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◆ The Half Moon
  (アーガマでの日々―
   「炎ジュン」の瞳に映る、エルレーン)
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夜遅く。人気のすっかりなくなったデッキを一人歩いているものがいる。
「炎ジュン」…彼女は当てもなく、ふらふらと夜の散歩を楽しんでいるところだった。
耳を澄ませば、かすかに艦内から聞こえてくるは人の声…楽しげな、「人間」たちのおしゃべり。
もうすっかり、この異種族あふれる環境にも慣れてしまった。
まるで、長年ずっとこの艦で生活してきたような錯覚すら覚えるほどに…
空を見上げれば、そこには月が…半月が、星の海に浮かんでいる。
麗しい月光が、音もなくデッキに降り注ぐ…
…と、その時だった。彼女の耳に、かすかな声が聞こえた。
「…ぅっ…ひぃっく…」
(…ん?)
一瞬、風の音かと思ったが…
それは確かに、誰かがすすり泣くか細い声。哀しげに泣く、女の声…
その声に思わず興味引かれた「炎ジュン」は、声の主を探す…
こんな時間だ、デッキにはほとんど人などいない。
だから、その主はすぐに見つけることができた。
「…!」その姿が目に入るや否や、「炎ジュン」の胸がとくん、と強い鼓動を打つ。
自分の存在を彼らに感づかれないよう、気配を殺し素早く彼らの背後にある柱の陰に身を隠した…
そこからは、デッキの段に座り込み、肩を寄せ合っている二つの背中が見えた。
月光に照らされ、彼らの影がすうっとそこからデッキの床に伸びている。
一つの影は、もう一人の肩に顔を当て…ふるえながら、哀しげにすすり泣いている。
泣きじゃくるその肩を、彼女を受け止める彼の手が優しくなでてやっている…
それは、エルレーン。そして、流竜馬の二人だった。
「…ふぅっ…う、ううっ…!」
「…いいさ、エルレーン…泣きたければ、泣けよ」
「…ご、ごめんね、リョウ…ごめんね…」
涙混じりの声で、エルレーンがそう小さな声でつぶやく。
…そんな彼女をそっと抱いてやりながら、リョウは静かに言う…
「…いいよ…俺たちの前では、無理するなよ」
「え…?」
「お前…あれから、ずっと…無理してただろ」
「…!」
「あの戦闘が終わってから、やけにお前…笑うようになった。明るく振舞ってた。
それでも…なんか、無理してるってわかった」
「…」
「心配…かけたくないんだろ、みんなに…?だから、お前…笑うんだ?」
「…だ、だって…わ、私のせいで、みんなに…だ、だから、こ、これ以上、みんなに、心配なんか、かけちゃいけないんだ。わ、私…」
「やさしいな、お前は…いいよ。お前がそうしたいなら、そうすればいい。…だけど」
リョウが、ささやくような穏やかな声でそう言いながら、エルレーンの背中をなでてやる。
「俺たちの前でまで、無理することない…いいんだ、わかってるから」
「…!!…う、うぇえぇぇええぇえっ、うぅっ…!」
「エルレーン…」
身を震わせ、エルレーンが泣いているのがわかった。
耐え切れない感情の波に流され、リョウの胸の中でただすすり泣く…
そのすすり泣きの合間、彼女はリョウを涙に濡れた瞳で見つめ、今までずっと内に押し込めてきた自身の不安をさらけ出した。
「…こ、怖いの、リョウ…!…わ、私、今度またルーガに会った時…ど、どうしちゃうか、自分でもわからないの!」
涙とともに、こぼれおちる。
透明な瞳を恐れで塗りこめて、エルレーンは泣く。
「も、もし、また会ったら!…る、ルーガはきっと、リョウたちを、みんなを…!
…で、でも、私には、絶対にできない!
ルーガと戦うなんて、できない!ルーガを斬りつけるなんて、できないよぉっ…!」
「…」
「ううっ…ち、中途半端だよ…む、昔と、おんなじだ…!わ、私、結局、ルーガも、リョウたちも裏切った!
私は最後までリョウたちを殺そうとしたくせに、結局、ルーガも裏切った…!」
「エルレーン…だけど、それは…」
唇をかみしめるリョウ。
過去の罪を…自分たちゲッターチームが犯してしまった罪を思い起こしているのか…
一瞬、その瞳にふっと影がさす。
「それは、俺たちだって…同罪だ。
俺たちは、お前からあの人を奪ってしまった」
「…」
「だけど、なあ、エルレーン…もしかしたら、これはチャンスなのかもしれないって俺は思ってる」
「チャンス…?」
「そう…あの人と、ルーガさんと…共に戦える、お前が…また、あの人と生きていける」
リョウの声が、静かにデッキに響く。エルレーンはそれを、彼の胸の中で聞く…
「…」
影にたたずむ「炎ジュン」。
いつのまにか、その肩がかすかに震えていた…
まさか、その本人が自分たちの会話を聞いているとも知らず…リョウは、静かにエルレーンに語りかける。
「…大丈夫だ、エルレーン…あの人は、決してお前を殺したりしない。
そして、決して俺たちを…お前の『仲間』の、俺たちを殺したりしない。
きっと、お前の…俺たちの『仲間』になってくれる。
…だってあの人は、お前の『おかあさん』だから」
(…?!)
今しがた聞こえた言葉に、思わず耳を疑う「炎ジュン」。
「『おかあさん』…?…ふふ、リョウ…それって、私の製造者の…女の人、ってことだよね…
私の、製造者は…ガレリイ長官だよ。知ってるでしょ?」
それを聞いたエルレーンも、また…軽く微笑って、定義にあわないことを指摘する。
自分を造ったのは、あのガレリイ長官だ。
だから、製造者ではないキャプテン・ルーガは、「おかあさん」ではないと…
だが、リョウはきっぱりとそれを否定した。
彼は、その言葉を別の定義でもとらえていたからだ。
「違う、エルレーン。…あいつは単に、お前の身体を俺のDNAから造ったってだけだ。
ルーガさんこそ、お前の『おかあさん』なんだ」
「え…?」
「お前を心から愛してくれた。お前のことを心配してくれた。最後の最後まで、お前のことを気にかけていた」
そう、テキサスマックとゲッターロボを相手取って戦ったときも、人間に偽装してエルレーンを探しに来た草原で出会ったあの時も、自分たちとの最後の…最期の戦いのときも。
「…」
「…あのな、エルレーン。…俺たちは、かつてルーガさんと戦って…なんとか、勝つ事ができた。
けど、本当は…実力から言えば、俺たちは完全にあの人に負けていたと思う。
だから、あの時殺されていたのは、俺たちのほうでも全然おかしくなかったんだ。
…いや、むしろ…あのことさえなければ、確実に俺たちはやられていた」
「あのこと…?」
「うん…」
一瞬惑ったが、彼はやはりその続きを口にした。
「あの戦いの最中、俺は…攻撃を受けた勢いで、腕に怪我をしたんだ…
俺は、そのあまりの痛さに転げまわって、叫びまくった。
そうしたら…あの人が、言ったんだ。
…『エルレーン!』って」
「…!」
「そうだ…あの人は、『エルレーン!』って言ったんだ。
同じ顔、同じ声した俺が苦しむのを見て、…『エルレーン!』って言ったんだ…
その一瞬、その一瞬だけ、それまで全然隙もなかったあの人が…まったく無防備になった。
そこをついて、俺たちは…」
「…」
リョウの告白は、そこで立ち消えてしまった…そして、エルレーンも無言のまま。
しばらく、デッキにしいんとした静けさが戻る。
かすかに聞こえるのは、風の音のみ。
「その時のあの人の顔、忘れられない。なんだか…母さんの顔に、似てたんだ…」
その空白の後、リョウは再び口を開いた。
「リョウの…『おかあさん』に…?」
「うん…俺が、なんか無茶して、怪我して帰ってきた時とか。
母さんはいつもちょっと慌てたような、本当に心配そうな顔をするんだ…その顔に似てるって、思ったんだ…」
「…」
「だから、エルレーン…俺は、思うんだ。
あの人は、お前を…自分の『子ども』のように大切にしてくれた人なんだって。
『ハ虫人』だろうが『人間』だろうが関係ない。
あの人は…お前の『おかあさん』だよ」
「…『おかあさん』…そっか、そうなんだ…」
エルレーンはかすかに微笑み、もう一度その言葉を口にしてみた…
「おかあさん」。
心地よい言葉だった。
自分の大切な「トモダチ」は、自分にとっては「おかあさん」だったのだ…
クローンである自分にはいないはずの、「母親」たる存在。
…だが、確かにあの人は、それくらい…「おかあさん」と呼べるくらいに、自分にやさしくしてくれた…
「はは、それに…俺も、いろいろ聞いてみたいことがあるんだ…あの人に」
と、リョウは軽く声を立てて笑い、そんなことを言いながら、エルレーンの肩をぽんぽんと叩いた。
「リョウが…?何を?」
「恐竜帝国にいた時、お前がどんなことやってたのか、さ」
「えー?」
「多分、お前のことだから…ルーガさんを困らせてばかりいたんだろ?」
いたずらっぽい、エルレーンをからかうような口ぶりでリョウは言う。
「そ、そんなことない…と、お、思う…」
…が、最初は不服げだった彼女の口調が、だんだんと自信なさげなものになる。
「ふふ…なんだか弱腰だな?思い当たるフシがあるんだ?」
「う…だ、だって、私…ルーガに、迷惑ばっかり、かけてた…かも」
考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなってきてしまった。
…思い当たるフシだらけだ。
改めて、自分の友人にかけてきた迷惑を思い、肩を落とすエルレーン。
「じゃ、なおさらだ」
「?」
「恩返し、さ。今度はお前が、ルーガさんに…何か、してやれることがあるはずだよ」
「私が、ルーガに…?」思いもかけないリョウの言葉に、エルレーンは一瞬きょとんとしてしまった。
…今までそんなことを考えたこともなかった。自分が、ルーガに何かをしてやれるなんて…
だが、それはとても素敵な考えのように思えた。
「そう」
「…うーん…何があるだろう…?ルーガが、喜んで、くれそうなこと…」
…と、しばし考え込んだエルレーン。数秒の後、彼女は突如それを思いついた。
「!あっ…そうだ、『プリン』なの!」
「…んー?」
「『プリン』!あーゆう食べ物、恐竜帝国にはなかったの!だから、ルーガに食べてもらうの!」
「ふうん、なるほど?いいじゃないか?」
「あっ、それに…『釣り』。ジロン君たちに教えてもらった…
ルーガは地上に出ても、いっつもお仕事ばっかりだったから…きっと、『釣り』したことないの。
一緒に、お魚釣るの!」
「ああ、そうだな…」
「あと、あとね…ああ、いっぱい、いっぱいあるよ、リョウ…!
私、たくさんの楽しいこと覚えた!だから、それを…ルーガに教えてあげるの!
…そうしたら、ルーガ…きっと喜んでくれるよね?!」
今まであったたくさんの楽しいこと。
大切な「仲間」たちと過ごしてきた時間の中で経験してきた、たくさんの楽しいこと。
それを大事な友人に教えてあげたい、と…彼女は一生懸命になって言う。
リョウの目を見つめ、彼女は喜んでくれるだろうか、と震える声で問う…
「ああ、もちろんさ…!」
しっかりとエルレーンの瞳を見据え、彼はそう言ってうなずく。
…すると、エルレーンの顔にも、ようやく弱々しい笑みが戻った。
「そうだよね…そ、そうしたら…ルーガ、…私のこと、許してくれるかなあ…?!」
「…ああ…きっと、きっと許してくれる、お前にまた…笑いかけてくれるさ、あの時みたいに…」
そう、あの時みたいに。
いつか草原で見た、彼女がエルレーンに向けて見せていた…あの、穏やかな微笑み。
「…そっか…なら、私、がんばらなきゃ…がんばらなきゃ」
「ああ…頑張ろう、エルレーン。…がんばろう…」
月を見上げ、そうつぶやくように言い合う二人。
月光だけが、二人を見ている。
…いつのまにか、その背後の柱にあった人影は、すでに姿を消していた…

忍び足は、やがて早い歩みに。
そして、高ぶってきた感情の突き上げるままに、速い歩みはいつのまにか走りに変わる。
「炎ジュン」はアーガマの廊下を一心不乱に駆け抜けていく。
自分の部屋のドアをその勢いのまま開け、中にすべりこむ…
と、その途端、こみ上げてきた感情にとうとう彼女は耐え切れなくなった。
「…うう、っ…!…ぐうっ…」
嗚咽が彼女の口から漏れる。
ぎゅっ、と両目をきつくきつく閉じ、涙がこぼれないように唇をかみしめる…
(エルレーン、お前は…私を、お前をあんなにまで追い詰めた私を、「母親」として見てくれるというのか?!
結局お前を、耐えがたい苦しみの中に突き落とした私を…「母親」と!)
うれしかった。
エルレーンが自分を「母親」として慕ってくれているということが、そこまで大事な存在だと見ていてくれているということが。
だが、同時に息が苦しくなるほどの悲しみ、罪悪感が胸を締め付ける…
再び脳裏にフラッシュバックする、あの時のエルレーンの泣き叫ぶ顔。エルレーンの絶叫…
立ちつくし、唇をかみしめたまま、その罪の記憶に耐える「炎ジュン」。
(…だが、エルレーン…私など、お前にはもう必要ない。…お前には、本当の「母親」がいる。
…お前のオリジナル、そしてお前を受け止めてくれる者…流竜馬が)
ふっ、と先ほどの光景が目に浮かんだ。
月光に照らされ、寄り添う二つの影…同じモノでできた二人。
もう一方を生み出したDNAの持ち主・オリジナルと、そのクローン体…
もはや自分など必要はないのだ、あの子は既に本当の「母親」を持っているのだから。
(ふふ…しかし、こんな「母親」失格の私でも…まだ、お前にしてやれることは残っている。
それが、お前への罪滅ぼし…お前への、贖罪…)
弱々しい、どこか自嘲じみた微笑みが、「炎ジュン」の顔に浮かんだ。
ずるずると崩れ落ち、ドアを背にし…床に座り込んだ彼女。
明かりもつけられていない真っ暗な天井を見上げ、長い長いため息を一つつく…
(それに、私には…果たさねばならない『約束』がある。
エルレーン、お前と交わしたまま、果たせなかった『約束』が…!)
「炎ジュン」の胸に、再びその「約束」が甦る。
彼女はポケットに手を突っ込み、それを取り出した…
ちゃらっ、と鎖が小さな音をたて、鈍い赤が闇の中に揺らめく…
自分の「安息の場」から持ち出してきた、火龍石のペンダント。
そのペンダントを見つめる「炎ジュン」の瞳には、いつしかうっすらと涙が浮かび上がっていた。


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