A War Tales of the General named "El-raine"〜とある戦記〜(12)






不可思議な、夢を見た。
私は、それをただ見ていた。
いつもの、あの夢。
私と同じ「名前」で呼ばれる、あの少女の夢。
少女と同じ姿かたちをしたその青年は、おそらく彼女の兄。
彼女と同じように笑い、彼女と同じように歩き―
だが、その全てが、何処か彼女とは違っている。
黒い瞳に映すのは、己が妹。
彼女は、微笑っている。
少女は、彼に護られて、穏やかに微笑っているのだ。
彼の「名前」を、私はなぜか知っているような気がした。
嗚呼、そうだ。
とても、よく、知っている。

―「流竜馬」。




206年 某日
軍の訓練場。昼下がり。
多くの兵たちが、来るべき戦に向けて修練を積む。
剣を振る者。槍をすなる者。
そして、その一角にて、一対一の戦闘訓練を行っているのは―
「ていっ!はあっ!」
「く、…っ!」
宝剣を振りかざす袁紹軍が四征将軍・エルレーン。
そして彼女の忠実なる副将が一人、幻杖使いの流竜馬…
夢の中のあの青年と、同じ「名前」を持つ青年だ。
主君と部下、そして練兵とはいえ、二人の繰り出す技は鋭い。
エルレーンの剣劇が、じりじりと流を追い詰める―
「いきますよ、エルレーン殿!」
「うんッ!」
…が、気合一閃。
崩れかけた体勢をすばやく立て直し、流が雄叫ぶ…
エルレーンは、応じる。
かざす幻杖に念を込め、長身の戦士が舞い上がる!
「うおおおおおおお!」
「…!」
落ちてくる幾多もの打撃を注意深く切り払い、彼女は反撃の時を待つ。
無双乱舞の猛攻に、間断なく加えられる攻撃に耐えながら。
だが―
次の瞬間彼女の視界を埋め尽くしたのは、渾身の力で放たれた…強大な火球!
「きゃあっ!」
さすがに予測できなかった最後の大技に、少女は抗うすべもなく吹っ飛んだ。
その勢いのまま、訓練場の壁にしたたかに打ち付けられる。
身を丸めて痛みにうめくエルレーンの元に、泡を喰った流が駆け寄ってきた…
「も…申し訳ない!大丈夫ですか?」
「う、ううん!大丈夫…!」
彼に抱き起こされながら、力なく笑うエルレーン。
思いもしない攻撃にとっさに対応できなかったとは言え、結構今の一撃は強烈だった。
「…ふう」
ぱん、ぱん、と、顔や腕にからんだ土ほこりを払いながら。
「すごいね、流…」
女将軍は、幻杖使いに笑いかけた。
「昔より、ずっとずっと強くなった…
えへへ、もう…私より、強いのかも?」
「い、いいえ、とんでもないッ!」
だが。
己の主君に冗句のような言葉をかけられても、この真面目な幻杖使いはそれを真っ向から受け取ってしまう。
顔を真っ赤に染めながら、そんな言葉など恐れ多いとでも言わんばかりに慌てている。
「わ、私には、あなたよりまだまだ学ばねばならないことがたくさんあります!
そのためにも、そしてエルレーン殿、あなたを守るため、私は…」
「うふふ、わかってるよ」
そして、彼女もそんな真摯な彼を知っているから。
だから、笑いながら、重ねて言う。
「わかってるよ、流…いつもありがとう、私を助けてくれて」
「いえ…」
流竜馬は、どちらかといえば幼な顔のほうだ。
そのためか、彼が照れ笑うと、まるで少年のようなあどけなさがそこにあらわれてくる。
―夢の中の、あの青年のような笑顔。
「…」
つい。
じっと、見つめてしまう。
「…?エルレーン殿、何か?」
「!…あ、な、何でもないよ」
呼びかけられ、首を振るものの。
また、その透明な瞳は、賢良なる幻杖使いを追いかける。
「…」
じっと、見つめてしまう。
その顔つきも、体格も、声も、言葉遣いも、年も。
いろいろなことが違うのに、何か同じものを感じるのだ…
夢の中の、あの青年と。
それは、彼と同じ「名前」を、
あの青年も持っていたからだろうか―?


彼女のとりとめのない夢想が切り裂かれたのは、その刹那だった。


「?!」
ぞくっ、と、身体が戦慄した。
寒気にも似たそれは、だが決して寒気ではない。
感じたのだ。
気味の悪い、まがまがしい何かを感じたのだ…
はじかれたように、目を向ける。
探す。その何かを。
容易に彼女の瞳は見つけ出す。
木の枝の上に、それは立っている。


 それ は、人間だった。
少なくとも、人間の形をしていた。


「?…どうなさったのですか、エルレーン殿?」
「…あそこに、…人が」
問い掛ける幻杖使い。
彼女の凝視する先には、訓練場の壁の向こうに植わった木々。
「ひと…?」
彼女は、人がそこにいる、と言う。
流には、見えない。
「何処です?」
「ほら、あそこ…」
そう言って、少女は木を指差す。
だが、しかし―
そこに視線を転じても、彼には何も見えなかった。
ただ、木の枝葉が風に揺らいでいるだけ。
「…?」
戸惑う幻杖使い。
が、少女はそこに老人の姿を見ている。
そして、彼女はその老爺を知っている―
その、次の瞬間。
「!」
見た。
その老人が、確かにこちらを、
見た。
いや―
この自分を、見たのだ。
直感するや否や、少女はそちらに向かって走り出す。
それを認めた老人は、ひらり、と身を翻し、その場から去っていかんとする…
「ごめん、流、私ちょっと…!」
「え、エルレーン殿?!」
流竜馬の呼ぶ、困惑気味の声にも振り向かず。
少女は駆ける。一目散に。
何故なら、嗚呼、あの老人は―
確かに、この自分を見ていた。
この自分を、呼んでいた―


「あ…あの!」
訓練場を飛び出、街中を走り、向かっていくのは
誰もいない中央広場。
「…」
背中に飛び掛ってきた己を呼ぶ声に、ようやく老人は立ち止まる。
そして、振り返る。
少女と、対峙する。
「…」
「…久方ぶりよの、そなたに会うのも」
「…左慈、仙人」
鷹揚な言葉が、ゆっくりと老人の口から流れ出す。
少女のからからに渇いた喉が、ひきつれたような音を出した。
いつの間にか、緊張で身体がこわばっている…
目の前の体躯小さき老人に、少女は確かに威圧されている。
天を穿つ白髪、叡智を刻み込んだ顔を、不吉とも言える隈取りが彩る。
道士服をまとったその老人を、彼女は知っていた―
左慈。
様々な術を会得し「仙人」の高みまで昇った、謎深き老爺。
彼女は、この老人と出会っている。
そう。
この世界に在るすべての者が、確かにこの老人と出会っている。
「そなたの内に秘めた、武の輝き。以前よりその強さを増しておる…
が、同時に、」
浮世離れした仙人の言葉は、まるでうたうように。
しかしながら、少女に向けるその瞳は、冷たくそして鋭く―
「…同時に、そなたの負った罪の闇も…また、一段と濃くなった」
「…」
真実を、貫く。
その視線、老人の放つ異様な空気に気おされ、エルレーンはかすかに身を震わせる。
かつて、戦にて身を立てることを志し、軍に向かった、あの時。
自分に声をかけ、武将へと導いた…
その仙人・左慈の再来に、少女の胸は不安でざわめく。
「…何故、」
硬直する舌を叱咤し、何とか言葉をつむぎ出す。
「何故、また私の前に…?」
「…ふむ、」
少女に、問われ。
長く伸ばした白髭をもてあそびながら、やはり声音低くうたうように、左慈は告げた。
「ふと、予兆が見えたものでな…
そなたに、伝えておくほうがよかろうと思ってな」
「予兆…?」
「そうだ」
老爺は、うなずく。
困惑する少女を真正面より見据え、幾星霜を見通す魔は厳かに宣告する…


「近い将来、そなたは―」


夕焼け空が蒼空を侵食し始める。
何処かで、からすが哀しげに鳴いている。
人気が少なくなっていく訓練場で、立ち尽くす青年…
―すると。
「…!エルレーン殿!」
「ごめん、急に」
だんだんと濃くなっていく自分の影を大地に引きずりながら、少女が向こうより駆けてきた。
「いえ…そろそろ夕刻です、帰りましょうか?」
「うん…」
ほっとしたような風を見せる流竜馬に、エルレーンは少し微笑んでみせた…
…が、その表情には何処か影がさす。
少女は何処か上の空で、副将の言葉を聞いている…


「…」
「…」
「…」
幻杖使いは、歩き続ける。
女将軍も、歩き続ける。
お互いに、押し黙ったまま。
無言のまま、二人は家路を歩む。
「…何か、あったのですか?」
「え…」
しかし。
何処か浮かない様子の主君を案じたのか、流が先に口を開いた。
「先ほどより…何やら、難しげな顔をしておられる」
「…」
心配げな表情で自分を見つめる流に、弱々しく少女は笑い返す。
…その時。
少女の唇が、ささやいた。
「…ねえ、流」
「なんですか?」
幻杖使いの瞳を、見上げながら。
少女は、小さな声で問うた―
「宿命って…信じる?」
「…?」
首をかしげた流に、重ねて問う。
「例えば、私が。私が、この世に生まれた時から…私が往く道は、決まってたのかな?」
「…」
「私が、こうして…将として、戦うことも」
「さあ、どうでしょう…ですが、少なくとも、」
整った相貌が、優しい笑みの形に変わる。
エルレーンに笑いかけながら、流竜馬はこう言うのだ。
「あなたは、勇敢な武将ですよ…
それこそ、武の道を選ばれたことも、天啓のように思えます」
天啓…」
天啓。天の導き。天の采配。
その言葉を、彼女は今しがた耳にした。
あの仙人の口から放たれたその言葉を―
その言葉のせいだろうか。
彼女に、はからずも…こんな台詞を言わせたのは。
「ねえ、流」
「なんですか?」
柔らかな口調で問い返す副将に、少しためらいがちになりながら。
エルレーンは、問うた。
「もし、宿命と言うものが…本当に、あるとしたら」


「それは―私が、この『名前』を受け取った時から始まったのかな?」


「…?」
その問い掛けの意味を捉えきれず。
少し困ったような顔になる流竜馬に、彼女は続ける。
ぽつり、ぽつり、と語り続ける。
「私の『名前』…エルレーン。
エルレーンというこの『名前』は、私の宿命を動かしているんだろうか」
「…」
「こうやって、戦う道を選んだことが、私の宿命なら…
この『名前』は、それをきざしていたのかな?」
「…『名前』は、人間にとって生涯背負うとても大切なもの」
しばらく黙って、その唐突で不可思議な問いかけを聞いていた流竜馬。
彼は、少し考えてから、彼女の言葉に和す。
「ですから、そのような力もあるのかもしれませんね」
「…じゃあ」
更なる、問い掛け。
それは、少女が長い間、ずっとずっと胸のうちに秘めてきた問いかけだった―


「じゃあ、もし…もし、この空の下。この空の下に―私とまったく同じ『名前』を持つ女の子がいたら?」


「同じ『名前』のその子も、私みたいに―戦いの中に在るのかな?」
「エルレーン殿…」
もし、同じ「名前」の女が、この世にもう一人いるとしたら。
…多くの者にとっては、出し抜け過ぎて意味のわからない前提。
けれども、彼女の副将たちは皆知っている。
「それは、あの…?」
「…うん」
「あなたと同じ『名前』、しかも同じ顔、同じ姿の少女の夢…ですか」
「…」
少女の幻夢の中。
最早それは「もうひとつの日常」と呼んでもよいくらいの頻度で、その世界は現れる。
知らない風景。知らない場所。
だが―その中に、少女は常に「彼女」を見る。
自分と同じ顔、同じ姿。
そして自分と同じ「名前」を持つ「彼女」―
El-raine(エルレーン)
「…思ったんだ。何故、私はその子の夢を見続けているんだろう、って」
夕闇が、徐々に濃くなって。
「同じ『名前』…同じ顔。私たちは、もしかしたら、」
歩み続ける二人の隙間を、埋めていく。
「もしかしたら、同じ宿命の下にあるのかもしれない」
太陽が、徐々に逃げ去って。
「そうして、この世界の何処かで。何処かで、あの子も戦っているのかもしれない―」
月の支配する世界、夜がやってくる―
また、あの夢の世界が。
少女の独白を、最後まで流竜馬は聞いていた。
…そのまま、沈黙を崩さないまま。
幻杖使いは、歩き続ける。
女将軍も、歩き続ける。
途切れた会話は、そこでなし崩しに終わり。
無言のまま、二人は家路を歩む。


何処かで、からすが哀しげに鳴いている。


「…」
「…」
「…」
「…」


―と。
「…ご、ごめん、何か…馬鹿げてるよね、私」
あまりの空白に居心地が悪くなったのか、少女は…
自嘲するように笑い、支離滅裂なことを口にしたことを詫びた。
「いいえ」
くすり、と微笑んで、整った顔立ちをほころばせながら、流は首をふった。
「私はそうは思いません、エルレーン殿」
「流…」
「あなたの『名前』が、あなたに戦いを宿命付けたのなら。
その娘も、決して死にはしないし、戦いに散りはしないでしょう」
力を込めて発される言葉は、確信。
静かに、親愛を込めて見つめているのは、己が主君の瞳。
透明な、瞳。
「何故なら―彼女も、あなたと同じ『名前』を、宿命を持っている」


「ならば、あなたと同じ『強さ』をも持っているはずです―!」


そう言って、賢良なる幻杖使いは笑った。
黒い瞳の、猛き、心やさしき副将。
彼の穏やかな笑顔は、いつも少女を支えてくれる―
夢の中でみた、あの青年と同じ笑顔。



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