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◆ 残像(残された者たちをさいなむ、彼の記憶)
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その夜を、泣き明かした。その光景は、もはや疑いようもない現実だった。
自分たちは何も出来なかった。ただ、モニターでそれを見ていただけ。
無敵戦艦ダイの口に飛び込むコマンドマシン…そして、内部から破壊され、暴れまくり…とうとう自壊し、大爆発するダイの、あの光景。
目を閉じればそのシーンばかりが何回も何回も繰り返される。だから、眠れなかった。
そのシーンが目に浮かぶたびに、涙があふれたから…
…だが、だからといって、泣いたからといって…現実が変わるわけではない。
いや、むしろ泣けば泣くほどに、少しずつその現実を信じなくてはならない、信じざるをえない…
そういう覚悟が自分たちの中に芽生えていくのを彼らは痛いほど感じていた。
大きすぎるショックを涙で埋めて…その現実を受け入れなくてはならない、と。
恐竜帝国は滅びたのだ。自分たち「人間」は、ゲッターチームは…「ハ虫人」、恐竜帝国の野望を阻止することに、ついに成功したのだ…
そして、その代償として…
自分たちは、かけがえのない親友を失った。

ぎいっ、と音を立て、木で出来たドアが開いた。
…開いた扉から、リョウとハヤトが入ってくる。
浅間学園学園寮の三人部屋。彼らの部屋だ。窓からは夕日が差し込み、部屋はまるで燃えているかのように、赤く染まっている。
…あの戦いから、もう一昼夜すぎたのだ。そんなことすら、信じられない。
ムサシがコマンドマシンでたった一人出撃し、無敵戦艦ダイに特攻をかけた…
それがたった、24時間前の出来事だったとは、とても信じられないほど…
そして、24時間前には、生きてこの世にいたはずのムサシが…今はもう、いない。
リョウとハヤトは、お互い何も言わないままだった。
二人とも、泣きはらした赤い目をしている。
リョウは自分の椅子に腰掛けた。
疲れきってしまった彼はぐったりと机にひじを突き、頬杖をついてうつむいている…
ふと、隣でごそごそと何かをいじる音が聞こえた。
そちらのほうに目をやると、それはハヤトだ。
…彼は、自分の机の上に置かれた学生カバンの中を探っているようだ。
…だが、探しものは見つからなかったらしい。少し眉をひそめる様子が見てとれた。
壁のカレンダーに目を走らせ、曜日を確認するハヤト…
今日は水曜日、そして明日は…木曜日だ。
「…」
すると、無言で自分の机の本立てから何かを取り出したハヤト。
…そしてそれを、何の気なしに放り投げた…それは、ぱさっ、という小さな音を立てて、ムサシの机の上に落ちた。
「…!…は、ハヤト…?!」
驚きのあまり、思わず乾いた声がもれた。
リョウのその反応に、はっと気づくハヤト…
そうしてようやく、彼は自分が馬鹿げたことを無意識のうちにやってしまったことに気づいた…
自分が今、ムサシの机の上に放り投げたもの…
それは、数学IIのノート。
途端に、三人でかわしたいつだったかの会話が、一挙にこころの中でよみがえってきた…

『なあ、ハヤト〜…あ、あのさあ、…この巴武蔵、一生の頼みがあるんだけどさあ…』
『わかってるって…お前さんの机の上においてあるさ』
『!…さ、サンキュー、ハヤト〜!…で、でも…なんでわかったの?!』
『…お前、先週も先々週も、その前もそう言って俺にノート借りようとしてたじゃねえか…
まったく、あんたの一生は何回あるんだい、ムサシさんよ…!』
『へへー、悪ィな〜!…だってオイラさあ、数学本当に苦手なんだよ〜!…こんな宿題、できっこねえって!』
『…!…ムサシ、お前またハヤトの宿題写そうって魂胆か?!…まったく、お前って奴は!』
『あーリョウ!…あのさあ、一生のお願い!…英文法のノートを…』
『ダ・メ・だ!…自分で出来るようにならなきゃ意味ないだろ?!…いっつも人のを写してばっかりじゃあ、ぜんぜん力になんないぞ!』
『そ、そんな厳しいこといわなくても〜…これから努力するからさあ!…な?今回だけ!今回だけ…貸してくれよ!』
『…本当、か?』
『本当本当!……た、多分』
『…やれやれ!…まあ、いいさ。…ほら』
『やりぃ!恩にきるぜリョウ〜!』
『…ほーう、リョウさんはずいぶんムサシ殿に甘いじゃないですか?』
『何言ってるハヤト!…お前なんか、いつも何にも言わないでムサシに数IIのノート貸しちまうじゃないか!
…お前のほうが、よっぽどムサシを甘やかしてるぜ?』
『…俺はただ、無駄な時間を喰いたくないだけでね。
…何しろこいつときたら、貸すまでまとわりついてきやがるんでね』
『…えーっと、これで明日は大丈夫、かな?…いやあ、いい友達を持っておいらは幸せモンだぜ、がっはっはー!』

「…!!」
ハヤトの顔が、あふれてきた哀しみで歪む…彼は必死でそれを押し殺そうとしていた。
だが、できなかった。
…とうとう彼の両目から、ぼろぼろと涙があふれかえる…
唇をかみしめて、なんとか流れつづける涙を止めようとしても…それはまったく止まらない。
「…な、何やってんだ、俺は…一体、何を…!」
涙にむせぶ彼の喉から、そんな言葉が飛び出した…
肩を震わせ泣きつづけるハヤト。
椅子から立ち上がって、その彼の背を軽くぽんぽんと叩き、なぐさめようとするリョウ。
…だが、彼もまた…泣いていた。あふれる涙を止められないのは、リョウとて同じだった…
「ハヤト…」
「ち…畜生…こんなの、柄じゃねえのに…畜生…!」
感情をあまり表に出すことのないハヤトが、泣いていた。
自分でもその感情の高ぶりに驚いた。
…やがて彼は、頬をつたう涙をぐいっと乱暴にぬぐい、そして…ふうっと大きく息をついた。
その音が、やけに大きく部屋に響く。
小さな吐息の音すら大きく聞こえるほど、静かだったからだ。
…何か言葉を発してその静寂を埋めなくては、と思えるほどに静かだった。
もちろん…こんなことは、今までなかった。
あいつが、いたから。
「静かすぎて…調子が、狂っちまうぜ…」
「…そうだな!…まったくあいつときたら!…でっかいいびきはかくし、見た目によらず人一倍しゃべるし、くだらないことですぐゲラゲラ笑って…」
突然、リョウが笑いながら、快活にそんな悪口を言った…いかにもおかしい、といった調子で。
「そうだったな!おまけにくだらんテレビドラマ見てオンオン泣くし、あいつ一人で三人分くらいは十分騒がしかったぜ…!」
ハヤトも同じく笑いながら、そんなことを言う…涙に濡れた顔に笑顔が浮かぶ。
そして、ひとしきり彼らは笑った。
自分たちの親友がどんなにおかしくて変で面白い奴だったかを思い出して、彼らは笑った。
…ふと、二人のかすれた笑い声が止む。部屋に静けさが戻る。
「…」
「…」
無言になってしまった二人。…やがて、またリョウが口を開いた。
「…もう、あの…アホみたいにでっかい、笑い声も…聞けないんだな」
「…」
「さみしい、な…」
「…ああ…」
リョウはふとふりかえり、ムサシの机に目をやった。ハヤトの視線も、そこに移る。
…そこには、彼の私物が置かれたままだ。持ち主がいない今となっても。
整理整頓の苦手なムサシの机の周りはまったくモノだらけで、しかもそのほとんどが無造作に放っておかれているだけといった感じだ。
…しかし、無造作に置かれていればいるだけ…そこには彼の「気配」めいたものが生まれてしまう。
油断をすれば、もう彼がいないことを忘れさせてしまうほどにリアリティをもった気配。
「もう、いないんだな…」
「…ああ…」
そう言葉に出して確認しなければ、信じてしまいそうになるくらいリアリティをもった気配。
…机の周りには、数冊のマンガ雑誌が散らばっている。
その中には、端が三角に折り込まれたページがある雑誌もある。
ムサシは読みかけの本は何でもこうやってページの端を折り込んで、しおり代わりにしてしまうのだ。
(…いつだったか、俺が貸したマンガにもあいつそうしやがって…で、ケンカしたことがあったっけ)
リョウは、そんなことを思い出した。
几帳面なタイプの自分には考えられないような事をしたムサシに対し、確かぎゃんぎゃん怒鳴りつけた記憶がある。
…そうしたらあいつは、はじめは笑ってごまかそうとしていたけど、そのうち自分も怒り出して…
「こんな細かいことでぐちぐち言うなよ、リョウ!」とかいって怒っていやがったっけ。
…その机の前にある椅子の背には、彼の学生服がひっかけてある…
それを見たハヤトは、ムサシのおおざっぱな性格を思い出し、思わずふっと微笑ってしまった。
…その学生服の袖は、けばが押しつぶされてテカテカになってしまっている。
ムサシはあまり格好に気を使わないどころか、学生服をかなり適当に扱っていた。
一度なんか、テーブルに自分がこぼしてしまったジュースを、着ていたその学生服の袖で拭いてくれたことがあった。
「お前、そんなことしたら袖がすぐダメになっちまうぜ」と言ったら、ムサシは笑って「だいじょぶだいじょぶ!着られりゃいーんだって、こんなもの!」と言った…
そういえば、自分が学生服にブラシをかけているのを見て、
「ハヤトはそうゆうとこマメだよなー!…やっぱ、そうゆうとこが女にモテる秘訣なのかなー?」とかなんとか、バカなことを言っていたこともあった…
(俺は、何て言い返したっけ…?「そういうことじゃねえよ」だったか…?…それとも、「自分で考えるんだな」だったか…?)
とにかく、いつもどおり皮肉っぽい答えを返したことは、確かだ。
だからその後ムサシはやっぱりむくれた…
「…ちぇー、言ってくれちゃって!…いいよいいよ、どうせハヤトにはオイラの気持ちはわかんないよ」と言っていたような気がする。
…ちゃんと、答えてやればよかったか。
今さらながら、ハヤトはそう思った。
部屋のあちこちに、彼のモノがある。
それらを見れば、否応なく彼のことを思い起こしてしまう…
思い返せば思い返すだけ、彼の様々なこと…それも、些細なことばかりが湧き出てくる。
笑い顔。むくれた顔。怒った顔。すねた顔。泣いた顔。
彼らの心に鮮明に浮かぶ…彼の残像が浮かぶ。
「いい奴、だったよな…」
リョウは言った。
「…」
ハヤトは無言でうなずいた。
「俺たち、なんて、いい奴を…無くしちまったんだろう…!」
「…言うな!…もう言うな、リョウ…!」
声を荒げ、リョウのその言葉をさえぎるハヤト。
そんなことは、痛いほどわかっていた。わかりすぎていた。
…また涙がこぼれ出しそうになったのがわかった。
ハヤトはくるりと背を向け、窓際に座り…夕焼け空の方ばかり見つめ、ハーモニカを吹きはじめた。
…その旋律が時折不自然に揺れ動くのが、リョウにはわかった。
顔を背けてはいたけれども、リョウの目に映る彼の肩は確かに震えていた…
夕日の差し込む、浅間学園学園寮の三人部屋。
リョウと、ハヤトと…そして、ムサシの。
だがそこにはもう、二人しかいない。
ハーモニカの音色が、ハーモニカの音色だけが…部屋に静かに響く。
「ムサシ…」
リョウが、ぽつり、と…今はもういない友の名を呼んだ。
もちろん、その声に返事は返らない…
だが、部屋のそこここにある彼のモノが、彼の息吹が、彼の気配が…まるで残像のようになって、自分たちの心の中にムサシを形作る。
だからリョウは…もはや聞こえるはずのない、親友の声を聞いたような気がした。
…屈託ない笑顔でふりかえり、少しかすれた低い声で彼はこういうのだ…




『…おう、なんだ?リョウ…』




だが、それはあくまで残像。彼ではない。
その分、だから痛かった。
だから余計に、哀しかった…


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