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◆ 「呵責」(2)
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薄暗い。
ぼんやりした、灰色の世界だ。
「…」
その中に、自分が浮かんでいることがわかった。
周りを見回してみる。
…何もない。
…誰もいない。
自分しか、ない。自分しか、いない。
「…」
その場所の気味悪さに、少し怖じてしまう。
何か、何かこの周りを浸す灰色の闇以外に見えるモノはないか―
視線をさまよわせる。
「!」
―と、その刹那。
視界の端に、その求めるモノが映った。
見覚えがある、あああれは…
「?!」
目を見張った。
そこに見えたのは、二人の「ハ虫人」の若者…
「気持ち悪ぃんだよ、てめぇは!」
「死んじまえ、『人間』めッ!」
その若者たちは、何かを囲んでいる。
そして、その何かに向かい悪しざまに罵り、うずくまるそれに蹴りすら加えている…
「…!」
その、必死に彼らの攻撃から身を守り、身体を縮込ませているそれ…
それの正体がわかった瞬間、自分は駆け出していた。
「お前らあッ!一体そこで何してるッ!」
怒鳴りあげる。声の限り。
「!」
「まず…ッ!」
その声に振り返った奴らは、自分の姿を見て慌てたようだった。
お互いに目くばせを交し合うや、次の瞬間にはあさっての方向に逃げ去ろうとした!
「待てえッ!」
その背中に怒鳴るが、奴らの逃げ足は滅法速く…
あっという間に、その後ろ姿は灰色の闇の中に溶け込んでしまった。
「…ちっ!」
舌打つ。
追っても最早、追いつくまい…
だが、それよりも。
「…お、おい、」
「…」
「大丈夫か…?」
「…」
身を丸めたままの少女に、声をかける。
しかし、少女は動かない。
石造りの彫刻のように、ぴくりとも動かない少女…
異様なその姿に、困惑する。
問いかけても、問いかけても、答えが返らないその彫刻…
が。
「おい、どうしたんだよ、おい…!」
「…」
突然、はじかれたように少女は立ち上がる。
そして、面を上げる…
能面のような無表情が、こちらを見返している。
その彫刻の瞳が、ぎりっ、と、その焦点を変えた―
「嘘つき」
透明な瞳が、自分を射る。
そして、その唇が蠢き…言葉を、紡ぐ。
「な…?」
問い返そうとした、その時だった。
「嘘つきッ!」
「?!」
細い腕が、まっすぐに自分に向かって突き出されていた―
同時に胸元を突き飛ばす強烈な衝撃、少女が自分を思い切り突き飛ばしたのだ!
突然の出来事に、混乱する。
突き飛ばされた自分は、受け身すらろくにとれず、間抜けに地面にしりもちをつく。
透明な瞳が、その様を見下している。
何て冷たい、「人間」の瞳―
「本当は、あなただって…私のことが、嫌いなくせに!」
「え…な、あ、」
すっくと立ち尽くし、透明な瞳で確かに自分をねめつけている―
殺意そのものが、こもった瞳で!
「な…」
それでも。
それでも、彼女の口にした言葉の意味が解らず、自分は問い返す。
動揺する息の合間から。
「な、何のことだ…?!」
「私が嫌いなくせに…私が忌まわしくて憎らしくて妬ましくて怨めしいくせに!」
だが、少女は断言した。
何かの勘違いじゃないか、間違いじゃないか―そんな期待を、踏み潰すように。
「…」
「私が嫌いなくせに…私が、『人間』だからッ!」
一分の隙もない、断言だった。
灰色の闇を、少女の絶叫が震わせる。
そして―少女の瞳に、涙があふれ出す。
「あなただって、あいつらと同じだ!」
「う…!」
糾弾。涙を流しながら。
その真実が重過ぎて、貫く言葉が痛すぎて…抗弁はおろか、返答の言葉すらろくに出てきやしなかった。
目の前の少女が、泣いている。
「あなたたち、『ハ虫人』は!…結局、私を、見殺しにしたんだ…ッ!」
「…!」
糾弾。涙を流しながら。
「私がどんなに戦っても!私がどんなにがんばっても!結局、私を見捨てたくせにッ!」
「…」
糾弾。かつて恐竜帝国の「兵器」であったモノの涙。
「私、戦ったんだよ?!私、がんばったんだよ?!…なのに、どうして何も言ってくれなかったの?!」
「…」
糾弾。反復(リフレイン)し、自分に雪崩れかかってくる怒り。
「私が何をしたって、…例え、私が、死んだって!あなたたちは、」
「…」
「あなたたちは、私を見てさえくれなかった…!」
そして、糾弾―
その糾弾の全ては、まっすぐに自分に向かっていく。
いや、自分だけではない―
全ての「ハ虫人」たちを呪う、全ての「ハ虫人」たちを憎む、それは純然たる呪詛の言葉!
あの女(ひと)以外の全ての「ハ虫人」たちの過去を責め嘆く、それは決然たる呪詛の言葉!
「そ、そんなことないッ!俺は…!」
「…」
その呪詛に巻かれ、思わず自分はそんなことを口走っていた。
口先が滑ったかのように、そう口走ってしまっていた。
―すると、少女の表情が…少し、変わった。
小首をかしげ、自分を見つめている。
険が薄れたその瞳の中に、自分の姿が映っている。
「…じゃあ、」
ふと。
少女の瞳が―涙で、くもる。
濡れた透明な瞳が、自分をひたむきに見つめている。
そして―ささやく。
「わたしの、『なまえ』を…よんで」
「え…」
こぼれ落ちた言葉は、熱のこもった言葉は、そんな恐ろしくささやかな望み。
彼女は、自分を見つめ…もう一度、言った。
「私の『名前』、呼んで…」
自分の「名前」を呼んでくれ、と。
一瞬、胸のうちでいぶかしむほどの容易い望みごとだ。
「名前」なんて、誰でも持っているものじゃないか?
そんなモノを何故今さらお前は請うのだ?
そんなつらそうな顔をして、
そんな泣きそうな顔をして。
「あ…ぁ、」
だが、お前がそう望むんなら呼んでやるさ、
お前の「名前」を呼んでやればいいんだろう?
簡単なことじゃないか、それでお前は笑うんだろう?
ああ―


こいつの「名前」は、
こいつの「名前」は、
そうだ俺は確かに知っているはずじゃないか、
知っているはずだこいつの「名前」、
俺は絶対に聞いたことがあるんだ、
こいつの「名前」を俺は確かに知っている、
こいつの「名前」は…ルーガ先生がつけた、ルーガ先生が与えた、ルーガ先生が決めた、
あの、「名前」、


エル…


だが。
何故か、勝手に口が動いたのだ。
最後の最後、自分の唇からもれたかすれ声が呼んだのは…
その「名前」では、なかった。


「なん、ばー…さん、じゅう、…きゅう」


少女の瞳が、凍てついた。
凍てつき、砕けて、そして壊れた。
それが最後の光景―


…知っていた、俺は確かに知っていたのに!


「…!」
ばつん、とブレーカーが落ちるかのように、その夢は断ち切れた。
見開かれた瞳。その中に映るのは…見慣れた、個室の天井だけ。
すぐに、自分の身体がベッドに横たわっているのがわかる。
薄暗い部屋の中には、静かな寝息の音だけが響いている。
ベッドで眠っている、妻のキルナが立てる寝息だけ。
「夢、か…」
そこまで気づくに到って、ようやくラグナは深く息をつけた…
だが、先ほど見た悪夢のせいか、その全身はうっすらと汗ばんでしまっている。
「…」
無言のまま、今しがたまで己の脳内で拡がっていた夢を思い起こす。
自分を責める、自分を憎む、あの―
そう、その夢は…とうとう、彼に悟らせるのだ。
(―そうか)
哀しみと、そして確かな罪悪感が…彼の胸を、浸していった。
(私は、あの「兵器」を…「兵器」のまま、見捨てたのだ―)
今は、「人間」どもに与している、あの少女に。
今は、プリベンターどもの艦(ふね)にいるはずの、あの少女に。
「…」
わかった。識ってしまった。理解してしまった。
そう―
自分は、確かに…
あの少女にとっては、裁かれるべき者なのだ。

悪夢は、自分の脳が生み出した悪夢は―確かに、自分にそのことを悟らせた。
それならば、あの悪夢は自分に対する裁きなのだろうか?
呵責が見せた、あの夢は…

「…」
キャプテン・ラグナは、瞳を閉じた。
真っ暗な闇の中に、あの囁き声の残響を―聞いたような、気がした。


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