ドッキドキ!ドクター・ヘルの羅武理偉(ラブリィ)三国志珍道中☆ (27)


小説・特務「路峰を救え!」(3)

「ぐ…あ!」
「従者!」
邪悪な軌道が、違うことなくかすめたのは―偃月刀使いの、右腕。
大偃月刀を掴むその腕、着物の袖を切り裂き、そして、
刻まれた皮膚から噴き上がる、真っ赤な血潮。
剛健な車弁慶の表情も、痛みに貫かれ苦痛に歪む。
思わず、その膝が大地にくず折れる。
遠くから響き渡るのは、夏圏使いの声―
だがドクター・ヘルもまた幾人もの雑兵に囲まれている、すぐさまに彼を救いにはこれない。
手負いの偃月刀使いに、じりじりと近寄ってくる…黒衣の集団。
まるで不吉な烏の群れのごとく、獲物にとどめを刺さんと―
「…!」
ぎりっ、と。
車弁慶は、歯を喰いしばる。
傷の痛みは、今は忘れろ。
己の身体が動く限りは、忘れろ―!
「はあっ!」
全身の筋肉が意志の力で満ち溢れる、力に満ち溢れる!
弱気がかすめた自らの精神を、渾身の絶叫で、奮い立たせる!
空を凪ぐのは彼の武具、雑兵どもを吹き飛ばす大偃月刀…!
「ひいッ?!」
「うぎゃあああッ!!」
偃月刀使いの激怒は、うかつに近寄った馬鹿どもを掃討する!
「…!」
周囲の敵を一掃し、刹那の安堵感が彼の心中を満たした…途端。
たまっていく疲労が、憔悴が、絡みつく汚泥のように彼の脚を体を腕を縛り付ける。
その重みに耐え切れず、またもや膝をつく…
「大丈夫か?!」
その様を見た夏圏使いが、駆け寄る。
…ぎりっ、と。
車弁慶は歯噛みした。
彼の中の自尊心が、その気遣いを拒絶する―
「か、かすり傷だ、こんなものッ!」
「よし、その意気だッ!」
無理やりに呼吸を整え動悸を押さえつけ痛みを黙らせ、偃月刀使いは再び立ち上がる。
その目の闘志は、まだ消えてはいない―
戦意を失わないその様子に、銀髪の男はわずかな笑みを浮かべ…そして、また敵の群れへと突っ込んでいく。
その背を目で追う余裕すら、もうない。
黒衣の賊どもが、立ち上がった偃月刀使いになおもしつこく迫り来る…!
(ぐう…しかし、次から次にッ!)
敵にわざと姿を見せおびき寄せ、狙い通り彼らの注意を引くことに成功したドクター・ヘルと車弁慶。
だが、彼らは少しずつ追い詰められていた―
後から後から襲ってくる盗賊どもの波状攻撃は、例えそれが烏合の衆であろうとも…たった二人でそれを迎え撃つヘルたちにとっては、脅威。
あてずっぽうの斬撃が、自暴自棄の突撃が、二人を時折傷つける。
その度に刻まれる衝撃が、少しずつ少しずつ彼らを消耗させていく―
歴戦の戦士たるこの偃月刀使いにとっても、この終わりの見えない戦闘は、今まで経験したことのない類の苛烈なものだ。
「…」
嗚呼、だが。
視界の中に、舞い続けるあの男。
乾坤圏をその手に、涼しい顔のまま。
まるでそれが彼の舞台であるかのように、踊り続けている。
(俺は…)
不埒な言動を繰り返し、エルレーンを惑わせる、あのいけ好かない、腹の立つ、憎らしい、奇矯者。
それでも―彼奴は、自分より強いのだ。
(俺は、何と惰弱なのだ)
真実は、冷酷に心臓を貫く。
だからこそ、それを認めざるを得ない。
苦い真実。辛い現実。
自分は―彼奴より、弱いのだ。
(もっと強く在らねば…ッ)
偃月刀使いの瞳に、決意の光が鈍く灯る。
強迫観念じみた、切なる思い。
強さでしか、彼の少女に報いられぬと思い込んで。
強さでしか、彼の少女に近づけぬと思い込んで。
(もっと強く、あいつを守る為にも―!)
だが。
馬鹿げたまでのその想いが、人間を動かす。
人間を駆り立てるのだ、高く、高く、より高い場所へと!
裂帛の気合を込め、彼は吼える―
「…たあああああッ!!」
無双乱舞!
彼の闘気が衝撃波となり、まとわりつく賊どもを…
「う、うわあッ?!」
「ひぎゃあーーーーッ!」
宙へと勢いよく弾き飛ばす!
奮闘する二人の侵入者は、確実に手下たちを刈り取っていく。
彼らを統率する「黒衣団」の一番隊長は、その戦況を前に慄然とした…
「こ、こりゃまずい!こいつら、ヤベぇぞ?!」
たった二人、と思って、初めからなめてかかっていたのだ、これほどまでのことになるとは思いもしなかった…
これほどの手練れを送り込んでくるとは!
「もっとだ、もっと応援を!」
「は、はいっ!」
「これ以上やらせるな!兵力で圧倒してやれ!」
一番隊長の上げる金切り声に、伝令が飛び上がる。
もっと、もっと、もっと、多くの兵を!


「…!」
草むらに潜み、息を殺す影。
その影の見つめる先…行商人が捕らわれているという拠点に向かい、血相を変えた男どもが駆け込んでいった。
耳を澄ます、風に乗って聞こえてくる。
動揺し息を整えることもままならぬ、黒衣の賊たちが叫ぶことには―
「とんでもなく強い奴らが攻め込んできたらしいぞ!」
「南西の拠点近くで暴れてるらしい!」
ざわっ、と、どよめき声が拠点の中に響き渡る。
「至急増援が必要とのこと!」
「ちっ…ややこしそうな相手らしいな!行くぞ、野郎ども!」
「手の空いてる者は皆俺について来い!拠点守備兵以外はすべて迎撃に向かう!」
程なくして、緊迫感に満ちた表情の男たちが、その手に鉄槍を握り駆け出していく…
十、五十、百、二百…
「ヘルたちがうまくやってくれたみたい…!」
「好機、ですね」
「うん…行こう、暗黒大将軍さん!」
そう、彼らの奮戦が、戦況を大きく動かした。
最早「黒衣団」の注目は明らかにヘルたち二人に向いたのだ。
そして…この拠点に残るは、ほんの少しの拠点兵のみ!
この時に到り、ようやく彼女たちは動いた―
待ち続けた好機を、勝機に変える為に!
「?!」
「な…?!」
去り往く賊どもの足音が、完全に消え失せて。
北東拠点が、まったくの孤立にさらされて。
そう間も置かず、すぐさまに。
ざっ、と。
地を踏みしめる音も荒く走り込んできた、少女と老爺の奇妙な二人組―
「ひっかかったね、お馬鹿さんたち!」
「この拠点は制圧させてもらいます」
かざす真覇道剣が、陽光にぎらつく。
構えた豪大斧が、剣呑にきらめく。
「な、何だてめえら?!」
「しッ、死ねえーーーーッ!!!」
まったくの虚を突かれ、動転する賊ども。
泡を喰った拠点兵たちが、一斉に襲い掛かってこようとも―
「吹っ飛んじゃえッ!」
「ひ?!」
最早彼らに勝機などなく、結果は決まりきっている、
哀れな悲鳴が反響する、
剣舞を放つ少女の、大斧にて地を割る老爺の四方八方に…!
「あ、ぐおああああーーーーッ?!」

<孫権軍 エルレーンの活躍により賊軍の拠点を制圧!>

―と。
沈黙し地に伏した拠点兵たちがぴくりとも動かなくなり、拠点が圧倒的な静寂に包まれた、その時。
「…あ、あんたたち、もしかして、」
拠点の片隅から…疲弊した、だがその声音の何処かに期待の色が混じった、そんなかすれ声。
「孫権軍の…?!」
「!…あなた、路峰さん?」
「そ、そうだ!」
こくこく、と、必死に何度もうなずく、それはやせ衰えた男。
荒くれ者どもに捕らわれるという異常な状況に心身をすり減らしたのか…
だが、その目はまだ死んではいなかった。
「助けに来てくれたのか…ありがとう!」
何故ならば、夢にも見た助けが今まさにあらわれたのだから!
一方、戦場の南西。
賊どもを率いヘルたちを殲滅せんとしていた一番隊長が、顔色を失う。
…北東拠点が、何者かに奪われた!
そこでようやく、彼は気づく…
この二人は、ただの寄せ餌。
「しまった!こっちはおとりだったのか?!」
「はッ、愚か者が!」
そして、彼らほどの練達の士がまだいるのだ―!
「畜生…ッ!」
状況の変化、一挙に悪化した情勢。
ぎっ、と、心底口惜しそうに一番隊長は歯噛みした…
だが!
「!」
「待て、逃げる気か?!」
ざっ、と、突然きびすを返す!
そして二人に背を向けたまま、一目散に走り出す…!
罵倒する偃月刀使いの叫びにも答えずに、彼は一心不乱に疾走しながら、周りの部下たちに絶叫する、
「頭領に知らせろ!拠点の守りを固めるんだ!」
我らが主を守ることを最優先とせよ、と!


「…!」
風の音が、何かを運んできた。
少女の表情が―にわかに、変わった。
吹きすさぶ風に乗って響いているのは、ろおおおおおん、という、低く鈍い音。
それは、人の雄叫びだ。
興奮し、沸き立つ、人の猛る声だ。
「にわかに動き出したようですね」
大斧使いの老爺も、少女に向かってそう呟く。
刺客の登場に危機感をつのらせたのか、どうやらそこここに散在する拠点へと賊兵たちが終結し始めたようだ。
何のためか?
…無論、それはこの集団の中心である首魁を守り通そう、と言う魂胆だろう。
「頭領を見つけ出さなきゃ…『黒衣団』を潰せない!」
エルレーンの白い喉が、低い唸り声を上げる。
やにわに守勢に転じた盗賊団、だがしかしその圧倒的数は脅威そのもの。
ひとりひとりはただの取るに足らない連中であろうとも、それらが束になってかかってこられたら―
嗚呼。けれども。
少女の意思は、そんな当たり前の算段を容易に得てすら、折れはしなかった。
「暗黒大将軍さん、路峰さんをお願い!安全な場所まで護衛してあげて!」
「あなたはどうするのです、エルレーン?!」
「私は―」
老爺の問いに、振り向くことなく。
少女は眼下に拡がる戦場を凝視したまま、その手を宝剣の柄にかける。
すらり、と鞘より引き抜かれる、真覇道剣。
銀色の輝きは、凶悪な闘志の凍てついたもの―
「頭領を探し出す!」
「しかし、どうやって?!」
「拠点を壊滅させる!」
「!」
少女が言い放ったのは、至極単純な…明確な方策。
「逃げ場を一個ずつ潰していって!何処に逃げ込んだか、口を割らせる!」
「だが…ヘルたちが既に多くを倒したとはいえ、それでもまだ雑兵どもが―」
危機を感じた頭領が逃げ込むなら、それは護りの強固な拠点、もしくは兵糧庫―
ならばその拠点を一網打尽にしていけば、いずれは正解にたどり着く。
しかしながら、それはこの場合あまりにも無謀に思えた。
何しろ、相手は「黒衣団」…
凄まじいまでの数を誇るごろつきどもの群れなのだ。
―嗚呼。けれども。
「…大丈夫!」
そこで、ようやく。
少女は暗黒大将軍に振り返る。
そして、緊迫感に強張った表情を、無理やり微笑らしきものに整えて。
精一杯に、強がって見せるのだ。
「わ、私だって…これでも衛将軍なんだから!」
「…」
「任せて、暗黒大将軍さん!」
自らの名に賭けて、退く事は出来ぬ、と。
自らの道に賭けて、退く事は出来ぬ、と。
大斧使いの老爺は、そんな年若い乙女を見返し。
最早その決意を変えることはあたわぬことを悟り、諭す言葉を飲み込んだ。
「…わかりました、私も彼を安全な場所まで送り届けたら、すぐに戻ってきます!」
怖じる行商人を促しながら、暗黒大将軍は去る。
「ご武運を、エルレーン!」
最後に、祈りの言葉を投げかけて!
「…ッ!」
少女は無言のまま、首肯し。
そして、振り返って見下ろす―

透明な瞳が、真っ直ぐに。
真っ直ぐに、見る―




無数の敵が待ち受ける、絶望的な形勢を!





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