ドッキドキ!ドクター・ヘルの羅武理偉(ラブリィ)三国志珍道中☆ (22)


小説・特務「戦場の亡霊」(1)


「ヘル様はアホですッッ!!」
「な…あ、アシュラ?!」



建業。
孫権軍が中枢都市たるこの街。
その屋敷通りの空気を、怒りに満ち満ちた少女の怒号が貫いた。

「幾ら何でもそれは言いすぎだろう、それは…」
「いいえあなたは随分とご立派なアホですヘル様!」


その絶叫の発生源。
それは、孫権軍・周瑜将軍に仕える雑号将軍の一人…異装の夏圏使い・ドクター・ヘルの屋敷。
なかなか余人には理解しがたい「美」を最も尊き価値観として頂く彼の戦場にての信念も、また「美」。
「人間」にしか持つことの出来ないその「美」。
その「美」こそを「正義」と信じ、美しさを取り戻した平和な世をつくるために戦う夏圏の戦士―
幾多もの戦いをくぐりぬけ多くの武勲を積み、そして雑号将軍にまで駆け上がった美の将は、今。
己の副将、夏圏使いの少女・アシュラ男爵に…


その謹厳たる立場も危うくなるほどに、凄まじく説教を喰らわされていた。


アシュラの怒り狂うその勢い、まさに破竹。
仁王立ちになって怒鳴り散らすその様、まさに閻魔。
その閻魔に抗うことも碌にできぬまま、ヘルはちょこなん、とその前に小さくなってしまう始末。
それと言うのも、この銀髪の美男子がすべて悪いのである。
「西方服なら!持ってたじゃあありませんか!
一体それと普通の西方服と、何が違うって言うんですッ?!」

そう。
昨今、骨董商にて売られた新防具が原因であった。
高名な将・陸戒が身にまとう西方服…彼用に特別にあつらえられた限定品・「陸戒西方服」
相当に高価な品だったのだが、それを銀髪の男はホイホイと購入してしまったのであった。
西方服は持っていたのだが、それでも欲しかったのである。
どうしても、その美しいそれが欲しかったのである。
と、いうわけで、彼はかなり値が張る陸戒西方服を、ぽん、と買ってしまったのだ…
…苦しい台所事情も、まったく無視して。
「そ…それは当然、破壊力と防御力が」
「うるさいですッッ!」
「…(自分で聞いておいて…)」

もちろん、それを買う上での、彼なりの考えはあった。
しかしながら、狂乱するアシュラの前では、それは一喝のもとに散り消えるのみ。
苦しい家計をやりくりする彼女の憤怒、ただごとではなく。
一度や二度ヘルを罵倒したところで、それは止むものではない。
「おんなじ防具二つ買って何の意味があったんですか?!
ただでさえ懐具合が苦しいって言うのにッ!!」
「う、うぅ…」
「俸給日にはまだ三ヶ月もありますよ?!
それまで、どうやってやっていかれるおつもりなんですか?!
武具の修繕は、貴石は、いいえそれより食費はッッ?!
馬鹿、馬鹿、ヘル様の大馬鹿ッッ!!」
「…」

それはまさに雪崩落ちるがごとくの罵声の土砂。
虎戦車の火焔、連弩の一斉射撃。
その恐るべき連撃の前に、銀髪の偉丈夫は、無力な子兎のように震えていることしか出来ない…
嗚呼、哀れ、ドクター・ヘル。
夏圏を極めし者と呼ばれし二十五の若武者は、今、
遥か年下の少女に厳しく咎められ、まさに泣き出す寸前である。
…と。
「うふぅん、アシュラ、そこまでよぉ」
「き、きゃッ?!」
ふうっ、と色っぽく耳元に吐息を吹きかけられ、甲高い悲鳴を上げるアシュラ。
ぱっ、と振り向くと…それは、同じくヘルの副将・桜扇使いのヤヌス侯爵。
妖艶な桜扇使いは、少しばかり眉をひそめながら、アシュラを諭す。
「それ以上責めると、ご主人様…泣いちゃうわよぉ」
「で、でも!甘やかしたらダメなんです!
ここぞと言う時にびしっと言っとかないと!!」
ぷりぷり怒り倒すアシュラに、妖杖使いのブロッケン伯爵も言い添える。
「まあまあ、これぐらいにしとこうぜ?
おっさんにバリバリ文句言ったところでもうどうしようもねえしな、買っちまった物は」
「…」
二人の同僚になだめられ、とりあえずは口をつぐむ…も。
それでもまだ全然納得がいっていないらしく、冷たい目線でヘルを見下ろしているアシュラ男爵…
嫌な感じの空気に澱む、屋敷内。
しかし、その時だった…
「ふむ…」
がらり、と、扉が開き。
もう一人のヘルの副将、大斧使いの老爺・暗黒大将軍が帰ってきた。
「お、暗黒大将軍さん…何処行ってたんだい?」
「いえ、酒場に」
「酒場?おじいちゃまったら、そう言う場所にもよくイくのぉ?」
「はは、とは言っても、酒場の主人と話してきただけですよ」
穏やかな声で答える老爺は、ヤヌスのからかいに手を振って微笑した。
「あの酒場にはたくさんの人が、将たちが集まりますからね。
いろいろな困りごとなどを押し付けられて頭を抱えているようで」
「…?」
「まあ、賊の退治やら問題ごとやら、腕利きの者に解決してもらいたいという類の…
そう言った物を請け負ってくれる将たちを探して、仲介しているようですね」
「!」
暗黒大将軍が言った台詞に、ぴくん、と反応する。
「賊の退治やら問題ごとやら」。
「腕利きの者に解決してもらいたい」。
「そう言った物を請け負ってくれる将」…
いる、いる。
ここにいる。
実力と意欲があり、しかも金に困っている将が…ここに、いる。
「依頼者も当然それに対する報酬は出すようですが、何しろ数が多いらしく…」
『そ、それだああ!』
「…?!」
四人の勇んだ喜び混じりの声が、一斉に返ってきて。
白髭の大斧使いは事情飲み込めず、きょとん、とした顔で彼らを見返した。


「親父、息災か!」
がらっ、と自己主張やかましく開かれた扉に、齢を経た酒場の主人は思わず目を向ける…
が、その途端、目に飛び込んできた異形の姿。
…筋肉質の屈強な身体を、華奢な「女物」の、しかも露出度の高い防具・南天舞踏衣で包んだ、奇態な男。
主人が動転のあまり目をむいて絶句したのも無理はない。
しかし…
「?!…な、何だ、変態の兄ちゃんか」
「へ、変態ではない!俺は…」
「あーもうヘル様!ちょっとどいてください!」
「…」

よく見ると、それはたまに店に寄る将軍の一人だと気づき、主人の表情も幾分和らいだ。
まあ彼の率直な、真実を突いた発言に反発する者も約一名いたのだが、夏圏使いの少女に邪険にされて、むくれた表情をしていじけてしまった。
ブロッケンやヤヌス、暗黒大将軍もその後ろにいるところを見ると、一同で酒でも喰らいに来たのか…
「おや?さっき暗黒大将軍さんが来たと思ったら、何だい…皆揃って、宴でも?」
「いいえ、違うのです主人殿」
「ん?」
小柄な夏圏使いの少女は、問い掛ける主人に首を振り。
そして、すがるような表情で聞くのだ。
「私たちに、何か仕事を紹介してくださいませんか?」
「仕事…と、言うと」
「ああ…山賊討伐でも庭園の草むしりでも何でもやっからよー、仕事くれよ!」
「あ、ああ!そういうことか!」
アシュラとブロッケンに畳み掛けられ、ようやくことを理解した主人。
ぽん、と手を打ち、渡りに舟、とばかりに笑顔で返した。
「いやぁ、これは助かる!今ちょうど、ややっこしそうな依頼が一個来てね、やってみないかい?!」
「ええ、もちろん!」
「けどよ…こいつはちょっと、…とんでもねぇ、かもよ?」
「…?」
と、少々彼の声がひそみ、何やら意味ありげな色を帯びる。
眉を寄せ聞き入る一同に、主人が説明する依頼、それは―


近頃 ある戦場の跡地で
幽霊に襲われたっていう話をよく聞くんだ
そいつが人を襲うだけならまだしも、金品まで奪っていくらしい…
どうも うさん臭いだろう?
もし本物の幽霊だとしたら、あんたにゃお門違いだが…
あまりに物騒だからな
ひとつ調べてきてくれないか?



「…ふん、」
鼻で、笑い飛ばす。
「金を奪う幽霊…だと?」
冷徹な思考が、その不合理を侮蔑する。
はん、と軽くため息をつき、雑号将軍はその深緑の瞳を伏せる。
「馬鹿らしい、見え透いておるわ」
「ヘル様?」
「わかった、親父。その依頼、俺が受けよう」
どうやら、銀髪の夏圏使いは乗り気のようだ。
こんな厄介そうな依頼をいともあっさりと了承してくれたヘルに、主人は喜色満面。
「助かるねえ!それじゃあ頼まれてくれよ!」
「わかった、まかせろ。…その代わり、報酬のほうもよろしく頼むぞ」
「ああ、それは大丈夫だ」
ヘルの念入れに、主人は快くうなずいて。
が、それでも、何処か心配がぬぐいきれない…といった風情で、こう付け加えた。
「まあ、もし相手が本物の幽霊だったら…まともに相手しないことだね。
簡単には斬れんだろう」
「在り得ぬ、杞憂よ」
しかし、銀髪の男はよほど自信があるのか、間髪いれずそれを否定する。
彼の理性は、そんな矛盾した物の存在をただ笑い飛ばすのみ。
そう、所詮…
一番厄介なのは「人間」、そういうことなのだ。


「ここが…その?」
「うむ」
翌日。
桜扇使いのヤヌス侯爵を伴いヘルが降り立ったのは、とある山道。
この場で劉備軍と孫権軍の激しい戦闘が行なわれたのは、二、三年前の出来事だ。
その争いは酸鼻を極めた、と言う。
染み込んだ鮮血の匂いが血より立ち昇り、通る者を恐怖させたのは…決して、遠い昔の話ではない。
そして、今。
この地に、いまだ成仏せぬ、迷えるその幽霊たちが現れるという…
「怖いわぁ、本当に亡霊だったらどうしましょう?」
「気に病むな、そんなはずはないだろう」
「自信があるのね、ご主人様」
「…ふん」
甘い声でうっとりと呼びかけるヤヌス侯爵に、ヘルはただ黙って鼻を鳴らすだけ。
金品を巻き上げる「幽霊」などといういかがわしい物の正体など、彼には見え透いていた。
すなわち、こんな依頼は…さっさと終わらせてしまえるような、馬鹿げたほどに簡単なもの!


「さあ、行くぞヤヌス!」
「わかったわ!」


そして夏圏使いと桜扇使いは駆け出した、
だが…


踏みしめる大地がかすかに鳴いた―
そのことにはまったく、気づかずに!



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