ドッキドキ!ドクター・ヘルの羅武理偉(ラブリィ)三国志珍道中☆ (25)


小説・特務「路峰を救え!」(1)

「あ…あの…」
「何ですか、ヘル様?」

太陽はさんさんと照り、窓から射す陽光もまばゆく明るい昼餉時。
が、己の前に置かれた膳を見下ろす銀髪の男、その表情は暗かった。
副将・アシュラ男爵が用意してくれたその昼食。
飯も汁も、魚の煮付けも。
どれもこれも、ほんのちょっぴりしか入っていない…
というより、自分だけなのである。
他の副将たちの前に置かれたものは、どれもこれもしっかりとたくさんよそわれているのに…
このあまりにあけすけな悪意。
男は、たまらず抗議に立ち上がる。
…が。
「あ、アシュラ…な、何だか、俺の分だけ露骨に量が少ないように見えるのだが…」
「すいませんねえ今ほーんとお金苦しくって」
「い、いや、だからと言って、この仕打ちは…」
「何でこんなことになってしまったのか、誰のせいだかはよぉくわかってるはずですよねえ?」

しれっ、と返す小柄な少女、その微笑みは何処か冷たく。
そう、孫権軍が雑号将軍、ドクター・ヘルの受難はまだまだ続いていた。
彼の美麗なる浪費により台所事情が一挙に苦しくなってしまったため、苦しい金回りを何とかやりくりしてきた副将・アシュラ男爵がついに激昂してしまったのである。
以前、酒場の主人より受けた依頼をこなし、それなりの金を手に入れたはず…なのだが。
「この間の報酬が…」
「足りませんねえぜんっぜん!!」

どんっ、と。
苛立ちと怒りに任せた勢いで、少女の脚が床をしたたかに踏みつける。
彼女の烈火のごとき感情が、振動とともに床と銀髪の男を怖じさせる。
「俸給が次にいただけるまでまだ結構あるんですからね!それまでは節約、節約ですッ!」
「せ、節約と言うより、これはあてつけじゃあ」
「はいぃ?!何かおっしゃられましたかあぁ?!」
「…」
果敢にも異を唱えようとした銀髪の男の攻撃は、しかしながら逆効果にしかならなかった。
愚かにも反論を試みた彼にはねかえってきたのは、嗚呼―
灼熱の憎悪を満面の笑顔で塗りこめた、アシュラ男爵の情け容赦もない連撃。
それはそれはもう恐ろしく、他の副将たちも彼女を止めることのできぬほど…
「なーんか、今!意味不明な無駄遣いばっかりして家計を苦しめる諸悪の根源が!
厚顔無恥にも何か言い返そうとしたように見えましたけどぉ、何かぁ?!」

「…あらぁ、過激ぃ」
「手厳しいですな、アシュラ」
「ふんッ!毎日毎日大変なんですからね、こっちはッ!」
「…ぐすん」
「…おい、おっさん泣いちゃったぞ、とうとう」


「うぅ…針の筵(むしろ)の上、とはこのことか」
「いささかに苛烈ですね。
アシュラはどうやら怒らせてはいけない類の娘だったようですね」
その後も、静かに怒れるアシュラ男爵の攻撃は止まず。
会話の要所要所に皮肉・嫌味・あてこすりを交えてくるその間断無き舌鋒に刺し貫かれ、さすがのヘルも涙目に。
よもや、その攻撃の嵐に耐えられるはずも無く。
食事が終わるや否や、すきっ腹を抱え脱兎のごとく街へと逃げ出してきたのだ。
夏圏使いの少女のお怒りは、相当に大きいものらしい。
隣にはべる仙人・暗黒大将軍も苦笑せざるを得ないほど…
「このままでは俸給日まで俺の繊細な神経が持たん…
何とかあいつに許してもらう方法はないだろうか、暗黒大将軍」
「…ふむ、」
ヘルに問われた大斧使いの老爺は、しばしそのあごひげに手をやり考えをめぐらす。
だがしかし、結局出てくるもっとも安易でわかりやすい方法、といえば―
「やはり、何らかの方法で金子を稼ぎ、俸給までのつなぎとして彼女に手渡すのがよいでしょう」
「…それしかないか」
銀髪の男は、ため息一つ。
つまるところ、やはり金であろう。
「暗黒大将軍、お前の力で金を造り出す…とかは」
「ヘル、自分でまいた種なのですから、自分で解決しなくては」
「はぁ…それはそうか」
優しくも厳しい師父は、都合のよいヘルの頼みを笑顔で打ち消す。
まあ、自らの引き起こしたことなのだから、仕方ない。
またこの間のように、何かの特務でもこなして臨時収入を得るほかなさそうだ。
「仕方ない、また酒場の親父に聞いてみるか」

「親父、久々だな!」
「おっ、変態の兄ちゃんじゃねえか!いらっしゃい!」
木の扉を開けば、そこは飲んだくれたちの社交場。
酒場の主人は今日も元気よく、馴染み客に愛想をふりまいている。
南天舞踏衣を着た銀髪の男にも、同様に…
「へ、変態ではない!俺は…」
「主人殿、久方ぶりですね…実は、頼みがあるのです」
しかしながら、そのあまりといえばあまりな呼び方に、夏圏使いは不愉快そうな顔。
抗議しようとしたが、その前に大斧使いの老爺に遮られた。
「頼み?」
「また以前のように、何か我々が腕をふるえそうな依頼はありませんか?」
暗黒大将軍の言葉に、ぱっと主人の表情が変わる。
どうやらこの奇態な雑号将軍は、またもや難題に骨を折ってくれる…と言うらしい。
「ああ!また、何かやってくれるってのかい?!」
「無論だ」
「ちょうどいいや!今、ちょっと大きい仕事があってね…やってみないかい?!」
主人の誘い水に、ヘルはうなずいて問い返す。
「ほう…どんな仕事だ」
「おお、実はな…」

客の路峰って行商人が、この街に来る途中で山賊につかまっちまった
なじみの客だから放っておくわけにもいかない
救助に向かってくれないか?


「?…それだけ、ですか?」
「大して困難なようには思えぬが?」
「いやぁ、それがねぇ」
主人の話だけ聞けば、単なる人質の救助。
「大きい仕事」と言う割りには思いのほか容易そうなその内容に、眉をひそめる二人組。
しかし、主人は首を振ってこう続けた。
「その路峰が捕まった山賊ってのがね…あの、『黒衣団』なんだよ」
「!」
山賊団の名を聞いた、その刹那。
銀髪の雑号将軍の目つきが、にわかに険しくなる。
「『黒衣団』…あの『黒衣団』か!」
その名を繰り返すヘルの表情に、苦々しさが混じった。
…「黒衣団」。
それは、昨今急激に勢力を伸ばしつつある、性質の悪い山賊集団。
その犯行ぶりも荒々しく、彼らを恐れるがあまり周辺の村々から人が逃げ出してゆくほどだ。
積み重なる悪逆非道な振る舞いぶりに、さすがに軍のほうでも征伐隊を出そうという動きがある…
「ああ…最近この一体を荒らしまわってる、千人からなる大盗賊団だからな。
だからさ、ちょうどよかった」
「?」
にこにこしながら、また「ちょうどよい」と繰り返す主人。
不思議そうな顔をする銀髪の男に、彼は親指で指し示す…
酒場の奥にある、扉の向こう。
「今さ、奥の部屋に…将軍様がいるんだけどさ、
その討伐を軍から命じられたんだって言ってたぜ」
「ほう…」
どうやら、既にその任を負った将が、偶然にもこの酒場にいるらしい。
あの「黒衣団」の壊滅を命じられるとは、それなりに結構な腕の持ち主なのだろう…
「でもさ?幾ら腕利きだって言っても…さ。
仲間がいたほうが心強いだろ?」
しかし、単純な話…たとえその将が一騎当千の武人だとしても、「多勢に無勢」という言葉もある。
有象無象の賊どもといえど圧倒的な数で押されれば、有能な将とて敗北することもありうるだろう。
ならば、同様に鍛錬を積んだ精鋭がその助力として加われば…
「よかったら、一緒に手伝ってやってくれないか?」
義を見てせざるは勇無きなり。
銀髪の男に、是非があろうはずもなかった。

「おうい!心強い味方を見つけてきたぜ!」
ばたん、と。
元気よくその扉を開く主人の後について、ヘルと暗黒大将軍は中に入っていった。
そこは小さな個室。
こげ茶色の卓の上には、酒器に点心、そして作戦会議でもしていたのか、何やら地図のようなもの。
突然あらわれた闖入者に、向かい合い語り合っていた二人の若者が振り返る―
長身の、金髪の男。そして、細身の少女…


だが。
その姿をヘル達が見るのは、これが初めてではなかった。


『あ、あーーーーーーッ?!』


がたん、と。
跳ね上げられた椅子が、悲鳴を上げて床に転がる。
銀髪の男と、透明な瞳の少女。
二人が驚愕の声を上げたのは、ほぼ同時だった。


「あ、あ、あ、あなた…?!」
「桃花の少女!よもや、こんなところで会おうとは…!」

思わず互いを指差し、狐につままれたような顔をする二人。
南天舞踏衣を纏った、あの夏圏使い。
真覇道剣にて舞った、あの宝剣使い。
かつて、今でない場所、ここでない時、敵将として相対した戦士。
まさか、こんなところで再会しようとは…!
顔を見合わせ絶句する二人を、酒場の主人は不可思議そうな顔でしばし見ていたが、
「へ?…あんたたち、知り合いかい?」
「ええ、まあ、そのようなものです」
「おっ!それじゃ話が早いじゃねぇか!」
どうやらそれぞれに見知っているらしい…ということに気づくと、ぽん、と手を叩いてうれしげに笑った。
と、はたで同様に動転していた偃月刀使いの車弁慶が、我に帰って彼に問いただす。
「お、おい、主人!こいつらは…?!」
「ああ、『黒衣団』の征伐に力を貸してくれる、ってよ。
こっちの変態の兄ちゃん、なかなかの腕利きなんだぜ?」
「変態言うな!」
「それじゃ、お互い顔見知りみたいだし!あとはあんたがたでよぉく話しといてくれよ!
あっ、酒、追加で持ってくるから!」
「え、え、あの…?!」
納得した、と言う風情で。
主人はけらけら笑いながら手を振り、とっとと話を終わらせてしまった…
混乱しきりの少女たちを、置いてきぼりにして。
また、ばたん、と、扉が音を立てて閉まる。
「…」
残されたのは、おかしな四人…
衛将軍の少女・エルレーンと、その副将・偃月刀使いの車弁慶。
雑号将軍の武者、ドクター・ヘル、その従卒・大斧使いの暗黒大将軍。
めいめいに顔を見合わせあって、しばし黙り込んでいたものの…
「き…貴様とこんなところで再び会おうとはな!」
にわかに尖るのは、偃月刀使いの男、車弁慶の瞳。
彼がヘルを睨むその視線には、多分に憎しみが燃えている。
以前戦場にて合間見えた時に、エルレーンに不埒な言動をかけてきた妖しい男…
あのいけすかない男が、今、また目の前にいる―
あの時感じた悪感情が、めらめらと再び燃え上がり、視線の鋭さに殺意を付け加える。
だが、その突き刺すような剣呑な視線を、穏やかな微笑で受け止め返し。
鷹揚に、実に鷹揚に銀髪の男は言うのだ―
「ふむ…お前のことも覚えているぞ、桃花の従者。息災か?」
「ふ、ふざけるなッ!」
だがその鷹揚さは、なおさらに偃月刀使いの感情を逆撫でする。
彼は、壁に立てかけてあった己の大偃月刀を引っつかみ、その切っ先をヘルに向ける…!
「あの時つけられなかった決着!ここでつけてやる!」
「…もうッ!落ち着いてよッ、弁慶先生ッ!」
…が。
己が副将の暴走をとどめたのは、エルレーンの怒鳴り声だった。
「く…」
少女にやや苛立たしげに制され、不承不承ながら一歩退く車弁慶。
かわりに、彼女が一歩前に歩み出る。
少女の透明な瞳が、眼前に立つ長身の男を射る…
以前と同じく、屈強そうな身体を華奢な女物の鎧、南天舞踏衣に包んだ異装の偉丈夫。
だが、以前と違うところがある…
それは、彼の背を覆う、真っ赤な外套。
孫権軍の血気盛んさを表すその緋色の外套を、今彼が纏っているということは―
「その外套。あなた、今は…」
「ああ。俺は…周瑜将軍の配下、雑号将軍の一人だ」
「そう…なら、もう争う必要はないわけだね」
そうだ。
以前はいざ知らず、今は同じ孫権軍の武将・周瑜将軍の部下だと言うのなら。
この場で斬り結び必要などない…
何故なら、今の彼は同じ場所にて同じ志のもと集った、盟友なのだから。
「じゃあ、改めて。…私は太史慈将軍が配下、衛将軍のエルレーン」
「ドクター・ヘルだ。以後、見知りおきを…我が桃花」
「あ、あのぉ…そ、その、『桃花』っての、やめてくれないかな?」
…だが、やはり…その呼び名だけは、どうにも聞き流すには難しかった。
頬を赤らめた少女は、思わずそれを口に出していた。
「何故?」
「だ…だって、は…恥ずかしいよぉ」
あの時もそうだったが、過剰なその褒め言葉は…どうにも、恥ずかしすぎる。
自分が清楚で綺麗な花に例えられるような女だとは、到底思えない。
照れながら小声でそんなことを言う、少女の引っ込み思案な様子が、銀髪の男にはなおさらに愛おしく映った。
「…馬鹿だな」
「え、あ…ッ?!」

乾いた、小さな悲鳴。
夏圏使いの両の手のひらが、すっ、と少女に伸びる。
驚いた少女が身をよじる隙すら与えずに、真正面から真っ直ぐに―
「あの日見たときと変わらず、お前は愛らしく美しい。
まさしく、可憐な桃花そのものだよ…」
「あ、あわわわわわ…?!」

そう、甘くささやきながら。
エルレーンを見下ろすその深緑の瞳は、その幼さ儚さを愛でるかのように。
そのまま、困惑する彼女の顔を、そっと包み込み、撫でる。
やさしく、いとおしげに。
そっと、何度も―
そして慈愛に満ちた笑顔が、自分をじっと見つめてくる。
こんな状況などついぞ経験したこともないうぶで純情な小娘の精神が、この強烈な挑発に耐えられるはずも無く。
効果は覿面、一挙に赤面。
その肌があまりに真っ赤に染まったものだから、熱病にでも罹患したのかと心配になってしまいそうなほど。
だがしかし、少女はその魔手を振り払うことも出来ず、全身を強張らせたままわずかに震えるのみ。
透明な瞳は、妖艶な美男子の瞳に縫いとめられ。
どくどく、どくどく、と、彼女の心臓は壊れたように速い脈を打ち続ける。
あまりに速すぎて、壊れてしまいそうなほど…
「…〜〜ッッ?!」
「…まったく」
その光景を見せ付けられる偃月刀使いの顔も、また主君と同じくらいに真っ赤に染まっていた(ただし、こちらは怒りで)。
満面朱をそそがんばかりとなりわなわな震えるその様は、これまた心配になってしまいそうなほどだ。
大斧使いの老爺は、と言うと、相変わらずな銀髪の男を呆れ顔で見やり、ただただ嘆息するばかり…
「え、エルレーンから離れろこの変質者があッ!」
「俺は美しいものが好きなだけだ」
金切り声を上げる偃月刀使いに、銀髪の男はちらり、と深緑の瞳をやるだけ。
まるで、「一体何をそんなにいきり立っているのか、この馬鹿めが」とでも言いたげなほど、平静な目で。
その不遜な態度に、なおさらに車弁慶の怒りが燃え上がる。
ぎりぎり、とその瞳が吊り上り、その金色の髪も滾る激情に燃え立つかのようだ。
「エルレーン!こんな馬鹿の力添えなど必要ないッ!」
「で、でも、弁慶先生!」
叩きつけるかのような勢いで、この男の助力など不要と怒鳴る偃月刀使い。
しかしながら、エルレーンはむしろ彼よりも冷静だった。
少なくとも、目の前の男の風体や言動、それに惑わされぬくらいには…
「あの『黒衣団』、思った以上に強大かもしれない…私たちだけじゃ危険かも」
「そうだ、我が桃花よ」
「ひゃッ?!」
そう言いかけた彼女の台詞は、すっとんきょうな声で断ち切れた。
ふわり、と自分を包む、妖しい香の匂い。
いつの間にか背後に立っていた長身の男が、焦らすような小さな声で耳打つ。
近い。近い。耳元から。
指を這わせていくような低音が、熱い吐息と混ざって、少女の耳をくすぐる。
「美しき花が無残に散らされぬよう…護ってやろうぞ、この俺が」
「は…はぅわわわわわ…」

甘ったるい呪言が、少女の耳から頭蓋に響き、彼女の思考回路を麻痺させてしまう。
理性が懸命に危険を知らせているが、身体が硬直して抗えない―
そして、とどめに。
うっすら朱を帯びた唇が、そっと―少女の頬に、触れた。
やわらかいその感触が、駄目押しして。
「…〜〜ッッ?!」
少女の危機に瀕した冷静さは、哀れ粉みじんに吹っ飛んだ。
沸騰した頭はぐつぐつと煮え立ち、しゅううううう、とそこから煙があがらんばかり。
…何と言うことだろう。
銀髪の男の悪意ない戯れは、衛将軍殿を完膚なきまでに叩きのめしてしまった。
…と、その時。
部屋の何処かで、ぶつうっ、という音がした気がした。
自分の主君が二枚目の変態といちゃついている(?)、そんな場面をまざまざと目にして。
とうとう切れたのは、おそらく偃月刀使いの堪忍袋の尾だか、まあそんな類のものだろう。
「…えっ、エルレーンに触れるな、この…ッ!」
「おっと」
形相険しく、半ば無理やりに二人の間に割り入ろうとする偃月刀使い。
一歩退り少女から離れた銀髪の男を、ぎりっ、と、彼は射殺すかのような視線でねめつけて。
敵意と憎悪を前面に押し出し、絶叫する声が狭い部屋の中でがんがん反響する。
「お、俺は認めぬ!認めぬぞ!こんな得体の知れぬ異常者とともに戦うなどッ!」
「べ、弁慶先生、落ち着いてよぉ!」
狂乱する副将の猛り具合に、エルレーンは困り顔だ。
まだ先ほどの衝撃が抜けていないのか顔は真っ赤なままだが、それでも副将の駄々を諌めんと言葉を継ぐ。
「さっきも言ったけど、一緒に戦ってくれるならそのほうが…」
「…ッ!」
またこの変態の色香に迷わされて、馬鹿げたことを言う小娘。
胡散臭さ炸裂のこんな男を取り立てようとする、その主君の言葉が一層腹立たしい。
「…ッ、エルレーン!お前は心底の阿呆か?!こんな碌でもない奇態な男の…」
「まったく…俺ほどの者が手を貸してやろうと言うのに、貴様は何がそんなに気に喰わんのだもぐもぐ」

偃月刀使いは、のぼせ上がった馬鹿娘にさらなる雷を落とさんとした…が。
その当の変態から横槍を入れられ、彼は思わずそちらに目をやる。
彼の目に飛び込んできたのは―
卓の上にあった点心の皿から、桃饅頭を無造作に掴み取りそれに喰らいつくヘル。
その途端だった。
車弁慶の表情が、また新たなる怒りに染め上げられた。
「?!…お、お前ッ!何を勝手に他人のモノを…!」
「よいではないかこれくらい。俺は諸事情により腹が減っておるのだ」
「良くないッ!よ、よりによって、桃饅頭を喰いおったな?!
それは俺が最後に食べようと…!」

どうやら、ヘルがたいらげてしまったのは、彼が楽しみにしていたもののようで。
ぎゃーすかわめき散らす偃月刀使い。
が、その罵倒の嵐を意に介する風なく、指についた餡を軽く舐りながら銀髪の男が言うことには、
「!…ふむ、こうして見てみれば。
従者たるお前も、なかなかに端麗な顔つきをしておるではないか?
まあ俺の美貌にはさらさら及ぶべくもないがもぐもぐ」
「な、なあッ?!…な、な、何をわけのわからぬことを…
って、貴様ッ!胡麻団子も全部喰ったなッ?!な、何と言うことを!」
「よいではないかこれくらい」
「ちっともよくはないッ!この変態男があッ!」

的外れの賛美、動じる堅物、またも点心をむさぼる雑号将軍、再び息巻く偃月刀使い。
どんどんと程度が低くなっていく男二人の口論。
「…」
「…やれやれ」
蚊帳の外に放り出されたエルレーンは、困惑顔で二人を見やっている。
暗黒大将軍は呆れたようにため息をつくばかり。
…と、衛将軍殿が、おずおずと彼に問い掛ける。
「あ、あの…ほ、本当に、手伝ってくれるの?」
「ええ、あなた方さえよければ、是非」
「あ、ありがとう…それじゃ」
うなずく彼に、安堵で少女の表情がゆるむ。
何にせよ、共闘できるならば、それは心強いことだ…
あの時刃を交えた時に感じた、彼の実力は確かなものなのだから。
「明日、街外れの要塞跡まで来てもらえる?」
「御意」
「…あ、あと…お願いなんだけど?」
「はい?」
問い掛ける老爺に、少女はさらに声をひそめ、少しばかり恥ずかしそうな顔で言う―

「あ、あの人にね?…で、できれば、もっと普通っぽい格好で来てほしいな、って…」
「…ふふ、わかりました」

小娘のささやかな希望に、思わず齢を経た神仙は微笑を誘われる。
その背後では、南天舞踏衣の男と偃月刀使いがなおもぎゃんぎゃんとくだらない言い争いを続けている…


「返せ!買って返せ、変態男ッ!」
「ふん、残念だったな!諸般の事情により、今の俺は文無しだ!」
「い、威張れたことかこの痴れ者めぇぇぇぇえ!!」




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