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◆ 誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)〜tranquillo〜
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「…あー、」
―と。
少女の視線が、地上、闇の中に動く点を捕らえる。
薄暗くて元気にはよく見えなかったが、彼女は闇を見通せているらしい。
「ブロッケンさんだぁ」
「え、どこどこ?」
「ほらぁ」
指で示され、ようやくその姿が暗闇から切り分けられた。
…何かのケース?を手にした男が、グールから離れ…森の中へ。
「…?こんな夜中に、何しに行くんだろ?」
「えへー、行ってみる!」
「あっ、お姉ちゃん!」
待って!と言う間も元気に与えず、てふてふ、とエルレーンは駆けて行く。
そして、見る見るうちにその後ろ姿が小さくなっていき…消えて行ってしまう。
そんな少女の様子を見て、呆れ果てたように長身の怪人は…あしゅら男爵は大仰に嘆いて見せる。
裏にある言葉の棘を、隠しもしないで。
「…やれやれ!あんな陰気な男になつくとは、お前たち餓鬼の気が知れんな!」
「…」
悪びれるふしもなく、堂々と同志をさげすむあしゅら。
直球過ぎるその態度に、なんだか元気のほうがむしろいたたまれなくなってしまって。
つい、聞いてしまう。
「あ、あしゅらさん…」
「何だ?」
「あしゅらさんとブロッケンさんって、すっごく仲が悪いんだね…
あしゅらさんはブロッケンさんのこと、嫌いなの?」
「ああ、当たり前ではないか!」
そうすれば、それに対する答えも、また直球の剛速球だった。
からり、と。さっぱり、と。
あっさりそう切って捨てる男爵に、なおさら元気は驚いてしまう。
「い…言い切っちゃうんだ?!」
「そのとおり、私はあの男が嫌いだ。当然ではないか?」
「と、当然って…」
明々白々な事実だ、と言わんばかりにあしゅらは言ってのける。
どうやら、彼とブロッケン伯爵の間には、日本海溝よりも深い深い溝があるらしい…
…今更ながら、よく協力して百鬼帝国のロボットと戦えたなあ、などと、元気は思ってしまった。
「…本当にブロッケンさんのことが嫌いなんだね、あしゅらさん」
「ああ」
うなずくあしゅら。
しかし、元気は次の言葉を聞いた瞬間、息を飲んでしまう―
彼が伯爵を嫌う理由、それがあまりに…不測かつ衝撃的なモノだったから。


「あいつは、『死にたがり』だからな」
「えッ?!」
「ああ、『死にたがり』だ」


男爵の男女二色の声が、同様に侮蔑の色を込め、同様に憐憫の色を込め、
あの首なし騎士(デュラハン)を侮る。
「あいつは、生きてはいない。生きようとしていない。ただ、死んでいないだけだ」
…すなわち、死んでいないだけの半死人だと。
元気の脳裏に、機械仕掛けの軍服男がよぎる。
あの、強張った、表情のない顔で。
その中で、異様を放つのは、その瞳…
…黒い瞳。
そう、黒い瞳だった。
「自ら生きようと、あがこうとしない。自ら生きようと、望みすらしない。
死神の影を引きずって、引きずったままで、ただこの世に『存在している』だけだ」
「…」
「そういう『人間』は、見ていて腹が立つのだよ…
生きようとして生きられなかった、そういう者もいるというのに」
「…」
「…だが、」
少年は、あしゅら男爵の言葉に、再度驚く。
何故なら、伯爵を散々嘲罵した後…彼の言葉の矛先は、まったく違う方向に転じたからだ。


「あの小娘のほうが…その意味で言えば、より危ういがな」
「…?!」


「あの小娘」のほうが、「より危うい」…?!
仰天し自分を見返してくる少年に、少しばかり眉をひそめながら、男爵は軽くうなずく。
ふうっ、と、吐息とともに、彼は吐き出した。
それは、あの少女に対する、真正直な直感。
「あの、エルレーンという小娘は…ブロッケンよりも、深く重い『死にたがり』だ」
「!」
「死」という言葉の響きが、なおさらに不吉に響き。
元気のまぶたの裏に明滅する、あのシーン。
フラッシュバックするのは、そう、あの時の…
「お姉ちゃんが…?!」
「そうだ」
多少、その口調に、哀れみが混じったように思えたのは、気のせいだろうか。
あしゅらは、はっきりと断言する。
エルレーンと呼ばれる少女が、首なし騎士(デュラハン)同様の闇に陥っている、と。
「そ、そんな…そんなことは、」
「そんなことはない、とは言えないだろう、小僧。
…事実、あの小娘は、いとも容易く敵の術中に堕ちた。ブロッケンは己で打ち破ったにもかかわらず」
「…」
「小僧。あの小娘は、死せる者の幻惑に堕ちたのだ。そして、現実を踏み外した」
そうだ。
また、元気の脳裏に巡る、あのシーン。
エルレーンは怪光線を浴びせられ、
その中で、もうすでにいない女(ひと)の幻を見、
幻の命じるままに、剣を振り下ろそうとした―自らを斬り裂かんと!
ブロッケン伯爵のダイマーU5が間に合ったからこそ、「その目的」は達せられなかったものの…
真っ直ぐ「それ」に手を伸ばした、迷いなく。
同様にあの怪光線にさらされたブロッケンは、少しの間幻に惑わされはしたものの、そこから自力で抜け出したというのに―!
「…」
元気は、無言。
あしゅらの言葉が、エルレーンを引き戻してくれなければ。
確かに彼女は、間違いなく「そう」していた…


「…きっと」


ぽつり、と。
元気の口から、力なく言葉が漏れる。


「まだ、お姉ちゃんは…こころのどこかで」


それは、うすうす、思っていたことかもしれない。
リョウや、ハヤトや、ベンケイや、ミチルがいる場所では、絶対に言えない言葉。


「自分は、生きてちゃいけない、生きててもしかたない、って、思ってるのかもしれない」


ゲットマシンやコマンドマシンに乗って戦いこそしないけれども、元気もまた、見ていた。
今よりずっと昔に思えるけれども、まだこころの傷を癒すには足らないほどの時間しか流れていない、あの時のことを。
恐竜帝国の戦士として戦うエルレーンを。
リョウたちと恐竜帝国の板挟みになり、引き裂かれた彼女を。
あの女(ひと)を失い、混乱の果てに「それ」を選んだ彼女を。
ああ―
あの時と、似ている。
彼女は、自分を消したがる。
それを、あしゅらは端的な言葉で表しただけだ…
―「死にたがり」、と。


「いつもは、笑ってるけど、」


ぽつ、ぽつ、と、元気は漏らす。
リョウや、ハヤトや、ベンケイや、ミチルがいる場所では、絶対に言えない言葉。
それくらいの分別は、彼にもあった。


「昔のことなんてなかったみたいに、笑ってるけど―」


何故なら、彼らは、エルレーンの愛する「トモダチ」だから。
けれど、あの女(ひと)を殺したのは、他でもない彼ら。
彼女の母親ともいえるあの女(ひと)は、彼らの手にかかって、死んだのだ。


「それって、結局は」


彼らは、エルレーンの愛する「トモダチ」だから。
エルレーンも、だから、言わない。
あの時のことを、誰にも言わない。
あの国のことを、誰にも言わない。
―あの女(ひと)のことを、誰にも言わない。


「…僕たちには、周りにいる僕たちには、誰にも話せない、ってこと、なのかもしれない」
「…」


さやさや、という、静かな葉ずれの音。
それとも、それは、頭上にきらめく星々の歌声だろうか。
人里離れた山の中、森の中、
都会の、人口の明かりが打ち消してしまう星の輝きは、ここでは誇らしげにさんざめいている。


「小僧」
あしゅらが、再び口を開く。
「…それが、哀しく思うなら」
「わ、わっ」
女の白い手が伸びてきて、野球帽をかぶった元気の頭を、やや乱暴にかきなぜた。
目を白黒させる元気に、異形は笑ってみせる。
思いのほか、それは陽性のもので。
だから、元気は少し、あっけにとられる。
続くあしゅらの言葉が、さらに元気を困惑させる。
「お前が、助けてやればいい」
「え…」
「お前が…お前たちが助けてやればいいではないか、小僧」
「え、で、でも、」
それは、率直で、わかりやすく、単純な忠告(アドバイス)。
苦境にある者がいるなら救え、と。
それだけの、シンプルな助言。
「お前は…あの小娘の『トモダチ』なのだろう?」
「…!」
「トモダチ」という言葉が、刺さる。
なおさらに、「何故、お前は彼女を助けようとしない?」と、責めるように。
―それでも。
幼い少年には、見えやしなかったから。
「だ…」
けれども、元気は下を向いてしまう。
「だけど…ぼ、僕は、何にも出来ないよ」
「…ほう?」
見上げる視界に、星空と異形。
蒼い目と黒い目の異形が、元気の独白を見下ろす。
「だって、あしゅらさん、僕は…僕は、何もできやしないよ。
どうやって、エルレーンのお姉ちゃんを助けたらいいの?
敵と戦ってみんなを守るとか、そんな事もできないし…」
「…別に、そうする必要もあるまい」
「で、でも、」
くっ、と、男爵が唇を笑みらしき形に歪めて、続ける。
「お前には、お前にしか出来ないことがあるはずだ。それをすればいい」
「僕にしか、出来ないこと?」
「そうだ」
まるで、「当然のことだろう?」と、呆れ混じりに言うように。


「戦士は、戦いで。神官は、祈りで。詩人は、歌で。職人は、技巧(わざ)で。
王は統治し、商人は商(あきな)い、教師は子を教え、農民は畑を作る」

「誰もが、自分なりに、自分にしか出来ないことを。
それでこの世の中は回っていくのだ」

「だからそれで構わん、小僧。…お前は」


少年に、この世の理(ことわり)を、
何千年も続いてきたこのヒトの世の理を、噛んで含めるように説いて。
怪人は微笑した。
「お前の、出来ることをやればいい」
自らの行動を、「選んで」いけばいい、と。
選ぶことのできる者は、決して無実であるはずがない。
選ぶことのできる者は、決して無力であるはずがない。
お前は無実でも無力ではない、と。
だから、己の出来ることをやればいい、と。
「…」
「そうして、」
確信を込めて、続ける。
「お前も、あの小娘を助けてやればいい…
今日、あの小娘が、命がけで戦い、お前を救ったように」




あしゅらが、あまりにも確信を込めてそう言ったものだから。
だから、元気もうなずいた。
だから、元気もうなずいたのだ。





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