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◆ 誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)〜pesante〜
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「…!」
「…」
あしゅらの目が、屈辱に鋭く尖る。
兵士に抑えられた元気の顔が、多少の安堵にゆるんだ―
ブリッジの入り口が、再び静かに閉じられていく。
廊下を翔け去っていく少女の、見る見るうちに小さくなる背中を最後に…
「逃がすな!あの小娘を捕らえろ!」
「は、はッ!」
「いいか、殺すな!生け捕りにするんだ!」
一瞬の間もおかず、あしゅらはなおも怒号を上げる。
床に転ばされたり投げられたりしていた兵士たちが、鞭で打たれたように飛び上がり…慌てて、駆け出した。
ブリッジからあわただしく十数の兵士たちが出払っていく。
その横で、あしゅらの怒りの矛先はブロッケンに向けられていた。
…やろうと思えばあの少女を悠々と捕らえられたはずにもかかわらず、立ち尽くし…彼女を逃げるままにした彼を。
「ブロッケン!貴様ッ、何故あの小娘を止めなかった?!」
「…我輩は、休暇中、なのでね」
あしゅらの殺気がこもった怒声に、相変わらず両腕を組んだままで。
ブロッケン伯爵は、泰然と…いや、確かにその声色の中に、皮肉と悪意を溶かし込んで、答える。
「な、何をたわけたことをッ!」
「つい先ほどに『休暇中なら休暇中で、おとなしく引っ込んでおればいいものを!』とおっしゃったのは、さて何処のどなただったかな…?!」
「ぐ…減らず口をッ!」
あしゅらの揚げ足を取るように、ブロッケンが放つ嫌味。
心底仲の悪い二人の言い合いに、周りの兵士たちも慣れっこなのか…特に視線を向ける者もなく、また自分の仕事に戻っていった。
…だが、そのブリッジの中で、彼らを見ている者が―たった一人、いた。
その二人の争いを、残された早乙女元気は…何も言わないまま、見ていた。
「…」
一人、だった。
もう、エルレーンはいない。
(…大丈夫だ)
エルレーンのことだから、そのうちにきっと自分を助けに来てくれる…
奴らの追跡を振り切って、何とかしてくれるはずだ。
そう思っていても、心臓の鼓動は、そのいやに速い刻みを止めようとしない。
(大丈夫だ…この人たちは、僕らを「人質」にしているんだ)
言い聞かせる。
自分が、今にも危害を加えられるわけではない…と。
今までも、今まで「誘拐」された時もそうだったはずだ。
(だから、殺されはしない…少なくとも、その「こうしりょく研究所」ってところにつくまでは!)
恐竜帝国の刺客も、百鬼帝国の刺客も。
自分を「人質」として使うためには、自分を生かしておかなくてはならなかった。
(だから、大丈夫…大丈夫な、はずなんだ!)
言い聞かせる。
その、決定的な瞬間が来るまでは、恐れることは何もない。
だから、止まれ…
(止まれ!)


身体の震えよ、止まれ!


ふと、視線を感じたあしゅらは…振り返る。
そこにいるのは、たった一人残された子ども。
両手両足を突っ張るように、全身に力を込めて立ち尽くし…挑むような目で、彼を見返している。
「…」
「…ふん、」
自分をかどかわした悪漢である自分を、にらみつけているのだ。
精一杯の虚勢で、恐怖を敵意でねじ込んで…
子どもの決死の、だがこの巨躯の大人には愛らしい、哀れを誘うものでしかない敵視に…あしゅらは、鼻で笑い返すことで返礼した。
「何か事態が好転するとでも期待しているのか?」
「…え?」
「あの小娘が逃げたところで、何処にも逃げられやしない…何しろ、ここは高度1万メートルの上空」
くっ、と、唇を軽く歪め、あしゅらは暗く薄く笑んだ。
「何処にも逃げられんよ、小僧。何をしようが、それは変わりはしない」
「…」
「案ずるな。おとなしくしていれば、じきに家に帰してやる…じきに、な」
「…」
あしゅらの言葉に、元気の顔が怒りで紅潮する。
確かに、彼の言葉は正鵠を得ていた。
この地上遥かな上空で、走り逃げて脱出する、ということは不可能だ。
…それでも。
元気は、息を呑んだ。
自分の弱気をも、飲み込もうとしているかのように。
「…あしゅらさん、だっけ?」
「ああ」
「本当―」
声が震える。
足が震える。
手も、勝手に震えている。
だから、元気は自分自身にもう一回命じる…
―身体の震えよ、止まれ!
「…馬鹿なこと、したよね」
ブリッジに、元気の乾いた声が、小さく…だが、確かに響いた。
「…?!」
「本当馬鹿なことしたよね、あしゅらさん…!」
思いもしない、その幼い子どもの罵倒に、あしゅらは思わず目を見張る。
あしゅらをなおも必死の形相でにらみつけ、元気はさらに繰り返す。
あしゅらの愚考を。あしゅらの失敗を。
…わずかに、男女両面の相貌に、不愉快さがにじみ出る。
「小僧、貴様…」
「ゲッターチームを甘く見すぎてるよ、あしゅらさんたちは!」
「何…?!」
「リョウさんたち、ゲッターチームは…こんなことに、負けやしない!絶対に、」
何故なら、元気は知っているからだ。
早乙女研究所を、そして世界を救ってきた英雄たちのことを。
恐竜帝国を滅し、
百鬼帝国と戦う、勇猛果敢な戦士たちのことを。
「絶対に僕たちを助けに来てくれるッ!」
「…」
そしてその戦士たちは、このような悪を決して許さないことを!
加えて、元気は言う。叫ぶ。
「それに、エルレーンのお姉ちゃんは、リョウさんの妹みたいなもんなんだからッ!
そのお姉ちゃんをさらったんだから、もう絶対ひどい目にあうんだからね!」
「…」
あしゅらの眉が、ぴくり、と動いた。
ざわめいた疑念を隠そうとして隠し切れず、その感情が筋肉の動きとして表出する。
「引き返すなら今のうちだよ!今なら、まだ…なかったことにできる!」
「…その必要はないな、小僧」
―しかし。
悪漢は、それでも「怯む」には至らない。
何故なら、あしゅらは知っているからだ。
そのような勇猛果敢な、このような悪を決して許さない戦士たちのことを。
「…う、」
「お前たち早乙女研究所についても、少しは調べさせてもらっている。
…なるほど、『恐竜帝国』なる外敵と戦い、長い苦闘の末にそれを打ち破ったとか。
確かに、ゲッターロボ…そして、それを操るゲッターチームとやらは、強いのだろう」
歌うように語るのは、彼の余裕のあらわれ。
演じるように語るのは、彼の自信のあらわれ。
「…だが、」
そう、彼もまた、知っている―
そのような戦士たちは、「正義」ゆえに動かない…動けないことがあるのだ、と。
「こうして、我らの手中に『人質』があると知っていても…我らに剣を向けてこれるかな?」
「…」
「お前たちを傷つけるかも…いや、殺してしまうかもしれない、そんな危険を冒せるというのか?」
「…」
「まあ、無理に違いない!…正義ぶった血気盛んなひよっ子どもは、いつもそうだからな!」
そうして、小さな…小学生にしても、その年相応よりは小さな元気を見下ろし、見下し、断定する。
…お前の英雄たちは、決して動けない、と。
「だから、ありえんのだよ小僧。だからこそ、私はお前たちを選んだのだよ」
「ぐ…」
元気は、ついに黙り込む。
何も言い返せる道理など、ない。
そう、ゲッターチームは、リョウは、ハヤトは、ベンケイは…そんなことをするような人間ではない。
自分がいるから、自分たちがいるから…
「人質」がいるから、動くことができない…正真正銘の、「正義」!
「おとなしくしていろ…今に、あの小娘も連れ帰ってきてやろう、お前のそばにな」
「…」
意気落とす元気は、口をつぐむ。
その天蓋から降って来る、傲慢な怪人の言葉。
(けれど…)
しかし、その言葉を聞きながら。
元気は、それでも…なお、思った。
(あしゅらさんは、甘く見すぎてる)
口には、出さなかった。
だが、それは確信だ。
かつての彼女を知る元気の、それは力ある確信だ―
(エルレーンのお姉ちゃんのことも、甘く見すぎている!)
そんな彼の思いなど知らず、気づかず。
あしゅらは、近くに立っていた兵士たちに命じた。
「…おい、そこの二人」
「はっ…」
「この小僧を、部屋に連れて行け!…今度は、逃がさぬように」
「わかりました」
命じられた兵士…ギリシア兵、そして戦争映画の兵士が一人ずつ…歩み寄ってくる。
そして、立ち尽くす元気の腕をそれぞれつかみ、促した。
「さあ…行くぞ」
「…」
引っ張られる腕に力をこめ、はかない抵抗を試みる。
だが、小さな子どもの腕力など知れたもの…
すぐに、彼の反抗は押し流され、元気は二人に引きずられていく。
ブリッジの扉が開き、そして元気たちがその奥へと消えていく―
その光景を、ブロッケンは…ブロッケン伯爵は、冷めた目で見送った。
「…」
―と。
その視線の切っ先が、フードをかぶった怪人に向いた。
「おい、あしゅら」
「何だ?!」
「…あのお嬢は、本当のところ…何者だ?」
「!」
ブロッケン伯爵の投げかけた、その問い。
それは、奇妙な問いだった。
あしゅらの表情が、かすかに怪訝なものとなる。
「…どういうことだ」
「あれが、本当に…ゲッターチームのリーダー・流竜馬の?」
「『妹』…のはずだ、が?」
「…」
しかし…答えるあしゅらの声も、何故か揺らぐ。
それは、彼自身の心にも芽吹いていた、何らかの疑心を示すかのようだ。
伯爵の黒い瞳が…すっ、と細くなる。
先ほど、兵士たちの追撃を振り切り、このブリッジから逃亡した…あの少女。
…「エルレーン」。
彼女は「流竜馬の『妹』」である、と答えるあしゅら。
だが、やはりぶれ動くその声音に、確信のなさをブロッケンは見て取った。
「鉄仮面に情報を収集させた。『妹』…だ、ということだが」
「いや、それはない」
そして、彼は彼自身の考えを述べる。
すなわち―"NO"。
予想や想像を超えた、予断。
「…何故、そう思う?」
「あの小僧が先ほど言った」
その根拠を、ブロッケンは述べた。
ほんの少し前、それはあの子どもが口走った挑発の言葉のなかにあった―
「さっき、あ奴はあのお嬢のことを、『リョウさんの妹<みたいなもの>』だと言った。
…『妹』、ではなく」
「…!」
「それは、つまり…」
そこで一旦区切り、彼は推察を…それは、結局のところ真実なのだが…述べた。
「お嬢は、流竜馬の『妹』ではない、ということだ」
「…」
「それに、先ほどの動き…どう見ても、訓練されたものの動きだ。
普通の小娘が、こんな状況において…あれほど冷静に判断し、動けるか?」
「…」
あしゅらは…何も言い返さず、ただ聞いていた。
不仲極まるブロッケン伯爵相手ならば、その言葉にわずかな瑕疵があろうものならば、それこそ鬼の首でもとったかのようにあげつらうだろうに。
しかし、彼は黙って聞いていた…
何故ならば。
「そうか…お前も何かしら感じたのか、ブロッケン」
「!…あしゅら」
彼の予断は、あしゅらの疑念でもあったからだ。
「お前は、どうして?」
「…いや…奇妙な、感じがしてな…」
けれども、あしゅらの疑念の根拠は…ブロッケンのものとは、まったく違っていた。
それを明確に表す言葉をなかなか見つけ得ずに、途切れ途切れな言葉が彼の口から漏れる。
あの時、
あの小娘が、彼をねめつけ、「そんなこと、絶対にさせない!」と言ったあの時。
言葉が放たれた刹那に、彼は見たのだ。
少女の全身から、まるで燐光のように吹き出た「何か」。
おそらく、あしゅら以外には見ることのできなかっただろうその「何か」。
彼の瞳には、黒い…そう、どす黒い炎のように見えた「何か」!
それを、結局あしゅら男爵は―
「あの小娘、何か…闇の香りがする」
「…」
こう、表現した。
「感じたのだ、あの娘のまわりに。燃え立つような、薄暗い炎となった暗黒が」
「暗黒…?!」
「…ああ。罪人の負う、咎ある者の負う、重苦しい死神の気配」
「…!」
あしゅらの語る、まるでファンタジー小説のような、まるで論理的でも科学的でもないその言葉。
常日頃のブロッケンにとっては嘲笑の対象にしか過ぎない、非現実的なその台詞。
しかし、あしゅらは確かにそれを見たのだ。
ブロッケンが感じたそれと、同じモノを―
「普通の…平凡な家庭に生まれ、のうのうと暮らしていたはずの娘が、あんな闇を従わせているはずはない。
あの小娘は、」
「…」
「…何か、尋常でないモノを抱えているような感じがする…
まるで、あの小娘自体が闇の中から生まれ出たモノのように」
「…」
「あの娘、あれではまるで…」
そこで。
それだけ言って。
あしゅらの台詞は、立ち消えた。
二人の会話が、中途半端なところで断ち切れた。
「…そうか」
しばしの、間の後。
貴族将校は、かつ、と音を立てて、きびすを返す。
「何処へ行く、ブロッケン?」
「あのお嬢が『尋常ではない』のなら、」
呼びかけるあしゅらの声に、まるで独白のような言葉を残して。
深緑の軍服が、翻り…ブリッジから伸びる一直線の廊下の中に、影のように吸い込まれていく。
その男の闇と、同化しながら。




「…そのまま捨て置くわけには行かぬだろうよ」





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