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◆ 「死の風(El-「風」sion-「死」)」
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「…?!」
瞳を開くと、蛍光灯の白い光が視界を焼いた。
そのまばゆさに一瞬くらつく。
目がなれずに困惑している間に、自分のそばから二つの声が飛んできた。
「!…り、リョウッ!」
「気ィついたかよ!」
「?…ハヤト、ベンケイ…?」
痛む頭を抱えながら、リョウは何とか上半身を起こした。
…そこは、当然のように…自分の部屋ではなかった。
白い間仕切りが、自分のいるベッドを囲っている。
ベッドサイドには、何故かほっとしたような顔のハヤトとベンケイの姿があった。
「こ、ここは…?」
「ここは、って、お前…医務室だよ」
「いむしつ…?」
痛む頭を抱えながら問うリョウに、ベンケイが答えた。
…かすかに匂う消毒液の香り、この仕切られたベッド…
そう言われてみれば、どうやらそうらしい。
「お前、No.0を格納庫で見つけて捕まえた時、何だかわかんねえけど卒倒しちまったんだよ。
No.0を逃げないよう抱きしめたままな」
「え…?!」
「とんでもない叫び声が聞こえたからさ、俺たちも行ってみたんだけど…
お前、何で一人でいっちまったんだよ。俺たちに何も言わないまま…」
「ち、ちょっと、待って、くれ…」
左手で彼らを制するリョウ…もう一方の手は、己の額をかばうように当てられている。
…そこに走る、痛みに耐えるように。
そのしぐさ、そしてリョウの次の言葉で…ようやく、彼らはそれを察する事が出来た。
「!…お、お前、まさか?!」
「う…お、俺が、No.0を?…格納庫?」
「?!…り、リョウ、お前…」
「じゃ、じゃあ…あ、あれは、」
No.0をその腕(かいな)の中に捕らえたのは、リョウではない…
そう、彼女は。
「…エルレーン?!」
「…た、多分、そうだ…俺、じゃない、俺じゃない…」
そう彼が口走った、まさにその時だった。
その異変が、彼自身にそれを悟らせるために…ずくん、という鈍い感触となって、リョウを襲った。
奇妙な感触が胸の中に響く…彼の表情が、多少それにひずんだ。
「…!」
「?…り、リョウ…?!」
「…ない…」
おかしい。
突如、そんな感覚が脳内を貫いていった。
自分でもそう思う理由がわからない。
だが、それでも確かに彼は強くそう感じたのだ。
ハヤトとベンケイは、軽くうつむいたまま、突然真顔で黙りこくってしまったリョウに困惑している…
「ど、どした?頭痛いのか?」
「…足りない」
「『足りない』…?何がだ?」
「わ、わからない…だけど、足りない、…何か、」
そう、足りない…「何か」が、足りない気がする。
…いいや、それは正確ではない…
足りないのではない。だが、「何か」がなくなったのだ。
自分の身体の中から抜け落ちたのだ。
…そして、その抜け落ちた「何か」。
その「何か」の気配を、リョウは白い間仕切りの向こうに感じ取った。
「お、おい、リョウ…?!」
「大丈夫なのか?!」
「…」
ベッドから抜け出し、床に立つリョウ。
よろめく足を叱咤し、何とかまっすぐ立ち上がる。
心配げなハヤトとベンケイの声に返事を返すことなく、彼はまっすぐその場所へ向かおうとした。
「そんなことがあるはずはない、そんなはずはないんだ」と己に言い聞かせながらも…
「り、リョウ!」
「…」
無言で、隣のベッドとの区切りになっている間仕切りを乱暴にたたみ開けるリョウ。
…すると、そこにあらわれたのは…
先ほどまでの自分と同じように、ベッドに横たわっているその少女。
その少女は、自分と同じ顔をしていた。
…No.0。
すぐさま、そのベッドの脇に近寄る。
そこに横たえられているNo.0は、見たところ何の外傷もないようだ。
No.0の胸は安らかに上下し、彼女が深い眠りのうちにあることを示している。
「な、なあんだ…『足りない』ってのは、No.0の事かあ!…大丈夫、今はちゃんとこうして静かに眠ってるよ」
「こいつも、その場で卒倒しちまったんだ。…とりあえず、先生に診てもらおうと思って、ここに…」
「…ん」
どうやら、リョウはNo.0のことを言っていたらしい…
そうとったベンケイたちが、安心させてやろうと言葉を継ぐ。
だが、リョウの唇が紡いだのは…そうではない、まったく違う単語だった。
彼は、己の直感、そして自分と彼女の間に在るつながりを信じた。
まっすぐな瞳で眠る少女の顔を見下ろし…リョウは、こうささやいたのだ。

「…エルレーン…!」

「…?!」
「お、お前…何言ってるんだよ、頭どうかしちまったのか?!」
「違う、俺は正気だ!…エルレーンは、」
きっ、とハヤトたちに向き直ったリョウ…
炎のような瞳が、異様なきらめきを放っている。自身ありげな光を。
それは、常軌を逸した者の見せる光と、何処か似ていた。
その光で眼下のNo.0を映しながら、リョウは…押し殺した、だが重くきっぱりとした口調で、こう言い放った…!
「…エルレーンは、ここにいるんだ…!」
「な…?!」
「そうだ、…何でかは、わからないけど!感じるんだ、あいつを…No.0の中に!」
「…!」
そう。今は、感じる。
エルレーンを感じる。
わかる。伝わってくる。自分たちは、同じモノだから。
…自分の中に彼女がいた時には、その存在を感じ取る事すら出来なかったのに!
だが、その皮肉な事実に嘆息しているような場合ではない。
ベッドに力なく投げ出されたNo.0の左手をそっと握りしめる。
あたたかさを感じる。いのちのあたたかさを。
己の分身が宿りし身体…No.0に向け、リョウは何度も何度も彼女の「名前」を呼び続ける…
肉体の檻に阻まれ、会うことの出来なかった…声すら聞く事のできなかった「眠り姫」を目覚めさせようと…!
「エルレーン、…エルレーン…!」
「り、リョウ…」
「…」
No.0に向かい、「エルレーン」と呼び続けるリョウ…
だが、あまりに真剣なその表情…そして、確信に満ちたあの言葉が、ハヤトとベンケイにもそれをおぼろげながらも信じる気にさせた…
…エルレーンは、今…No.0の中にいるのだ、と。
よく考えれば、ありえないことではなかった。
彼女の身体が死んだ時、その精神だけが、同じモノであるリョウに取り込まれたというのなら…
同様に、やはり同じモノであるNo.0の身体に、彼女の精神が取り込まれるということも、決してなくはない理屈になる…!
だから、やがてハヤトたちも半信半疑ながら和す。一心不乱に、エルレーンを呼び続けるリョウに。
「いるんだろう、そこに…エルレーン!」
「…エルレーン、お前は本当にそこにいるってのか…?!」
「マジなのかよ、…エルレーン!お前、そこにいるのかよ…?」
「エルレーン…!」
リョウたちは何度も何度も呼ぶ、その少女の「名前」を。
彼女がそこに在る事を確信して。リョウのその直感を確信して。
リョウたちは何度も何度も呼ぶ。彼女の「名前」を。
少女は、だが…瞳を開かぬまま、白いベッドの中で静かに眠り続けている。

「おらあっ!」
「くっ…!」
No.0の右アッパーが、鋭くエルレーンのあごを狙う。
何とかそれを見切った彼女はすぐさま身をそらし、辛くもそれを避ける…
そして一歩大きく引き、No.0から距離を取る。
攻撃を避けられたNo.0は悔しそうに舌打ちし、血走った目でエルレーンをにらみつけた。
ほの暗い朱の支配する空間、No.0の精神世界。だが、そこに在るのは、二人分の「魂」。
その場所で…今、彼らはまさに「死闘」と呼べそうな戦いを繰り広げていた。
「き、消えろよ!俺の身体に、入ってきやがって、この『出来そこない』がァッ!」
「す、好きでこうなったんじゃないもん!…くうっ!」
「うるっせえぇぇっ!…こうなりゃ、てめえをここで殺してやる!俺の手で消し去ってやるッ!」
「や…やめてよ、ねえッ!…わ、私、あなたを殺さないって言ってるじゃないッ!」
狂気を顔中にはりつかせ、ぎらぎらした目でエルレーンを睨みつけるNo.0。
エルレーンは彼女の攻撃を必死に受け止め、かわそうとする…
同じ流竜馬のクローン体、その戦闘力は五分…それはこの精神世界においても同じ。
鋭い蹴り、突きが二人の間でひらめき、叩き落され、またひらめく。
だが、わずかにエルレーンが一瞬見せた隙、その隙をNo.0は見逃さなかった…!
「くはぁっ?!」
胸に強烈な拳の一撃を受け、吹っ飛ぶエルレーン。
No.0はすぐさま彼女の上に馬乗りになり、エルレーンの細い首に手をかけた…!
「?!」
エルレーンの瞳孔がきゅうっと縮まった。
心臓が、嫌な感触の速い脈動を打ち出す。異常なほどに、焦った脈動を。
「へ、へへ…ふはは、ひゃあっはっはっは…」
「…ぐう、っ…!」
必死で首をぎりぎりとしめつける腕に爪を立て、それをはずそうとするエルレーン…
しかし、その抵抗の力もどんどんと弱くなっていく。呼吸が阻まれる苦しさに、意識が遠のく…
「…さ、最後だぜ…し、死ねよ!消えろぉッ、できそこないぃぃぃいいッッ!!」
エルレーンの瞳から、ふっと光が失せていく。空気を求めて弱々しげに開かれた唇からは、もはや苦悶の声すら出てこない…
それを見届けたNo.0は、勝ち誇るそうにそう絶叫し…禍々しい笑みを浮かべ、その両腕にさらに力をこめた…!
その刹那だった。闇の中に、その声が届いたのは。
『…レーン…』
「…?!」
驚きのあまり、両腕をエルレーンから離してしまったNo.0。
立ち尽くし、闇に響くその声に耳を澄ます…
彼女の手から解放され、げほげほと苦しげにせきこむエルレーン…
だが、彼女の耳にも、それは確かに聞こえてきた!
『エ…ーン!エルレーン…!』
それは、あの…流竜馬の声だった!
「あ、ああ…!…リョウ…!」
ゆらりと立ち上がり、声が降ってくる高みを見上げるエルレーン…
いままでしめあげられていた首の痛みも、もう感じなかった。
リョウの声が、自分を呼んでいる…!
そして、その声にかぶさるようにして、さらに違う声が響く。
『…エルレーン、お前は本当にそこにいるってのか…?!』
『マジなのかよ、…エルレーン!お前、そこにいるのかよ…?』
『エルレーン…!』
「ハヤト君、ベンケイ君…!」
それは、ハヤトの声。
それは、ベンケイの声。
それは、リョウの声…それは、『トモダチ』の声!
自分を守り励まし、自分の「名前」を呼んでくれる、ゲッターチームの声…!
「…!」
『エルレーン…!』
再び響く声に、エルレーンはこくり、とうなずいた。
降り注ぐ彼らの声。その声が、自分に力を与えてくれる。
自分を望んでくれる、自分のことを愛してくれる「仲間」たちの声…!
しかし、その声は…同時に、No.0を動揺とショックの中に突き落としていた。
「…ああ、っ、…何でだよぉ!…これは、これは、俺なのに?!…何で、こいつのことばっかり…!」
「!…No.0…」
天を忌々しげに見上げ、そう吐き捨てるNo.0…
いや、それは罵倒にもなっていない。
怒りと哀しみで彩られ、半分泣いているような声で吐かれるその言葉は…むしろ、非難。
自分を見ようとはしない、見てはいない彼らに対する…
「こいつだって、こいつだって!俺とおんなじ、お前のクローンじゃねえかよッ?!
お前らを殺すために造られた、薄汚い、人殺しの『兵器』じゃねえかよぉッ…!」
「…」
「ど…どうして?!どうして、どうして、こいつばっかり、こいつばっかり…」
だが、彼女の苛立ちと妬みの言葉は、そこでひずんで断ち切れた。
「…!」
「そうだね、…私とあなた、同じモノだものね…」
「や、やめろ…ッ!は、はなせぇ…」
抱きすくめられた途端、身体を強張らせるNo.0。
背からそっと伸びるエルレーンの腕(かいな)を無理やり振りほどき、すぐさまその抱擁から逃れた。
だが、エルレーンは…彼女に向かい、なおも言葉を継ぐ。
「わかる…わ、あなたの、気持ち。…嫌だよね、ナンバーなんて…
私たちは、『モノ』じゃない。だから…『名前』がいるの」
「…」
エルレーンのほうを見もせず、背中でその言葉を聞き流すNo.0。
だが…エルレーンがこういうに至り、さすがに彼女も知らぬふりが出来なくなった。
「あげる…あなたに、『名前』。あなたの『名前』、私がつけてあげる…」
「!」
その唐突で不可思議なオファーに、思わず彼女は振り返る。
奇妙な事を言い出したエルレーンを見つめるNo.0のその顔には、いぶかしげな表情が浮かぶ…
「ふふ、私…さっき、そう、『約束』したでしょ…?」
「『なまえ』…?」
「うん…あなたの、『名前』は、」
エルレーンは、まっすぐNo.0の顔を見つめたまま…その『名前』を呼んだ。


「…『エルシオン(El-sion)』…!」


「『えるしおん』…?」
その聞きなれない言葉に、眉をひそめるNo.0。
「うん…『エルシオン』。…昔、マシーンランドで見た…おへやの壁にかかってた、絵の中の…女神様の、『名前』なの」
「めがみさま…」
「そうだよ…『エルシオン』は、傷ついて、苦しんでる人たちを、静かに眠らせてあげる、大きな羽を持った…キレイな女神様の『名前』なの…」
「…」
「うふふ…それに、…私の、『名前』とおんなじで…『エル』って言葉が入ってるの。おそろいなの…」
「…」
彼女に与えようとした「名前」の由来を、エルレーンはたどたどしい口調ながら懸命に語る。
それは、いつの頃だったか…まだ、自分が恐竜帝国にいた頃。
大広間、儀式や祭典が時折行われる豪奢なその場所…その四方を包む壁は、何枚もの絵や彫刻で飾られていた。
…そのうちの一つ、2、3mもの幅がある巨大な絵画…
地に倒れ付す無数の「ハ虫人」たち。
その中央に、彼らに崇め奉られるか、もしくは恐れられているかのような視線を一身に浴びる…
四枚の真っ白い羽を背に持った、美しい顔立ちの…異形の女神。
「エルシオン(El-sion)」とは、その女神の「名前」だった。
苦しむ者たちにその翼の一薙ぎを与え、その苦痛を終わらせる…安息を与える美しき女神。
絵の中で静かに微笑んでいるその女神は、本当に美しかった。
その美しき者の「名前」なら、No.0も喜んで受け取ってくれるかもしれない…
彼女は、そう思ったのだ。
「ね…ねえ、…気に入って、くれた…?…エル、シオン…」
「…」
「…あ、あの…き、気に入らない?!…ご、ごめんなさいっ!」
だが、No.0は…目を見開いたまま、じいっと自分を穴の開くほど見つめているだけだ。
…その雰囲気に耐え切れず、本人に責められる前に自分から謝ってしまうエルレーン。
ぎゅっ、と目を閉じて、いつ来るともしれないNo.0の怒号に身構えている…
「…」
「お…」
「…?」
ぽつり、とかすかなつぶやきが聞こえた。
その声に、思わずエルレーンは顔を上げる。
そこには、No.0の姿。
今にも泣き出しそうな、つらそうな表情で自分を見つめ、立ちつくすNo.0の姿がある。
「お、おれは…おれは、『めがみさま』なんかじゃ、ないッ…!
…おれは、お前たちを、殺そうとした…う、薄汚い、『兵器』…!…な、なのに、なのに、ッ」
「…」
「ど、どうして?!…どうして、俺に、俺になんか、そんな、やさしく…ッ」
「もう…いいんだよ、いいんだ…」
動転するNo.0をなだめるエルレーン。
だが、彼女の混乱は止まない…
何故、ゲッターチームを殺そうとする自分を、ガロードたちやリョウたちは必死でとどめようとしたのか。
何故、こんな醜く冷酷な自分に、情愛をかけてくれるというのか。
…一時は自分を滅殺しようとした、この女すらが!
「どうして?!…お、俺は、俺は…ッ!」
「…ねえ、嫌?この、『名前』で、呼ばれるの…」
「!…う、ううん…!…嫌、じゃ、ない、ッ…!」
だが、そう真顔でエルレーンに問われるに至り…彼女は、慌てて首を横に振る。
「…な、なあ…も、もう一回…もう一回、呼んでくれ…!」
真剣な表情で、No.0はエルレーンにそう請うた。
「!…エルシオン…!」
「…もう一回!」
「エルシオン!」
「もう一回…ッ!」
「エルシオン…!」
何度も何度も、その音を…『名前』を呼ぶようにせがむNo.0…
それに応じ、No.0に向かって…何度も何度も、くりかえし呼んでやるエルレーン…その『名前』で。
「…お、れ、の…『名前』…!」
『名前』。自分だけのモノ、自分のためだけに与えられたモノ…
そして、今まで誰も自分には与えてくれなかった、ずっと欲しかったモノ…!
身体の内から、ぞくぞくするような感覚が這い上がってきた…
興奮のあまり、ぎゅうっ、と両腕で自分の肩を抱きしめるNo.0。
「…俺…俺は…」
天を仰ぎ、No.0は嘆息するようにつぶやいた。
「恐竜帝国に造られた、流竜馬のクローン…だけど、俺は…」
そこで一旦言葉を切り…いとおしむように、その一語一語をはっきりと彼女は発音した…!
「『エルシオン』…!」
いつのまにか、両肩を抱いたまま空を見上げたNo.0の顔には、今まで彼女が見せたことのない…明るい、喜びに満ちあふれる素直な笑顔が…
それは、エルレーンのものに似ているかもしれない…浮かんでいた。
「ふふ…気に入って、くれたかなあ…?」
その表情を見ながら、エルレーンは満足したようにふっと微笑んだ。
…やはり自分の思ったとおり、No.0も…自分の『名前』が、うれしいのだ。
「…あ」
「…え?なあに?」
と、エルレーンに向き直ったNo.0…いや、「エルシオン」が、何事かを口にした。
「…っ…あ、…あ…っ!」
「…?」
何故か、顔中真っ赤に染めて…何かを言おう、言おうと必死になっているようだ…
が、とうとう決心できたらしく…彼女は、エルレーンの目をまっすぐ見つめ、こう口にした。
「…あり、がとう…っ!!」
言うなり目をぎゅっと閉じ、頬を赤くしたまま…エルシオンは黙り込んでしまった。
「!…ふふ、どういたしまして…!」
そのかわいらしい反応に、思わずくすり、と笑みをこぼすエルレーン…
エルシオンは、やはり下を向いたまま黙りこくってそれを聞く。
しばらく、そのまま二人は無言のままでいた。
エルレーンは、にこにことエルシオンを見つめている…
エルシオンも、ようやく落ち着いたのか、顔を上げ…ふっと彼女に、微笑い返した。
「…」
「…おい、No.3…い、いや、違った、な…」
相手を呼ぼうとして、はっとそれは彼女の「名前」ではないことに気づいたエルシオン。
…軽く咳払いをし、改めてその「名前」を呼ぶ…
「…『エルレーン』」
「…なあに?」
「…じゃあ、お前の『名前』も…女神の『名前』、なのか…?」
「うー…ん、どうだろ…わかんない」
「…わから、ない?」
「だって、ルーガには…そんなこと、聞いたことなかったもの」
「るーが…?」
エルレーンの口から発された、その耳慣れない「名前」…それに小首を傾げるエルシオン。
その様子を見て、エルレーンはすぐに付け加えるように言った。
「あ、…ルーガって言うのは、私の『トモダチ』…私に、『名前』をくれた人のことなの。私の管理役だった…」
「?!…じゃ、じゃあ、そのルーガってのは…は、『ハ虫人』なのかよ?!」
それを聞いた途端、いきなり大声をあげるNo.0…
あの胸糞の悪い、『人間』である自分にどこまでも冷酷だった『ハ虫人』ども…
エルレーンには、その『ハ虫人』の『トモダチ』がいたというのだ。驚かぬはずがない…
「う、うん…でも、その人一人だけだったけど、ね。…その人ね、すっごくすっごく、私にやさしくしてくれたの。
私に、『エルレーン』っていう名前をくれて、剣を教えてくれて…
うふふ、私ね、モデュレイテッド・バージョンでしょう?
だからね、半年しか生きられないのに…『誕生日』をお祝いしてあげる、っていってくれたこともあるの…」
驚くNo.0に、うきうきとその友人のことを語るエルレーン。
その表情は本当にうれしそうで、彼女が心からその『トモダチ』のことを愛していることが嫌でも感じ取れた。
「…」
「…でも、その前に…その人、…死んじゃった、けど…ね」
「…」
…と、そこまで語るに至って、ようやくエルレーンは気づいた。
いつの間にか、エルシオンはうつむいたまま黙り込んでいた。
「…?…どうしたの、エルシオン?」
「…あーあ…」
どこか芝居がかったような、だが沈痛さとやりきれなさの隠しきれない吐息が放たれた。
「…ずるいぜ、お前ばっかり…」
「…え?」
「何で、お前ばっかり、そんな…何でも、持ってやがるんだよ」
「…!」
「ずるい…ずるいぜ、お前ばっかり…『トモダチ』も、『名前』もさあ…俺の欲しかったモノ、何でもかんでも持ってやがる」
「え、エル…」
自分を責めるようなエルシオンの言葉に困惑するエルレーン。
思わずそれに反論しようとしたエルレーン…
だが、エルシオンの表情を見るなり、彼女は、慌ててそれを飲み込んだ。
…きりきりと張り詰めた、ガラスのような瞳。その際(きわ)には、こらえきれない涙が光っていた。
「ゲッターチームの野郎どもに、『人間』どもに囲まれて、その上…恐竜帝国にも、『トモダチ』がいただって…?!
…それじゃ、俺は一体何だったんだよ?!…あ、あんなに、一人ぼっちだった、俺の時は…!」
「エルシオン…」
「お、俺と!俺と、お前と、何が一体違うッてんだ?!俺もお前も、げ、ゲッターチームを抹殺するため、ゲッターロボを破壊するためって造られて!
…なのに、なのに、何で俺だけ?!何で…」
エルレーンに対するゆがんだ感情をあらわにするNo.0。
…それは、嫉妬の感情。自分と同じモノにもかかわらず、自分の望むモノを全て持つ彼女に対する…
「何でお前ばっかり…?!…お、俺だって、お前と同じモノで出来てるはずなのに?!」
そんなことをいっても、エルレーンにはどうしようもないことくらい彼女にもわかっていた。
しかし、それでも…自分には与えられなかったモノを、やさしくしてくれる「トモダチ」を持つことのできなかった我が身を思えば、
その境遇の違いはあまりに大きく、なおさら自分が惨めに思えた。
彼女がずるいことをしたようにすら感じてしまう…
顔も形も、同じゲッターチームを倒すために造られた「兵器」であるという事実も変わることがないにもかかわらず、何故こうも自分たちは違うのか?!
「…エルシオン」
「!」
だが、彼女のやるせない怒りの言葉を、エルレーンの両腕がとどめさせた。
エルシオンの両肩をしっかりとつかみ、まっすぐに彼女の瞳を覗き込むエルレーン…
その顔(かんばせ)に、少しばかりの哀しみが入り混じった。
「そうだね…エルシオン。あなたは、今まで、たった一人で…いっしょうけんめい、がんばってきたんだよね」
「…」
「でも…もう、いいんだよ」
「!」
「これからは、みんなが一緒にいてくれるよ…
リョウや、ハヤト君や、ベンケイ君は…あなたをすくってくれる人。…私を、すくってくれたように。
…うふふ、それに…あなたにはもういるじゃないか、ステキな『トモダチ』…
ジロン君や、ティファさんたちが!」
そう言って、軽く彼女の肩を叩いてやる…
「エルレーン…ッ」
「それに、あなたには…もう、『名前』もある。…そうだよね?」
「…」
「ね…?…だから、ね」
確信をこめた口調で、エルレーンはそう言い…No.0を見つめ、にっこりと笑いかけた。
「これから、ゆっくりゆっくり、しあわせになっていけるんだよ…エルシオン」
「…!!」
慈愛に満ちた、それは本当に穏やかな微笑だった。
ぱきん、と、かすかな音が自分の中で響いたのを、エルシオンは確かにその時感じた。
自分の周りに張り巡らせていた、氷で出来た城壁…
その城壁が、エルレーンの微笑で溶かされ、粉々に砕け散った音だった。
…大きく見開かれたエルシオンの瞳。
ガラスのようなその両の瞳が、次の瞬間…一挙にあふれてきた感情でくもり、涙で覆いつくされていった。
「…っく…ふ…う、っ…」
「…!」
ばたん、と、半ば倒れこむように、エルシオンは自分からエルレーンの胸の中に飛び込んだ。
必死に両腕を彼女にからめ、顔をその胸にうずめて泣きわめく。
「母親」にすがる、まだ幼い「こども」のように…
彼女の許しを、彼女の庇護を、彼女の愛を、彼女のあたたかさを請うように。
「うう、うっ…う、うえぇっ、ひいっく…うえっ、うあぁあぁあぁ…」
「エルシオン…」
「う、うあぁああぁぁん…えぇええぇぇええぇん…!」
「…」
かたかたと両肩を震わせながら、全身を襲う感情の発露に身を任せているエルシオン。
それは、今の今まで自分の中に押し込めてきた何かが、こころの堰を砕き一挙に決壊させてしまったがごとくに。
エルレーンは、一旦惑ったが…やがて、エルシオンの背に両腕を回し、彼女をしっかりと抱きとめた。
力を込め、彼女を安心させるように…遠い昔に、「あの人」が自分にしてくれたとおりに。
エルシオンは泣き続けた。
自分の分身の胸に抱かれ、彼女は泣き続けた。
朱い空間の中に、少女の嗚咽だけが…かすかに反響しながら、響き渡っていく。

長いようで短い、短いようで長い間、ずっと…
エルシオンは瞳を閉じ、その奇妙だが素晴らしく気持ちのいいあたたかさのなかでまどろんでいた。
彼女はもはや泣きもせず、ぐったりとエルレーンに抱かれたままでいる。
その顔からは一切の険が取れ、本当に穏やかそのものといった表情をしていた。
まるで、「母親」に抱きしめられている幼子のように…
この女の胸に抱かれているのは、何故だかわからないが心地よかった。
今まで感じた事がないくらい、こころが落ち着いている。
そのくせ、静かな快感が自分の中からこんこんとわき続ける。
エルレーンの胸は、あたたかかった。
そのあたたかさは自分をすっぽりとくるみこみ、やさしく守ってくれている。
自分の手当てをしてくれた、ティファの手。
自分の手をとってひいてくれた、ガロードの手。
エルレーンのあたたかさは、そんな事を彼女に思い起こさせた。
…ずっと、このままでいたい…
ぼんやりとした思考の中で、彼女の中にそんな言葉があらわれては消える。
あんなに怯え、憎み、殺したいと願っていた女の腕の中に捕らわれているにもかかわらず。
…それが、彼女に対するいとおしさに変わるまでには、さほど時間は必要なかった。
だが、ある時…自分の背に触れてくれているあたたかさが、ふっと消えた。
怪訝に思い、エルシオンはうずめていた顔を上げる。
自分の背中を抱いていたエルレーンの両手…
いつのまにか、自分を抱きしめていたその両腕からは力が抜け、だらりと伸ばされている。
「…レーン…エ…」
「エル…こに、いるんだろう?!…エルレーン…」
かすかにひずみながら、それでも彼らの声は高みから降り注ぎ続けていた。
そして、彼女の「名前」を呼び続ける。
「…」
「…!」
エルレーンは、高みを見上げていた。
その透明な瞳は何を見ているのだろう、まっすぐに上へ、上へと向けられている。
…まるで、自分のことなど忘れてしまったかのように!
「エルレーン、もっと…もっと、ぎゅうっ、てしてよ、ッ」
「!…う、うん、…いいよ…」
「…」
だから、そう言うなりエルシオンは再び彼女に抱きついた。エルレーンに鈍い痛みすら与えるほどに、乱暴に。
怒ったようにエルシオンに言われ、はっとなったエルレーン…慌てて、彼女の背中に再度手を回す。
力を込めて、抱きしめる…
しかし、それでも彼女の注意は今だ天上に在る…惹きつけられる。
ちらり、と困ったような顔で、上空を見上げたわずかなしぐさすら、エルシオンは逃さなかった。
…エルシオンの中に、一挙にその不快な感情が燃え上がった。
それは嫉妬。自分を離れていくエルレーンのこころ、彼女を自分からはがしていく、外の奴らに対する。
それは嫉妬。自分のことなど歯牙にもかけず、彼女の「名前」ばかりを呼ぶ外の奴らのこころ、彼らを自分からはがしていく、エルレーンに対する。
何処か矛盾したように思える二つの嫉妬が、彼女の中に荒れ狂った。
エルシオンはなおさらぴったりと、エルレーンに身をすり寄せる。
自分より小さな赤子の兄弟に母親を奪われた幼子が、彼女の愛情を奪おうとでもするように。
せめて今だけは、今だけは彼女のあたたかさを自分だけのモノにしてしまおうと…
(…!)
だが、その時だった。
ある思い付きが、まるで稲妻のようにエルシオンの中を貫いていった。
高ぶった。その思い付きの、あまりのとっぴさ…そして、あまりの素晴らしさに。
あるのだ、そうする方法が…
自分とエルレーンは同じモノだから。
それに、きっと彼女も喜んでくれる。その「贈り物」を受け取ってくれるだろう。
エルレーンの役に立つ事が、エルレーンを喜ばせてやる事が、こんな自分でも出来るのだ。
…しかし、「だが、きっとそれは間違っている」という直感めいた自覚すらあった。
もしそれを実行すれば、自分は自分として、何よりも大切な何かを失うのだ…と。
だが、それでも。
それは何より素晴らしく、自分の大切に想う誰にとっても幸福な結果をもたらすだろう、という自覚も同時に在った。
そう…全てがうまくいく。そして、自分はしあわせになれる。
自分は、自分の望むモノをすべて手に入れられるのだ…生きていく場所も、「トモダチ」も…そして、「自由」も!
払うべき代償は唯一つ、…自分自身。
しかし、その最も重い価値を持つ代償…己自身を愛することを知らないNo.0という少女には、その重みなど理解できようもなかった。
だから、彼女はいとも容易に選んだ。
その代償を払うことを。そして、それと引き換えに、全てを手に入れることを…。
彼女は愚かだった。そして、誰よりも賢かったのだ。
惑いすらせず、彼女は決断した。
そっと…だが、心底名残惜しそうに、エルシオンはエルレーンから身体を離した。
まっすぐな瞳で、エルレーンを見つめる。
目が合うと、彼女も微笑みを返してきた…
「お前…『約束』、…守って、くれたな」
「うん…私、ちゃんと守ったよ」
「だけど、…もう一個の、『約束』は、守ってくれないのか…?」
「え…?!…もう、一個…?!」
突如、エルシオンが言い出した「もう一個の『約束』」。
そんなことなど全然思い出せない…というよりも、考えてもみなかったことを持ち出され、目を白黒させるエルレーン。
「名前」をあげること以外に、自分は何かを「約束」したというのだろうか…?!
「!…何だ…ふふ、忘れちまったのか…?」
「え、ええっと…?」
「なあ…守ってくれるよな、エルレーン…?」
「?!…う、うん…?!わ、私に、できることなら…」
「…」
しどろもどろになりながらも、エルシオンに畳み掛けられ…何のことやら理解できないまま、エルレーンは結局そういってうなずいてしまった。
…エルシオンが、微笑んだ。
途端、彼女の身体がふわりと上空へ浮かぶ。
まるで自身が軽やかな風のごとく、音もなく空を舞うエルシオン…
「?!…ど、どうしたの、エルシオン?!」
「うふふ…だったら、その前に」
少女は、天を仰いだ。
「…俺、やらなきゃいけないことが、…どうしても、やりたいことがあるんだ。…だから、ちょっとだけ…待っててくれよ、な」
「…?!」
「ふふ…すぐ済む。だから、待ってて、エルレーン…」
唐突な彼女の行動が理解できず、エルレーンはどうしてよいかわからないままにいる。
そんな彼女を置いてきぼりにし、エルシオンは上へ、さらに上へと昇っていく…
だんだんと彼女の周りを包む闇の色が薄れていき、そしてやがてそれは完全な白へと近づいていく。
そして、その白がまばゆい白光になった瞬間…彼女の精神は、外界へと放たれていった。
エルレーンを一人、こころの闇の中に置き去りにしたままで…


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