A War Tales of the General named "El-raine"〜とある戦記〜(44)


小説・撃破蛟龍!(2)

「あ…」
衝撃に、開かれた唇からこぼれる絶望。
ぽろぽろ、と、透明な涙が散る。
女将軍エルレーンを打ちのめしたのは、彼女の親愛なる副将…偃月刀使いの、車弁慶。
「し、将軍様?!」
『く…!』
くずおれる少女の姿、あまりの光景に絶叫をあげる一氷。
が、魔狼・神龍剣は―動じつつも、すべきことを見失わなかった。
巨体が、躍動―
矢のような勢いで地を蹴った狼は、伏したエルレーンにさらにとどめをささんと大偃月刀を振り上げる蛟龍の木偶人形の前に躍り出る、
『一旦退くぞ!』
そして抗することを選ばず、すぐさまに主人の外套をくわえ―空を、跳ぶ!
全速力で敵に背を向け疾走するその背に、一氷も慌てて飛び乗る。
「ははは、はははははは…!」
風に逆行して、意気揚々と猛る蛇の嘲笑う声が響き渡る…
(…所詮は人間 なんとか弱い生き物じゃ…)
傲慢な妖龍の言葉が、その後を追っていく。
誇りを苛立たせるその言に、魔狼の怒りはつのる。
しかし、今この状態で彼奴にかなう道理は…ない。
節句の儀式にて払われなかった邪が、ここまで増長するとは…
ともかく、この場は逃走するより他にない。
銀狼にくわえられだらり、とその四肢を垂らした衛将軍殿は…その瞳を閉じたまま、動かない。

「き、傷を癒さねば…」
『…いや、鎧に当たったようだ。
怪我はしておらぬ、気絶しているだけか…』
必死で駆け、ともかく狼と一氷は蛟龍の前より逃げおおせた。
動揺する一氷に、だが神龍剣は落ち着いた様子で応じる。
地面に寝かされた衛将軍殿は、まだ意識を取り戻さない。
偃月刀使いの一撃は、確実にエルレーンの胴を捕らえていた…
だが、幸運なことに、ちょうどそれは鉄の防具にぶち当たったようだ。
けれどもその大偃月刀は全力で振るわれたのだろう、それこそ少女の細い腰を両断せんかのごとき勢いで。
紛れもない、純然たる殺意。
殺意は鎧に阻まれ、少女を斬ることは出来なかったものの…
その鎧に開いた砕かれた生々しい跡となって残っている。
そして、何より…身体は血を流さずとも、少女の精神には相当の激痛を与えたことは想像に難くない。
嗚呼、この意気地のない衛将軍殿は…結局、あの偃月刀使いに抗うことすら出来なかった。
銀狼の表情に、焦燥。
このままでは、埒があかぬ…
今の蛟龍はあまりに強力。
あの偃月刀使いのことを他にしても、自分たちがどうこうするには強大すぎる。
やはり、昂ぶったあの邪気を払い、彼奴を弱体化させねばならない…!
「菖蒲と、糸さえあれば…!
あれさえ、あれば、私が、邪を払えるのに…!」
『…!』
一氷が悔しそうに呟く。
と、その時…
神龍剣の耳に、誰かが叫ぶ声が届いた!


「おーーーーーい!!」


「頼まれてた五色の糸を持って来たぜ!」
「呂家自慢の蓬と楝樹の葉もお持ちしましたよ!」
馬を走らせこちらに向かってくる、その姿は…呂葉と呂真、呂家兄弟!
その傍らには、副将たち…
軍馬の鞍に、たくさんの菖蒲、そして呂家の家宝・五色の糸を積み込んで!

<呂葉と呂真が戦場に駆けつけた!>

「う…」
「エルレーン殿!」
ようやく眼を覚ましたエルレーンの視界に、心配げな顔の副将たちの顔が映った。
「わ、私…」
助け起こされ、立ち上がることが出来るにつれ、やっとのことで状況を理解した。
あの時、蛟龍の手先と化した彼が、自分に何をしたのか…も。
…女衛将軍の瞳に、涙が浮かんだ。
だがしかし、泣いている間など…ありはしない。
目じりに浮かんだ涙は、無理やりに拭い去る。
エルレーンの透明な瞳に、闘志が戻る。
「菖蒲と糸を取り返してきました!」
「エルレーン様、これで…蛟龍を!」
そうだ。
勝機と為り得る、奴に報いる一矢が、とうとう揃った。
今こそあの忌々しい蛇に、反撃の鉄槌を下さねば―!
「蓬や楝樹の葉は厄払いに効果があります…
蛟龍を囲む形で邪気を弱めれば、力は弱まるでしょう」
「…ええ、その、とおり、です」
魔除けとなる蓬や楝樹も、彼らは大量に運んできてくれた。
呂真の言葉に、一氷もうなずく。
「お願い、です。
私が、破邪の術…使い、ます。
そのために。あの、蛟龍を囲む、拠点に…菖蒲と、糸を」
一氷が、凛とした声音で、告げた。
あの邪悪な蛇を打ち倒す、最善にして最短の方法を―
「菖蒲と、五色の糸で、拠点を、包んで、ください!」

<示された拠点を制圧し 厄を払え!>

「手分けして、一斉に!」
「応!」
その背に菖蒲、蓬、五色の糸を負い。
副将たちが、一斉に駆け出した―
目指すは、蛟龍の支配する川を囲むように在る…四つの拠点!
「ぬ…」
だが、自らの縄張りに入り込んできた小虫どもの存在に、その主が気づかぬはずもない。
水面に立つ蛟龍の表情に、苦味が走った。
「何故そやつらが!?あの小娘のせいか…!」
女の姿をした邪悪も、感づいたのだ。
呂家の二人がここに現れた理由も、そして人間どもの企みも。
魔封じに絶大なる効力を誇る、あの呂家の菖蒲と五色の糸。
直接それをもってして、自分を―!
「させんぞ、人間どもぉッ!」
にわかに形相が変わる。蛟龍の瞳に、焦りが浮かぶ。
それを達されん前に、鬱陶しい奴らを喰らわねばならない…
「屠れ!彼奴らを、下らん小細工をされる前に、喰い殺せッ!」
狡猾な蛇が、声を限りに叫んだ。怒号が邪気に満ちた空気を震わせる。
と―

<拠点の周囲に蛟龍の手下が出現!>

黒が、黒が、踊り出す!
刹那、拠点の四方に出現する…どす黒い闇そのものの色をした、巨大な蛇!
そのどれもこれもが十尺はありそうな化け物蛇たちが、拠点を守護するかのごとくのたくっている…!
ぎらつく毒牙。しゃああ、と言う威嚇音を出しながら、剣呑な目でねめつける蛇どもを、だが―
「…容易い、な」
「ええ!」
自信に満ちた微笑で、打ち払う。
双錘使いの神隼人と蛮拳使いのキャプテン・ラグナは、並の者なら立ちすくんでしまうようなそのおぞましい光景を前に、笑って言い合う。
両手にすなる、華麗な芙蓉錘。
玄甲拳が、喰らう相手を探している。
疾走する脚を止めることなく、彼らは蛇の群れへと突っ込んでいく!
「ルオオオオオオッ!!」
「…!」
一匹の大蛇が、その鎌首持ち上げ…尖った牙で、小さな人間を喰らいにかかる!
が―
「…?!」
その牙が捕らえたのは、慈悲も慈愛もない鋼鉄だった―
蛮拳にて蛇の一撃を受け止めたキャプテン・ラグナは、強力をもってそのまま牙をへし折り、さらに頭を吹き飛ばす!
そして間髪いれずひるんだ蛇の頭蓋を砕くは、神隼人の芙蓉錘…!
「…!」
「我らとて、伊達にこの戦世を生きてはいません!」

<蛟龍軍の拠点を奪取!
拠点の中から厄が祓われた>

「ぐ…あ?!」
ずくん、と。
蛟龍の全身に、鈍い痛みが襲った。
強力な術者がまじないをかけた、呂家特製の菖蒲。
代々受け継がれ破魔の力を備えるようになった、五色の糸。
邪龍の魂魄を縛り上げる、強い邪払いが…禍々しい蛇の精気を削ぐ。
「ぐ…ま、まずい!」
人間どもの狙いは明確。
この場で儀式の代わりをするつもりなのだ…自分を、払おうと!
「は、早く、防がねば!」
蛟龍の声音に焦りが入り混じり始める。
あの小娘を、呂家の兄弟どもを、人間どもを殺さねば!
蛇の化生から、余裕の色が溶け失せた。
泡を喰って、駆け出す…人間どもを、屠らんがために!

「盗人が見つかった翌日から、端午の節句の準備を進めていたんです」
呂真がしみじみと語る言葉。
「そうしたら、兄を疑う自分がおかしく思えて…
あなたたちのように街で調査してみたんですよ」
細やかに仕組まれていた策謀に、まんまと騙されていた自分。
そんな自分を貶めるように、弟は少し哀しそうに言った。
「り…呂葉、あなた…」
「俺がここにいるのが不思議か?」
彼だけではなく、捕らえられたはずの兄・呂葉も。
困惑するエルレーンに、呂葉はにやり、と笑って答えた。
「盗人が見つかったあと、事情聴取されてたんだが…
家人や街のやつらが証言してくれたんだ。
俺とあの女が一緒にいる姿を見たことがないとかな」
そして、隣に立つ弟を示し、言うことには。
「驚くことに呂真も証言してくれたんだぜ」
「ええ」
すでに、両者の誤解も解けたようだ。
卑怯な蛇の計略は、仲の悪い二人の間をさらに捻じ曲げたが…ついに、それも氷解したのだ。
「蛟龍の奴…俺が寝てたのをいいことに、俺に変身して命令をだしてたらしいんだ」
「家人や街の人たちが、その姿を見ていたのです」
「ヘヘ、皆には感謝しねえとな…」
照れ笑いをしながらそう言う呂葉に、呂真も相槌を打った。
「そして、あなたの副将たちの話で、すべて合点がいきました。
まさか、我が家の風習がそんな役目をもっていたなんて…」
意図したわけではないにしろ、長年都を守っていた呂家のならわし。
それを退け、奸智にたけた大望をものにせんとした邪龍。
しかし、今、その策は瓦解寸前に等しい…!

「私達も、急がねば!」
「ああ!」
幻杖使いの流竜馬と双戟使いのキャプテン・ルーガも、拠点に向かい疾走する。
その行く先を阻まんと、邪悪な化け物たちが怖気を奮うような唸り声を上げる。
「グ…ウ、ウウウ!」
のたくる蛇たちが、気味の悪い音を立てながら侵入者に向かって邪気を吐く。
「どけ!邪妖!」
「…一気に、決める!」
キャプテン・ルーガの頑双戟が、踊った―
瞬時、尖った一閃の刃が、蛇の胴を薙ぎ切った…
耳を覆いたくなるような絶叫が、空気を引き裂く!
「次の拠点を、流!」
「応!」
蛇たちの前に躍り出た、キャプテン・ルーガの叱咤を背に。
幻杖使いは疾走する、最後の拠点に向かって。
早く、一刻も早く!
邪悪を再び封ずるために、早く!

そして。
四つの拠点全てが、彼らの手に落ちる―

「…!」
東の拠点、神隼人。
巻きつける五色の糸は、魔を縛る。
「これで…」
北の拠点、キャプテン・ラグナ。
薫る菖蒲が、邪を脅かす。
「よし!」
西の拠点、キャプテン・ルーガ。
燃やす蓬の煙にて、拠点を清め。
「…さあ、効いてくれッ!」
南の拠点、流竜馬。
楝樹の芳しき香りにて、拠点を払い。
蛟龍を囲むように、邪気払いのまじないを。
さあ。
全ての準備は、完了した。
「邪悪を、四方から、押し包む、」
一氷が謳い上げる、念を込め、悪に対する怒りを込めて。
「五色の糸、菖蒲、」
彼女のまわりにぼんやりと浮かび上がる、呪力に満ちた輝き。
「私に、力を…!」
持てる力を全て注ぎ込み、それは完成する防魔壁、
刹那、
清浄な気が、戦場を全方位余すところなく波のように吹き抜けていった―!

<聖なる気が戦場に満ちる…!>

そして、次の瞬間戦場を満たすのは、
「う…ぎゃあああ!」
地の底から響いてくるような…邪龍の絶叫!
周囲を強烈な浄化の気で包まれ、暗黒は苦痛にその身を捩る!
「ち、力が…我の力がなくなる…!」
目に見えぬそれはあたかも棘縄のごとく蛇を締め付ける。
致命的なほどにその力を封じられた異能の蛇が、破魔の呪いにその身を焦がす…
自棄になったか、それとも逆転を狙う気か。
その蛇眼をぎらつかせ、苦悶の汗で全身を濡らし、それでも渦巻く憎悪を絶やすことなく。
「お、おのれえぇ!こうなれば、一人ひとり我が手で引き裂いてくれようぞ!」
そう大声で咆哮するや否や、蛟龍は駆けた…
真っ直ぐに、エルレーンたちの方向に向かって!
「?!」
「ひ、ひいぃ?!」
呂兄弟の悲鳴が、散った―
信じられないものが、見えたのだ。
人間とは思えないほどの速度でこちらに駆けて来る、凄まじい怒りに満ち溢れた形相の女!
痺れを切らしたか、邪龍が自らとどめをささんと現れた―
嗚呼、けれども。
『主!今だ!』
「…うん!」
狼も、女衛将軍も、一目で見て察知した。
弱っている、先ほどよりも遥かに…
効いているのだ邪払いが、彼奴の邪気を奪い去っている!
鞘から抜き放つ真覇道剣が、太陽の光をはじいてまばゆく輝く、
それは悪逆を断つ、退魔の輝きだ!
「馬鹿め!貴様は、こ奴と遊んでおれッ!」
しかし、エルレーンたちが構えるのを見た蛟龍がとった手段。
それは、先ほど少女を打ちのめした、法外に効果的なあの手駒。
右手で素早く印を切る。それは合図。
その命を受け、邪龍の背後より駆け出してきたのは―
…あの、偃月刀使い!
少女の透明な瞳が、またも悲嘆と動揺で曇る。
「弁慶先生ッ…?!」
『…ッ!』
思わず漏れた、気弱な少女の…素の感情に、蛟龍はにやり、と下卑た笑みを浮かべた。
確信しているのだ。
この娘はこの男に剣を振るえぬ、と…
だからこのままこの木偶に殺されることしか選べないのだ、この小娘は!
エルレーンの悲痛な声が、震える―
先ほどの場面が、脳裏に瞬間かすめ…恐怖で心臓が硬直する。

だが、今度は。
部下に向かって剣を振るうことの出来ぬ無力な少女が打ち倒されるより前に、賢狼が動いた!

「!」
闇に操られ半ば盲目となった車弁慶を吹き飛ばしたのは…神龍剣!
地面に転がるその身体を、狼はその巨体を持って素早く押さえにかかる!
「?!神龍剣?!」
『案ずるな、殺しはせぬ!』
エルレーンの同様に、短くそう答え返す。
なおも暴れる偃月刀使いを必死に押さえ込みながら。
『蛟龍を倒さば、こ奴の呪縛も解けよう!
…早う、それを打ち倒せッ!!』
「…!」
偃月刀使いはものすごい力で抵抗しているのか、神龍剣の声にも緊迫が満ちている。
何とか、彼が車弁慶をねじ伏せてくれているその間に、蛟龍を倒さねば…!
ぎりっ、と、女衛将軍の瞳が険しくなる。
そこに宿るは、剣士としての魂!
「シャアアアアアア!!」
「ぐッ?!」
蛇の雄叫び!
同時に蛟龍の両手、その爪が長く伸び上がり…エルレーンに襲い掛かる!
跳び退って辛くも避けたものの、右腕に痛みが走る。
まるで鉄鈎のごとく変化したそれは、肉を引き裂く刃そのもの!
「死ねえええ、小娘ぇぇぇぇぇッ!!」
「…させないッ!」
けれども、燃え立つ闘志がそれしきの傷で消えることはない、
少女は渾身の力を込めて宝剣を握り締め、空を断ち割る―
次元をも断つ鋭さで、
空間をも斬る素早さで!
「はっ!」
「?!」
振り払う、その刹那に…
邪龍の爪も、砕け散る!
すさまじい衝撃に吹き飛ぶ蛟龍、いち早く立ち上がらんとするも―
己が爪を破砕され、最早斬撃を受け止めるだけの力もない!
愕然となり棒立ちになった龍の為り損ないに向かい、エルレーンは吼えた!
「…蛟龍、覚悟ッ!!」
真覇道剣が、女の姿をした蛇の胴体を…真一文字に、通り抜ける!
剣の柄に伝わる手ごたえに、女衛将軍は勝利を確信した…!
「うああああああああああああああああ?!」
かっ、と見開かれた目、絹引き裂く断末魔。
人の形をした邪悪が、渾身の斬撃にて受けた決定的なまでの深手に悲鳴を上げる。。
「ぐ…う、」
ふらふら、と、立ち上がろうとする蛟龍、だが…
「わ、我は…今年こそ、龍に…ッ」
もう既に、その霊力はほぼ失われている。
ばちばち、と、漏れ出だした暗黒が、暗い霧のように蛟龍の周りに噴出す。
いまや女の姿を保つことも不可能なのか、その身体が揺らぎ、巨大な蛇の本性が見え隠れしている。
「我は、またもや龍になれぬのか…ッ?!」
天を仰ぎ、心底口惜しそうに吐き出し―
最後に、射殺すかのごとき剣呑な瞳で、エルレーンをねめつけた。
「あ、あきらめぬ!再び相見えようぞ、小娘…ッ!」
蛇は、本当の龍になることを夢見た邪悪な蛇は、ありったけの力で呪いを吐き捨て―
「シャオオオオオオオッ!」
「?!」
その顎(あぎと)を大きく開き、凄まじい勢いで黒い闇を吹く!
闇に視界を奪われ、困惑する女衛将軍。
そして、その闇の霧が薄れ、完全に消え失せた時には…蛇の姿は、もう何処にもなかった。
風が吹き渡る、川面に波紋を生みながら。




静寂が帰ってきた空間には、いつの間にか…人間たちだけが、残されていた。





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