを奪い去ったその女神の名を
我らが驕りし故に忘れた、王の錫杖を我らに与えたもうた女神の名を
滅亡の支配者、その美しき破壊の女神の名を
決して忘るな、その女神の名を。
かの女神の「名前」、それは…




「滅びの風(El-「風」raine-「滅び」)」。






























「…」
見えない。見えなかった。
まぶたを開いているはずなのに、何も、見えない。
薄ぼんやりしたベールが、視界をおおっているように。
その理由もわからず、ただ瞳を開け放つ。
すると、外気に触れ、少しずつ眼球が機能し始める―
「…!」
見えた。気づいた。
天井。真っ白い光景が見える。
その白いばかりの光景が天井だとわかると、ようやく理解する。
自分は横たわっているのだということに気づく。
やわらかい何かに寝かされているのだ、という事に気づく。
「な…あ、こ、ここ、は、ッ」
「あなた!目が覚めたのね…!」
身体を起こそうとするも、鉛のように手足は重い。
と、その時…聞きなれた女の声が、耳に入る。
そちらのほうに首を向ける。
そこには、妻であるキルアの姿―
「き、キルア!ここは…」
「…」
妻は、何故か焦燥した顔で、自分を見下ろしている。
彼女がいる場所…当然、そこは戦場であるはずがない。
そうだ、ここは…
「マシーンランド、だな…」
「え、ええ…」
キルアは、うなずく。
そのしぐさも、昔から見慣れたもの。
どうやら…幻覚では、なさそうだ。
「…まさか、」
それを自覚すると、途端に全身に虚脱感が襲ってきた。
なおさらに、ベッドに沈む身体が重く感じる。
特に、右腕が―
ふっ、と、脳裏にひらめいたのは、あの最後の瞬間。
コックピット。爆散する計器。飛び散る火花。
そして―あの小娘の、紅い機神。
そこで断ち切れた記憶。そこで終わったと思っていた。
だが…まだ、続いていたのだ。
「まさか、生きて戻れるとは…」
「…」
「…こうしてはおれぬ、まだ戦いは続いているのだろう?」
「…」
「キルア?」
そのことに奇妙な安堵を感じながら、同時に焦燥が鎌首をもたげてきたのも感じた。
こんなところで安穏としておられぬ、早く戦場に戻らねば…と。
…しかし。
キルアは、こちらを直視していない。
視線を、わずかに、外して―自分を、見ている。
その強張った表情は、むしろ感情を押さえつけているかのようで。
「…?!」
「…」
彼女は、視線を、わずかに、外して―自分を、見ている。
その視線が、まっすぐ見る事を拒んでいるモノは―
自分の、右半身…いや、
 右腕 だ
「!」
思わず力をありったけ込め、右腕を引き上げてみた。
―わずかな、遅れ。
そのわずかなタイムラグの後、望んだように右腕が自分に引き寄せられる…
身体にかけられた毛布が、はさり、とずれ落ちた。
「な…こ、れ、は、…ッ」
絶句、した。
心臓が、悪魔の冷たい掌でぐっと強く握られたかのような、強烈な息苦しさ―
それは、そこにあるのは、嗚呼、
長年見慣れた自分の右腕ではない、肩から指先に到るまで伝わる微妙な違和感がそれを裏切る。
「…〜〜ッッ!」
自分の肌の色とは違う、自分の爪とは違う、
長年の修行の結果ついてしまった無数の傷跡も無く
大剣を振るうために鍛え上げた筋肉も無く
妻を抱き寄せた腕でも無く
娘を抱き上げた掌でも無く
嗚呼、これは自分の右腕ではない、違う違う違う違う
これは、義手―だ。
何故?と己に問うも、すぐさまに答えははじき出される
あの小娘だ、あの忌まわしい憎らしい妬ましい怨めしい「人間」の小娘
あの小娘との死闘の末に、自分は敗れ、意識を失い、墜落し―
…混乱の極地。
あまりの衝撃に、もはや呼吸すらままならない。
ぶるぶると身体を震わせ混乱するキャプテン・ラグナに、キルアは何もかける言葉を見つけ得ない…
その時。
病室の扉が、涼やかな音を立てて開いた。
その音に、キャプテン・ラグナは頭をあげる…
「…キャプテン・ラグナ」
「!…き、キャプテン・トウガ」
そこには、戦友のキャプテン・トウガが立っていた。
ラグナの険しい表情に、彼は少し眉をひそめ―すぐに、その理由を悟る。
「気がついたようで、何よりだ」
「『何より』…?!」
果たせるかな。
己の状態に狂乱するキャプテン・ラグナは、自分の言葉に矢のような怒号を叩き付けてくる。
「『何より』?!こんな姿で!
『人間』に負け!こんな無様な姿で、おめおめと逃げ帰ってきて…
何が『何より』なんだッ?!」
「落ち着け、キャプテン・ラグナ!」
しかし、キャプテン・トウガは―その怒号に、怒号を返した。
真っ白い病室の壁に跳ね返り、かすかに反響するその怒号には…何処か、苦しげな響きがあった。
「…!」
「…いのちがあっただけでも、よしとせねばならぬ」
見返したキャプテン・トウガの瞳には、苦渋の色が満ち満ちている。
しかし、冷静さを失ってしまった今のキャプテン・ラグナには、その理由が読み取れない。
「だ、だが!」
「よしとせねば、ならんのだ!」
「…?」
半ば、投げやりに。半ば、自棄気味に。
吐き出されたキャプテン・トウガの言葉に、キャプテン・ラグナはなおさら困惑を強くする…
「いいか、よく聞け、キャプテン・ラグナ」
そこで、彼は深く深く息をついた。
蛇眼が、苦悩と悔恨と悲憤に歪んだ―



「…我々の作戦は、失敗した」



「         」
果たして、それを聞いた自分が何と言ったのか。
わからない。頭が、働かない。
突如、床板が抜け落ち、奈落の底へと墜落していくような感覚。
「ここは、臣民の移動場所になっている第二マシーンランド…そして、」
口の中が、からからだ。
遠くから聞こえる、キャプテン・トウガの声。
わからない。わかりたくない。信じたくない。
「第一マシーンランドとは、今しがた連絡が途絶えた」
「…」
だが。
恐らくそれは真実であろうと、まだ打ち砕かれていない理性の一片が叫ぶ。
暗黒大将軍率いるミケーネ軍、そして自分をも打ち破った、あの「人間」ども。
あの「人間」どもを相手にするならば、ありえない話ではなかったではないか―と。
それでも、心臓が早鐘のように鳴り響き、血液がどくどくと大脳を無駄に回転させる。
空回りする思考の中で、キャプテン・ラグナは…キャプテン・トウガの言葉を聞いている。
「そのため、あらかじめ発されていた、このような場合におけるゴール様の命令を実行している」
「そ、れは、つまり…」
「…」
しばし、彼は言葉を継ぐことをためらった。
だが、やがて…一度結ばれたその重い口が、再び開かれる。
重苦しい、屈辱的な現実を告げるために。



「…勝機無しと見て戦争の休止、そして…」

「再び、マグマ層にもぐり、力を蓄える…と」



見開かれた瞳は、焦点すらまともに結ばずにいる。
空白。
静かな病室に、なおさらの静けさが広がる。
…だが、突如。
がくり、と、操り人形のような硬い所作。
「…」
「あなた!どうなさったの?!」
唐突に動こうとするキャプテン・ラグナを、キルアは止めに入る。
しかし。
彼の瞳は、もはや彼女の姿すら映してはいない。
「…行かねば」
「え…?!」
「行かねば…ゴール様をお救いせねば!」
「キャプテン・ラグナ!」
ベッドから飛び出さんばかりの勢いで、キャプテン・ラグナは気丈にも立ち上がろうとする。
いや、気丈というよりも、それは焦燥。
戦場に向かわんと猛る彼の表情には、動揺の色もあらわだ。
「早く行って、皆を救わねば…ッ!」
「キャプテン・ラグナぁッ!」
キャプテン・トウガが、恫喝する。
病室中に響き渡る恫喝が、キャプテン・ラグナの鼓膜を震わせる。
「…!」
「もう…無理だ」
「…だ、だが…ッ」
「キャプテン・ラグナ。…ゴール三世様が、決まりにより即位為された」
「ゴール三世様が…」
ゴール三世、帝王ゴールの継嗣ではあるが、まだ幼少…子どもといってもいいくらいの年齢だ。
王位継承権第一位ではあるが、まだ幼い彼の人にとっては、あまりに荷の重い即位であろう。
「だが、帝王はまだお若い。支えとなるべき部下が必要だろう」
嘆息するように、穏やかにキャプテン・トウガはつぶやき…そして、改めてキャプテン・ラグナを見た。
「そうだ…我々が、お支えせねばならないではないか」
「…新しい、帝王を?」
「そうだ」
ゆっくりと、うなずく。
その瞳には、決意の色と、そして隠しきれない深い悲しみが見てとれた。
―その時、ようやく気づいた。
「仲間」に先立たれ、「仲間」を守れなかった悔恨と自責に駆られているのは、自分だけではないのだ。
「それこそが、我々…残された者の、やるべき事だろう」
「…」
「キャプテン・ラグナ。戦いは、まだ終わってはいない」
そうだ。
残された者、残されてしまった者にも、戦う道は残されている。
我らの戦いは、まだ終わってはいないのだから。
「確かに、『大気改造計画』は失敗した。帝王ゴール様をはじめ、多くの『仲間』を失った」



「だが、だから…だからこそ、」
だから。
だからこそ。
「だからこそ、ここで急いて滅びてはならないのだ」
喪ってしまった、多くの「仲間」たちのために。
「ゴール様の、みんなの遺志を。みんなの希望を継いで」
喪ってしまった、多くの希望のために。
「守り続けねばならんのだ」
喪ってしまった、多くの「未来」のために―
「…!」



「そうか…」
「そうだ」
「そうだな…」
「ああ、そうだ」
力強く、キャプテン・トウガは答える。
キャプテン・ラグナは、奥歯を噛みしめた。
強く、強く。
右手を、握る。自らのモノではない手を。
―少し遅れた反応と、鈍い感覚。
そうだ。
例え、もはや自分が戦う事ができなくとも。
例え、もはや自分が剣を握る事ができなくても。
戦い続ける事は、できる。
自分の遺志を継ぐ者たちを育て、自分たちの希望を継ぐ者たちを守る事で―!

(次こそ、今度こそ)

紅の蛇眼が、輝く。
磨き抜かれた輝石のごとき負の感情が、驚くほどの純粋さをもって輝く。

(今度こそ、あの邪悪な種を根絶やしにして、地上を我らが「ハ虫人」の世界に―)

忌まわしい、憎らしい、妬ましい、怨めしい。
あのイキモノどもが、「人間」どもが。
それは、歪んだ情愛。軋(きし)んだ友愛。曲がった信頼。
偽り無き憎悪。純粋なる嫉妬。混ざり無き執念。

(この屈辱を忘れまい、「人間」よ!)

喪ってしまった、多くの「仲間」たちに誓う。
喪ってしまった、多くの希望に誓う。
喪ってしまった、多くの「未来」に誓う。
そして―
あの忌まわしい憎らしい妬ましい怨めしい、「人間」の小娘に誓おう。

(そして、今度こそ!)

次こそ、次にこそ、我らは勝利するのだと。
次こそ、次にこそ、我らの願いは成就するのだと。
次こそ、次にこそ、お前に―お前たち「人間」に、敗北の毒杯を仰がせられるのだと。
そうだ。
次に憎悪を込めた讃歌をうたうのは、うたうべきなのは―
紛れもなく、お前たち「人間」どもなのだ。


(我らが手に、太陽の輝きを!『ハ虫人類』に、栄光ある未来を―!)




そう。
我らの戦いは、まだ終わってはいないのだから―!





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