A War Tales of the General named "El-raine"〜とある戦記〜(29)


期間限定特務「狼の化身」(1)

「ふう…これで全部買えましたかねぇ…」
小雪がちらつく、孫権軍が主要都市・建業。
その街中を、何やら大量の食材だの何だのを抱えて歩く、翠の鎧をまとった武官の姿。
双戟使いの鉄甲鬼は、この国の衛将軍が一人、エルレーンの副将である。
が、繊細…といえば聞こえはいいが、まあ率直に言えば気の弱い男である彼は、押しの強い面子揃いの副将たちの中でやや立場も弱く。
今日もこうして、(否応なく)寒い中を買出しに追いやられたのであった。
だがまあ何とかそれも終え、家路を急ぐ彼が広場の一角に差し掛かった…
その時だった。
「…はぁ」
何処か愛らしい、女のため息が空に散った。
「?」
だが、不思議なことに。
雪の降るその一角に、自分以外の姿は…ない。
しかし、
「どうしよう…どうしたらいいんだろ…」
なおも、途方に暮れたような彼女の声。
声だけが、またかすかに反響していく。
自分以外に、人っ子一人いないのに…
「…?」
…いや、そうではなかった。
石柱の影に、いた。
小さな子犬が。
薄茶色の毛皮をしたその子犬に、ふと鉄甲鬼が目をやった―
その瞬間。
「!」
「ッ?!」

くっ、と、その子犬が真っ直ぐに鉄甲鬼を見た―
まるで、彼の気配を察したかのように!
そしてその口が動いてつむいだのは咆哮ではない、
「あッ…あ、あなた!わ…私の声が聞こえるのですかッ?!」
それは、紛れもない人語…
先ほどの女の声だった!
「え、え、えええッ?!」
「や、やっぱり!聞こえるんですね?!」

とんでもない、信じ難いものを目にした鉄甲鬼が、我知らず驚愕の声を上げる。
驚きのあまりに、両手に抱えた大荷物を思わず放り出してしまった。
どさり、ごろごろ、と地に転がる野菜だの何だのに目もくれず。
子犬は、ひたむきな目で彼を見つめ、尻尾をふりながら近づいてきた。
「え、あ、そ、その、せ、拙者は…」
「よかった…!やっと見つけた!」

そして、きらきら光る瞳に動揺する鉄甲鬼を映しこみ、彼女は言った―
「お願いです!…私の友達を、助けてくださいッ!」


「…で?」
「え、えーとぉ」
己が主君・エルレーンと、居並ぶ仲間の副将たちの前。
ちょこん、と座り込んだ双戟使いが、最後に言うことには。
「そ、それでですね?明日、その悪人どものたむろしているらしき河港に来てほしいと…」
「…」
「…」
「…」
「…」
しいん、とした。
文字通り、静まり返った、その場の空気。
…やがて。
途方もない、ある意味常軌を逸したことを告白してのけた己が部下・鉄甲鬼に対し、
「…て、鉄甲鬼」
衛将軍殿が、戸惑いがちに、そして遠慮がちに言った―
「も、もし…ね?そんな幻覚を見るほど、つらいことがあるなら…ね?
わ、私たちに話してくれてもいいんだよ…?」
「ち、ち、違いますって!」
人語をしゃべる犬に会って助けを乞われた、などと言うことが、にわかに信じられるはずもない。
幻覚を見た、精神に異常をきたしたと言われ、鉄甲鬼は必死に否定するものの。
「本当に!本当にその犀犬(サイケン)という犬がしゃべったんですよぉ!」
「……重症」
だが、彼が一生懸命に主張すれば主張するほど、仲間たちの疑いもなお深く。
沈痛な吐息とともに短く吐き出された、双錘使い・神隼人の端的な一言こそが、彼らの一致した感想だった。
直槍使いの巴武蔵と、偃月刀使いの車弁慶などは…
「あーこれマジヤバいんじゃない?
アレだよほら、こないだ弁慶のおっさんが訓練中頭を思いっきり叩きのめしたから…」
「なッ?!し、知らん、俺は知らんぞ?!俺のせいではないッ!」
などと、可哀想な普段の彼への扱いがしのばれるような碌でもない会話をかわす始末。

物柔らかな口調の蛮拳使い、キャプテン・ラグナは、
「これは参りましたねえ。医者でも呼んできましょうか?」
やはりその物柔らかな口調で黒いことを言っている。
「も、もーう!拙者は頭がおかしくなったわけじゃありませんッ!」
皆の馬鹿にしたような(そしてある意味当然でもある)反応に、すっくと立ち上がって反論する鉄甲鬼。
彼の話を総合すると、こうだ。
彼が出会った子犬、犀犬は、人語を解する化生・狼の化身。
彼女は友たるもう一匹の犀犬と、この大陸をいろいろ旅して回っているのだそうだ。
が、この建業にたどり着くその少し前、彼女の友は怪しげな荒くれ者どもに襲われ、捕まってしまった…と。
そこから何とか逃げ延び、この都にたどり着いた彼女は、程なくこんな噂を耳にすることになる…
「暴れ狼を従えた賊が、河港付近にのさばりだした」と。
その暴れ狼こそ間違いなくさらわれた友だ、そう確信した彼女。
だが自分だけでは、あの賊どもを追い払うことはできない。
何とか自分の味方をしてくれる人間を探していた…
そして。
彼女が見つけ出したのが、双戟使いの鉄甲鬼だった…と。
「う、嘘だと思うなら、エルレーン様!明日の朝、一緒に河港まで来て下さいよぉ!」
「え、えー…?!」
「本当なんです!本当なんですったらあ!」
と、埒が明かないと思ったのか、主君にすがりだす鉄甲鬼。
必死に目をうるうるさせて懇願してくる彼に対し、困惑気味の表情を返したものの。
…だが、よく考えてみれば、河港を賊が席巻しているとなれば、その討伐はいずれ必要となるだろう。
その時は、早いほうがいいに違いない。
そう判断した彼女は、彼の望みを聞き入れ、明日の早朝、彼とともに河港へと赴くことにした。
…もちろん、犬がどうとかこうとか、そんなことはまったく信じてはいなかったのだけれども。


しかしながら。
間違っていたのは、エルレーンのほうだった…
結局のところ、鉄甲鬼はもの狂いしていたわけではなく、
まったくに本当のことを語っていただけなのだから。


「あ…っ」
明日。早朝。
各々手に己の武具を携えて現れた衛将軍と双戟使いを出迎えたのは、
「お待ちしていました!」
あの小さな茶色い子犬…
「?!」
「あ…?!」
では、なかった。
喜びの声を上げ、うれしげに駆け寄ってきたその姿を見て、ぽかん、となる二人。
それは、黒鎧を身に着け髪を高く結い上げた、異国的な顔立ちの女。
褐色の肌のあちらこちらに戦化粧を施したその女は、きらきら輝くような目で鉄甲鬼たちを見つめている…
「ありがとうございます、鉄甲鬼さん!私の言うことを信じてくださったんですね?!」
「あ、は、はい」
「そちらの方は?」
「せ、拙者の主君、エルレーン様です」
「エルレーンさん…!あなたもお力を貸してくださるのですか、ありがとう…!」
「う…うん」
待ち望んだ協力者をやっと得た、というような喜びにあふれる表情で、彼女は幾度も幾度も礼を言う。
半ば放心した状態の二人は、その女に押し切られるように、こくこくとうなずくばかり。
一体これはどうしたことだ、おかしいではないか。
賊どもを倒し友を救ってほしいと嘆願してきたのは、犀犬…狼の化身ではなかったか?
では何故に、この女が…?
一瞬二人の脳裏をよぎったのは、そんな当たり前の思考。
嗚呼、だが。
確かに、彼女が、彼女こそが、鉄甲鬼が会ったという不思議な子犬、犀犬。
確かに、彼女は…犬、だ。
嗚呼、何故なら…
「さあ、それでは参りましょう…彼は、荒くれどもと一緒にいるはずです!」
笑顔で促す女に、だが…エルレーンと鉄甲鬼は、お互いに顔を見合わせ、立ち尽くすばかり。
「…」
「…」
「…ね、ほ、本当だったでしょ…?!」
「う、うん…し、信じる、私信じる…だ、だって」
鉄甲鬼の言葉に、エルレーンも…何度もうなずいて。
そして。
彼らの視線が、自然に…褐色の女に向く。
黒革軽甲の守るその腰、ちょうど尻の付け根のところ、から―
「…」
「…」
ごくり、と、思わず息を飲む二人。
そう、そこからにょっきり突き出ているのは…ふわふわの、長い…犬のしっぽ
ばっさばっさ、と、彼女の喜びを表現するように、激しく空を切っている。
「…」
「…」
きっと気を遣って人に化けてきてくれたのだろうが、そこだけは立派に元のまま。
ばっさばっさ、と己の正体を自己主張するそれに、二人の目は釘付けのまま―
「お二方!どうされたのですか?」
「あ、ご、ごめん!」
―と。
その当の犀犬に呼びかけられ、我に返るエルレーンたち。
彼女のほうに駆け出そうとした…
その刹那だった。
「!」
哀しげな、それでいて怒気を含んだ咆哮が、戦場の空気を震わせた。
それを耳にした瞬間、犀犬…女の表情が一変する。

<戦場の北部から狼の遠吠えが聞こえる…>

だから、エルレーンと鉄甲鬼も直感する―
それは、彼女の友の声なのだ!
「北に向かいましょう!」
彼女の声音が、にわかに緊迫感を帯びる。
雪が舞い降りる、冷たい空気を裂き。
三人は…二人と一匹は、一斉に北に向かって駆け出した…!


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