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◆ 誘拐狂詩曲(Kidnap Rhapsody)〜con melancolia〜
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「…ん…」
かすかな声が、床に倒れこんでいる少女の喉からもれた。
と、同時に、彼女の瞳がうっすらと開く。
部屋の明かりのまぶしさに一瞬顔をしかめたが、それでようやく覚醒したらしい…
ゆっくりと、彼女は上半身を起こした。
「…」
そこは、どうやら部屋のようだった。
少し狭い部屋。灰色の鉄の壁。彩りも何も無く、寒々しい。
そう、まるでそれは牢屋を思わせる…
「…?」
自分が今座っているのは、冷たい床の上。
かっちりと硬い床に寝ていたせいで、身体が少しきしむ。
そして、自分の隣には…ぐうぐうと眠る、元気の姿があった。
「…すかー、すぴー…」
「…元気君、起きてぇ」
元気を揺さぶり、目を覚まさせようとするエルレーン。
…が、そうとう深く眠っているのか、元気はまったく起きようとしない。
「むにゃ、むー…」
「起きてってば、元気君!」
「!…ほ、ほえ?!」
しかし、エルレーンに力いっぱい耳元で怒鳴られるにつけ、やっとのことで元気も気がついたようだ。
慌てて飛び起きた彼…
だが、彼もすぐに、自分たちが今おかれている状況のおかしさに気づく。
「あ、あれぇ…こ、ここ何処…?」
「…」
まだ少し寝ぼけているらしい元気を置いておいて、立ち上がったエルレーンは、その部屋の壁にある窓…奇妙なことに、何故か丸い…から、外を覗き込んでみた。
と、彼女の瞳が…すこし、怪訝そうなものに変わる。
「…飛んで、る」
「え、ええッ?!」
エルレーンのつぶやきに、思わず飛び上がる元気。
わたわたと窓のそばに駆け寄り、自分も急いで外を見てみた…
…エルレーンは、嘘は言っていなかった。
その丸窓から見える景色は、一面…蒼かった。
時折白い煙状のモノが混じり、溶け、蒼とのコントラストを作る。
そして、それ以外には…何も見えなかった。何も。
明らかに、それは…この部屋が「空を飛んでいる」ということの証明だった。
「あ、あわわ…」
「何処だろう、ここ…?」
わけのわからない状況、しかもここは上空だ、という…つまり逃げようにも逃げ場のない救いようの無さに、動揺もあらわな元気。
思わず、再びへたり込む…
先ほどまで。
先ほどまで、自分は研究所近くの森の中にいたはずなのに。
一体、これはどういうことなんだろう?!
何もかもが唐突で理解できず、だからこそなおさらに元気を怯えさせる。
…一方のエルレーンのほうはというと、そんな状況を理解するも何も無いらしい。
ただ、単にここが何処なのかが気になるようだ。
…と、眼前に、ドアがあることを発見する。
そして、そのドアのノブをひねってみるが…
「…!」
がきん、という、錠に阻まれた硬い音。
扉は施錠されているようだ…
「鍵が…閉まってる」
「え…!」
元気も慌てて駆け寄り、がちゃがちゃとノブを動かしてみるが…やはり、扉は開こうとはしない。
―つまり。
「ぼ、僕たち…」
「…」
「誰かに捕まって、閉じ込められてるの…?!」
エルレーンは、うなずかなかった。
エルレーンは、何も言わなかった。
ただ、強張った表情で、目の前を閉ざす鉄の扉をねめつけている。
つまりは、そういうことだった。
その冷たい現実を、どうしようもない現実を否定できないくらいに認識せざるを得なくなった時…元気は、三度(みたび)床に力なくしゃがみこむ。
自分たちを襲った現象が何であるか、わからないほど子どもではない。
幾度となく、こんな目にあったことがある…
早乙女研究所を狙う「敵」に身柄を拘束され、脅しか取引の材料に使われるのだ。
―「誘拐」。
そうだ、自分たちは誘拐されたのだ―何者かに!
今自分たちを篭絡したのは、おそらく…!
元気の推測とエルレーンの予想は、何も言わなくとも一致していた。
だから、彼女は無言のまま、次にとるべき行動に移る。
鉄の扉に身体を持たせかけ、じっと…ノブの下に開いている、小さな鍵穴を見つめるエルレーン。
腰のポーチから、なにやらとがった金属の棒を取り出し…鍵穴に差し込む。
そして、そのまま注意深くそれを動かし始めた。
「お姉ちゃん、できるの?」
「…うん、多分」
元気の問いかけに小さくそうつぶやき、再びその作業に没頭する。
数秒。数十秒。数分。
ちゃりちゃり、しゃりしゃりという音だけが、小さな小部屋にかすかに反響する。
そして…
「…」
「…」
「…」
「…」
「…!」
唐突に。
しゃりん、という音が鳴る、がらんとした小部屋にやたらと大きく響く。
確信したエルレーンがゆっくりと顔を上げ、ノブに手をかけると―
果たせるかな。
きしる音をわずかに立てながら、扉はすべるように開いていく―!
「す、すげえ…!」
「さ、いこ?元気君」
「あ…う、うん!」
思わず感嘆の声を上げてしまう元気を、押し殺したエルレーンの声がたしなめる。
扉から素早く前後を確認し、人の気配がないことを確かめる…
静かに、猫がしのび歩くかのように、黒皮のショートブーツが廊下に踏み出でる。
その後を、それよりも一回り小さなスニーカーが追いかける。
二つのかすかな足音が、硬い床に跳ね返りながら去っていく―
…そして、後には。
誰もいない、少し狭い部屋だけが残された。

「…」
「…」
「…思ったより、大きい艦(ふね)だね」
「うん…」
十数分が過ぎた。
空を往く艦(ふね)の中、小部屋に囚われていたエルレーンと元気。
自力でそこから抜け出したものの…だが、彼らは未だ脱出の手立てを手に入れられずにいた。
延々と続く廊下を歩いていっても、脱出できそうな場所など見当たらない。
驚くほどの巨大な艦(ふね)の中を、二人は逃げ場を探して歩き続ける。
延々と続く廊下を、延々と…
「…!」
―だが。
何事にも、終わりと言うものはある。
長々と続いていた廊下の先に、ふつり、と行き止まりが見えた。
そしてそこには、出入り口の扉があり―
二人の顔に、ぱっ、と希望の色がともる。
すぐさまに、その扉に駆け寄るエルレーンと元気。
が…次の瞬間、彼らの表情に浮かぶのは、希望に取って代わって、驚きの色だった。
扉についていたガラスの丸窓より、二人が見透かしたその先にあったのは―
「!」
「う…わあ!」
「すごい…!」
―広大な、広大な空間だった!
それこそ、ここが飛行する艦(ふね)の中である、ということを忘れそうなぐらいに広い空間。
幾つもの階をぶち抜いているのか、数十mはありそうなほどの高さだ。
そして、そこから彼らが見下ろすその空間は、どうやら「格納庫」のようだ。
クレーンとケーブルが行きかうその場所に、四体の巨大ロボットが亡羊と立ちすくんでいる。
…悪魔のような羽を頭につけた、人型のロボット。
先端に奇怪な顔をつけた、長大な翼を持つ飛行機型のロボット。
鬼のようなツノを頭に生やした、両手が鞭のように尖ったロボット。
そして、その中に…その三体とは趣向の違ったロボットが、一体だけあった。
華奢、と呼ぶことのできるそのトルソー(胴体)は、人間の女性のようなラインを描く。
赤い放熱板の取り付けられた胸部は丸く膨らみ、それが「乳房」であることを明示する。
頭部は碗上に張り出し、その中央にコックピットらしき空間が見て取れる。
カラーリングは、黒、白、紺、そして赤。
他の三体が、「怪物」「奇妙」な印象を与えるのに対し、そのロボットは「美しかった」。
鋼鉄の女神、そういって差し支えないほどに。
彼女が他とは違ったコンセプトで設計されたのは明確だ。
…そして、何より。
彼女を見るエルレーンの瞳に、懐疑が浮かぶ。
それは、エルレーンがよく知っている「あの」ロボットと非常によく似ていた―
「こ、これ…『あいつら』のロボットだよね?!」
「…うん」
「…」
「でも…」
ぽつり、と、その懐疑が唇からこぼれおちる。
エルレーンが思わずつぶやきかけた言葉に、元気が反応する。
「え、何?お姉ちゃん?」
「…ううん、何でもない」
だが、彼女は頭をふり、それを押し込めた。
鋼鉄の女神を見つめ続けるエルレーンに、幼い少年は不安そうにこう漏らす…
「ねえ、お姉ちゃん…」
「…」
「もう間違いないよ、『あいつら』…」
「あいつら」、と呼ぶ時に、元気の口調に嫌悪がこもる。
それはつまり、あの憎き「敵」…
父の、姉の、ゲッターチームの「敵」。
そして、「あいつら」の企みとは―知れている!
「僕らを『誘拐』して、研究所を襲うつもりなんだ!」
「…!」
無音。
しばしの空白が、その場に満ちる。
扉の向こうで、何らかの機械がせわしなく動き回る音が、ごおーん、があーん、とこもって鳴り響いている。
「ど、どうしよう、お姉ちゃん…?!」
「…」
「ここから、どうやって逃げれば…」
「…行こう」
振り返る。
元気を顧みたエルレーンの表情には、決意と緊迫感がみなぎっていた。
それは、普段ぽやぽやしている彼女には見られないモノ…
「スイッチ」が入った時の、表情。
戦うために造られ、戦うために生まれた少女の…
困惑した元気に、押し殺した、だが強い声でエルレーンは言う。
「え…?」
「ここから、逃げられなくても。この艦(ふね)の、一番えらい人を捕まえて、無理にでも…帰して、もらう」
「!…人質を取るってこと?!」
「うん…!」
うなずく。
危険極まりないアイデア、思いつきにしかすぎない。
だが、今の彼らがこの状況を突破する方法は、それしか考えられない…
「そ、そうか、そうすれば…」
「!しっ!」
元気の顔に笑顔が戻った―その瞬間だった。
突如、エルレーンの右手が彼の口を閉ざす。
そしてそのまま、物陰へと彼を引き込んだ…
唐突なことに混乱する元気を抑え、エルレーンは息を殺す―
…と。
今自分たちが通ってきた通路の曲がり角から…人の声が聞こえてきた。
そして、それはだんだんに大きくなる、大きくなってくる!
ようやく元気にも状況が飲み込めた。
背筋に、ざあっと寒気が走る。
身体全体を硬直させる、動いて物音など立てないように。
もはや呼吸が止まる寸前まで、息を極限まで殺す。
どくん、どくん、と鳴る、心臓の音さえ厭わしいぐらいに。
しかし、凍てついた彼らの存在になど気づかない、気づけないぐらいに、その声の主たちは大声でしゃべっていた。
「…んもぅ〜、これがマジ重いんだっての!腰イカレるかと思ったぜ」
「ああ、アレねぇ〜!正直もう機械獣製作とかやりたくねっての」
それも、ご陽気に…
角から現れたその二人組は、なにやら箱のようなものを手に持って運んでいる。
相変わらず、おしゃべりをやめないで。
その様子をそっと垣間見るエルレーンと元気…
「でも俺、前それ当たったばっかりだから、しばらく当たんないし!」
「いいんじゃねえの、そんで今日の任務も何か楽そうだし」
「楽…かなあ?」
二人は、不可思議な格好をしていた。
一人は、茶色の皮鎧をまとい、頭に大きな鉄の兜をかぶっていた。
何処か古めかしい、そう、ギリシア神話に出てきそうな兵士の格好。
「楽じゃん!何ならお前もやるか、パラシュート部隊?」
「いや〜遠慮しとく、俺高所恐怖症気味だし!」
それに比べて、もう一人の格好もまた変わっていた。
同じく荷物を運んでいるもう一人は、カーキの軍服を着ている。
そして、頭にはヘルメット…
こちらはむしろ神話というよりも、戦争映画に出てくる下っ端兵士に見えた。
そんな奇妙なコントラストを為す二人組は、やはりぺちゃくちゃとしゃべくりながら廊下の向こうへ歩き去ってしまった…
物陰で息を潜めるエルレーンたちには、一切気づくことなく。
彼らの気配が完全に去って後、完全に去ったのを確認した後―
「…」
「…?」
再び、エルレーンたちは立ち上がり…緊張をほぐすように、大きなため息をつく。
「な、何だろうね、あの格好…」
「…?」
「何か変だね、ねえお姉ちゃん…?」
「う、うん…」
問いかける元気、首をかしげるエルレーン…
見たことのない格好だった。
もちろん、この艦(ふね)にいるということは、「あいつら」の手先に違いない。
だが、それにしても変な格好だ。
少なくとも、「あいつら」がそんな格好をしているのは見たことがない…
…だが。
おかしくはおもったが、しかし自分たちのおかれている状況は変わらない。
「あいつら」の手から、「あいつら」の企みから逃れるためにも―

「と、とにかく…」
「一番えらい人を、探そう!」


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