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◆ eyes
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「…」
無言のまま、リョウはサイドカーを駆っていた…寮に帰る道を、まっすぐに進んでいく。
リョウは、あれからぼんやりと考え込むことが多くなった。気がつけば、いつのまにかあの女のことを考えている。
…エルレーン。
自分のクローン、あと1ヵ月半ほどしか、余命を持たない少女…恐竜帝国に「兵器」として扱われる少女…
そして、あの女のことを考えたとき、決まってふっと頭の中にあの情景がよみがえる。
夕焼けの公園で、自分を優しく抱きしめてくれたエルレーン…
あの時、エルレーンの腕の中に抱かれたときに感じた不思議な一体感が忘れられない。
そしてその時、完全に消えてしまった…今まであんなに自分の中で燃え盛りつづけ、コントロールできなかった彼女への壮絶な怒りと嫌悪が。
そのことを思うたび、軽い困惑を感じる。…いくらその原因がわかったからといって、状況はまったく変わっていないのに、と。
だが、彼女への感情がはっきりと切り替わってしまったのは、確かなのだ。それはもう否定しえない。
そしていつも最後には、こんな思いが浮かぶ。どこかくすぐったいような感覚とともに。
(…エルレーン、俺のクローン…お前は、今…何をしてる…?)

浅間学園学園寮。この寮の一室でリョウ、ハヤト、ムサシはともに生活している。
…周りには民家もまばらな、草原に囲まれた静かな場所だ。
…夜こそ同居人のムサシのいびきでうるさいが、それを除けば申し分ない静けさを保っている。
キキィッ、とタイヤを鳴らしてリョウのサイドカーがその前に止まった。ひらりと愛車から飛び降り、寮に入ろうとする。
…と、その時だった。
「あ…」
心臓が、どくんと鼓動を打った。
寮の建物の向こう、少し外れた場所に…人影があった。
草の海に立ち、空を見上げているその人影…それは、自分と同じ顔をしていた。
「…エルレーン」
その名を呼ぶリョウ。
…そして、いつのまにかその足は、彼女のほうへと向かっていた。
「!…あっ、リョウ…!」
「…こんなところで、何をしてる?」
エルレーンもリョウに気づいたようだ。驚いたような顔で、こちらを見ている。
「ううん、別に…」
「…な、何もしてないなら…こんなところに近づくなよ。…誰かに見られたら、まずいだろ…」
寮にすむ他の誰かにエルレーンが…リョウと同じ顔の、しかもビスチェとショートパンツという大胆な格好をしている彼女が見られたら、きっと騒ぎになるだろう。
リョウはそのことを案じているのだった。
「…?…どうして?」
当然のことながら、そんなリョウの気持ちなどまったくわからないエルレーン。素朴に問い返す。
「な、何でもだ!…とにかく、こっちにこい!」
わけを説明するわけにも行かず、ともかく彼女を寮から引き離そうとする。
…建物の裏手側、急に切り立った斜面になっているため、寮の中にいる人間からは完全な死角になっている…
につれていくべく、そちらのほうに歩みながら、エルレーンに呼びかける。…ここなら、彼女の姿が見られることはないだろう。
「…?」
だが、エルレーンはきょとんとしたまま動かない。
いつもは恐ろしいまでに自分を罵り、怒りと嫌悪のこもった目で自分を見ていたリョウ…
そのリョウの態度が、まったく変わってしまったことを彼女はいぶかしんでいる。
この間の、あの夕焼けの公園であった時から…リョウは、何か変だ。
「…ほ、ほら!来いってば!」
しびれを切らしたリョウがエルレーンのそばにかけより、その手を取って斜面に導いた。
…が、手をつかまれたエルレーンは一瞬恐怖でびくっと震える。
その表情の変化を見たリョウの顔が、ふっと曇る…
(…そうか、そうだよな…俺が今まで、こいつにひどいことを言ってきたんだもんな…おびえられても、当たり前か…)
…そして、それなのに自分の秘密を秘密のままにしてくれ、涙を流す自分を慰めてくれすらしたエルレーン。
彼女のやさしい心が、胸にしみた。
「…怖がらなくてもいい…さあ、ここならいい」
そっと彼女の手をひき、斜面まで連れて行った。そっと手を離す。
…ぺたんとその場に座り込んだエルレーンは、困惑したような目でリョウを見つめている。
「ん…お前、それ…どうしたんだ?」
と、リョウがあることに気づき、エルレーンの右ひざを指差す…剥き出しになったそのひざには、ひどくすりむいたような傷があった。
泥と固まりかけた血がこびりつき、見るも痛そうだ。
「え…?…あ、うん、…ちょっと、転んだ…だけ…」
その傷の存在をやっと思い出したのか、エルレーンがそうつぶやく。
「…ここでちょっと待ってろ」
その傷をしばらく見ていたリョウ。
…するとそうエルレーンに言い残し、自分は寮のほうへ駆けていった…何がなんだかわからず、きょとんとした顔でそれを見送るエルレーン。
…数分後、リョウは手に何かを持って帰ってきた…それは、救急箱だ。
斜面を滑り降り、エルレーンのそばに座り込む。
「…ほら、…見せろよ」
小さな声でリョウはそうつぶやいた。エルレーンとは目を合わせないまま…
彼女はその意味がわからず、不思議そうにぼーっとリョウを見ている。
「…ほ、ほらってば!…足、消毒してやるから…見せろって…」
要領を得ないエルレーンにやきもきしたのか、エルレーンの怪我した右足をひょいと持ち上げ、自分に近づけた。
一瞬エルレーンはびっくりしたようだが、どうやらリョウが傷の手当てをしてくれるらしい、ということが理解できたので、おとなしくそれを見ている…
だが、唐突にそんなことをしてくれようとするリョウの真意が読めず、困惑気味だ。
「…」
リョウは無言で救急箱から消毒液を取り出し、傷口に思いっきり吹きかけた。
「…いったぁぁあいっ?!」
急に傷口からしみる痛みを感じたエルレーンが、思わず悲鳴をあげる。
じいんとそこから不快な痛覚が伝わってくる。
「我慢しろ、ちょっとの間だけだから」
泣き言を言うエルレーンをちょっと見上げ、手当てを続けながらリョウはそう言った…
口調こそぶっきらぼうだが、その表情はとても穏やかだ。
…今まで彼女に見せていた冷酷な怒りの表情とはまったく違う、優しいリョウ本来の顔。
「…うー…!」
「…ほら、これでいい…」
手早く小さなガーゼを患部に当て、真っ白な包帯をくるくると彼女のひざに巻く。
きゅっと端を縛って、ぱちんと残りの包帯を切り取った。
…エルレーンは手当てされた自分のひざを見て、不思議そうにぶらぶらと足を動かしている。
「…?」
「そうしとくと、後で傷が膿まないから」
やはりエルレーンとは視線をあわせないまま、伏し目がちのままでリョウはそういう。
…心なしか、顔が赤い。
「…」
エルレーンは、リョウの顔をひょいっと覗き込む。
…やっぱりその顔は、何故か少し赤らんでいた。
エルレーンに自分の顔を覗き込まれ、慌てたようにぱっと顔をそらすリョウ。頬をかき、何故か所在なげにしている。
「…ねえ、リョウ」
自分に背を向けたままの彼に、そう声をかけるエルレーン。
「…な、何だ…」
「どうして、急に…私に、やさしくしてくれる…の?」
今まで自分に対して公然と憎悪と嫌悪をぶつけてきた自分のオリジナル、リョウ。
そのリョウが何故か突然、自分の怪我の手当てまでしてくれたのだ…不思議に思わないはずがない。
「…」リョウはしばらく頭をかいたり足踏みをしたりと、何かに迷っているようだった。…が、やがて、思い切ったのか、小さな声でつぶやきだした…
「…べ、別に……お、俺がお前に…やさしくしたら、おかしいのかよ…?!」
「…?」
「…だ、だから…っ…!」
もどかしくなったのか、ばっと彼女のほうをふりむいたリョウ。
真っ赤な顔をしたまま、エルレーンを見つめてこう続ける。
「…お、俺…ご、誤解するなよ!…お、お前はやっぱり恐竜帝国の手先で、俺たちの敵なんだから…!…だ、…だけど…」
そこでいったん言葉を切るリョウ。…ふっとその顔に、すまなそうな表情が浮かんだ。
「や、やっぱり、俺…今まで、お前に…あんまりにひどいこと言ってきたから…」
「リョウ…?」
「………」
口ごもるリョウ。
…だが、やがて気持ちの整理がついたのか、何とかその言葉を口に出せた…
「…今まで、すまなかった…」
「…?」
「本当に…すまない…お前は、俺を…かばってくれたのに…」
自分の不倶戴天の敵に対し今、素直に謝りの言葉を口にするリョウ。
…いや、最早彼女に対して今まで抱いていた、あの尽きることのない憎悪も嫌悪も、怒りすらももう感じられなかった。
…もう、彼女を「不倶戴天の敵」だなんて、思えなかった…
「…」
彼の謝罪を無言のまま…まっすぐにリョウを見つめたまま、エルレーンは真剣に聞いている。
…と、その表情に、ふっと柔らかな微笑が浮かんだ。
「リョウ…ありがとう…!」
そういって、無邪気に笑いかけるエルレーン…
自分と同じ顔をした少女のその微笑に、思わずリョウはどきりとしてしまう。
「!…あ、ありがとうなんて言うなよ…!…も、元はと言えば、…俺が、悪いんだから」
またかあっと顔が赤らむのが自分でもわかる。思わずまたエルレーンに背を向け、その表情の変化を見られまいとするリョウ。
「…ねえ、リョウ…こっち、向いて…」
すっと立ち上がり、その背中に向けて声をかけるエルレーン。
一瞬どきっとしたが、リョウはゆっくり振り向いた…
そこには、エルレーン。やさしく微笑むエルレーンの姿。
「な、何だよ…?!」
口ごもりながらそうつぶやいたリョウの目の前に、いきなりその顔がすっと近づいた。
心臓の鼓動が、驚きのあまり止まりそうになった。
すっとエルレーンの両手が…リョウの両ほおに当てられた。
彼女の吐息が感じられるほど、近い距離にエルレーンの顔がある。
真正面から、自分の顔が見つめている…そして、エルレーンの透明な瞳が、自分の目をまっすぐ見つめている…
「あ、お、おい、な…?!」
動揺をかくせない。顔にかあっと血が上るのが自分でもわかる。
恥ずかしさと戸惑いと混乱で、一瞬何も考えられなくなった。
そして、目の前にある、自分と同じ顔が…かわいらしい笑顔で、こういった。
「…もう、あの目じゃ…ない。ハ虫人みたいな、冷たい目じゃ…ない」
「え…」
「そうなんだね…これが、リョウの、本当の目なんだ…やさしいリョウの、目…」
うれしそうにエルレーンはそう言った。そしてすっと一歩ひき、リョウから手を離す。
「え、エルレーン…」
「うふふ、そうか、そうなんだ…!…やっぱり、そうだよね…!」
無邪気な微笑を浮かべながら、エルレーンはあさっての方向に駆けていく。
白い包帯が巻かれた足が、踊るように軽やかに動く。
「お、おい、エルレーン!」
いきなりどこかにいってしまおうとするエルレーンに慌てて声をかけるリョウ。
エルレーンはしばらく走った後、くるっと振り返り…そんな彼に向かって、笑いかけた。
「リョウも、本当はやさしい…!…やさしい、『人間』だったんだ…!
そうだよね、『人間』は…やさしい、イキモノだよね!…『バケモノ』なんかじゃない…!」
「あ、…ああ、そうさ!…『人間』は、『バケモノ』なんかじゃないよ!…俺も、…お前だって!」
リョウははっきりとそう答えた。
それを聞いたエルレーンの顔に一瞬驚きが混じり、そして…うれしそうな笑顔が浮かぶ。
「ふふ…リョウ、ありがとう!…うれしいな、リョウ…やっと、私…そう、信じられる…!」
彼女はリョウに向かって最後にそういい、草原の中を駆けていった…そして、またそこにはリョウだけが残される。
「…そうさ、エルレーン…お前だって、『バケモノ』じゃないよ…」
もう見えないエルレーンに向かい、リョウがぽつりとそうつぶやいた。
その言葉は風に流され、ざわざわと凪ぐ草の音に混じり、かききえていった。


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