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der engere Freund des "Graf Dracula"(2)


「…」
「…なーあ、ミヒャエル。その仏頂面さあ、何とかならねぇか?
今から女のところ行くんだぜ〜、んな暗いツラしてたら相手怖がっちゃうじゃん」
「…」
「だんまり、かよ…そういうのってさあ、正直印象よくねえぜぇ、ミヒャエル!」
「…なれなれしく人の『名前』を呼ぶな、レーマン大尉。…いらつく」
「おお怖ッ!…いいじゃん、『名前』くらいさあ!何でそんなうちとけねぇんだよ〜」
「…」
「…ちぇッ」
今日は、土曜日。
夕暮れの街、家路に急ぐ人々の流れの中に、二人はいた。
ベルント・レーマン大尉、そしてミヒャエル・ブロッケン大尉だ。
大事な写真をタテに、無理やりな招待を受けさせられたミヒャエル…彼の表情は、いつもに増して仏頂面になっていた。
話しかけるベルントにも、とげがざくざく刺さりそうなほどぶっきらぼうで愛想のかけらも無いセリフを短く叩き付け返すばかりだ。
そして、後には黙りこくってしまう…
強情なまでに己の中に閉じこもるミヒャエルに、ベルントは軽くため息をつくばかりだ。
気まずい雰囲気の中、ともかくベルントは彼を連れてある場所へと向かう…
…と、その足が、とあるアパートメントの前で止まった。
その中の一つのドアについている呼び鈴を鳴らすベルント。
すると、ほどなくして、今まで真っ暗だったそのドアの小窓から、ぱっ、と光がもれた。
「ダニエラ〜!俺、俺!開けてよ〜!」
「…ベルント!」
どんどん、とドアをノックしながら、ご陽気にドアに向かって呼びかけるベルント…
すると、それに応じるかのように、弾んだ声がドアの内側から返ってきた。
がちゃり、と音を立ててドアが開かれる。
中から姿をあらわしたのは…一人の若い女性。
亜麻色のカールした長い髪が、恋人の到来を喜ぶかのようにふわふわと軽やかに揺れ動いている。
「待ってたぁ?!」
「うん!待ってたぁ!」
きゃらきゃらと笑いながら、抱擁を交わす二人。
彼女を腕に抱いたまま、ベルントは親指で後ろに立つ男を示してみせた。
「今日は…ほら、言ってたろ?!お客さん、連れてきたぜ!」
「…はじめまして」
「!…へーえ、そしたら…アンタが、『ドラキュラ伯爵』なのぉ?!」
「…」
何の悪びれもせず、いきなりあだ名で(しかも、そう呼ばれている理由も実は知っている…罵倒そのもののあだ名だ)自分を呼ぶダニエラ。
ぴくり、とミヒャエルのこめかみが動いたが…彼女たちはまったく気づく様子すらない。
止めるべき人間であるベルントも、けらけら笑って応じているだけだ。
「そーうそう!…えっと、本名は、」
「…ミヒャエル・ブロッケン」
「そうなの!…ふふっ、『グラーフ・ドラクゥラ(ドラキュラ伯爵)』なんて言うから…何だかもっと怖いカンジのオヂサンかと思ったら、全然違うのね!」
「…」
どうやら、このダニエラという女…
ベルント・レーマン大尉と同じく、ネアカな、そしてデリカシーの無いタイプらしい。
「ま、いいわ!入って入って!」
「じゃ、おっ邪魔しま〜す!」
「ほらぁ、『ドラクゥラ』さんも入って入って!そんなところでぼーっと突っ立ってないで!」
「…はあ…」
どこまでも馬鹿みたいに明るいこのカップルの傍若無人っぷりに、思わずミヒャエルはため息をもらした…
が、そこに秘められた無言の非難に気づいてくれるような繊細さ…
この二人はそういったモノを何ら持ち合わせていない、ある意味とても幸せな二人だった。

ダニエラのアパート、そのリビングにあるテーブルには、所狭しと様々な料理がすでに用意されていた。
「さーあ、食べて食べて〜!久しぶりにお客さん来るって言うからぁ、がんばっちゃったのだ〜!」
「いやっほーう!イカスぜダニエラ〜!」
「…」
席に着かされたミヒャエルは、相変わらず無言のまま。
そんな薄暗い彼のとなりに陣取ったベルントは、にこにこと人好きのする笑顔を惜しげもなく向けてくる。
「じゃんじゃん喰ってくれよ、ミヒャエル!ダニエラの料理、うまいんだぜ〜!」
「…なれなれしく『名前』を呼ぶなって言ってるだろう、レーマンたい…」
「あっ、ミヒャエル好き嫌いとかない?それ聞いとくの忘れちゃってたなあ。もしあっても我慢して食べろよ?」
「…」
…が、やはり、ミヒャエルの話はあまりよく聞いてくれていないようだ。
正直いらつくが、いくら言っても聞いてくれないということはこれでもう十分わかったので、ミヒャエルはせめてもの返礼に、全て無言で通すことにした。
ほかほかと湯気を立てている料理は、確かにどれもこれもおいしそうではあった…
ベルントが言っていたように、ダニエラは相当料理上手らしい。
少し皿に取り分けてもらった料理を、無表情のまま口に運ぶミヒャエル。
…かすかに、彼の表情が動いた。
どうやら、彼女の料理の腕は、単にその見た目だけではなく…それに違いない実力があるようだ。
「…」
「どお?うまいだろ?」
「…」
「何とか言えよ〜、ミヒャエル!」
「…」
ベルントの言葉に、一切無視を決め込むミヒャエル。
と、黙々と無言で食べ続けるミヒャエルに不安になったのか…ダニエラが、泣きそうな顔でつぶやいた。
「…わ、私の料理、…お、おいしくなかった…?!」
「!…い、いえ、そんなことは…おいしいですよ、とても」
貴族として、さすがに女性を泣かせることには抵抗があるのか…
慌てて、言葉を挟みそれを否定するミヒャエル。
…が、それを見ていたベルントが、今度は面白くない。
「…何だよ〜、ミヒャエル!相手が女だったら無視しないワケ〜?!スケベスケベ!」
「…」
「…い、いぢわる、ミヒャエルのいぢわる…」
「…」
皮肉めいた突っ込みは、再び無視された。
ミヒャエルは、こういうことには割と徹底する男だった。

「じゃあ、最後はデザートなの〜!ケーゼクーヘン(チーズケーキ)焼きましたぁ〜!」
「わーい!」
「…」
楽しい食事(?)もほどなく終わり、そろそろ締めの時間になる。
美味な料理を十分に堪能した(あと、このバカップルのアツアツぶりと底抜けの明るさにも)ミヒャエルの前に、ダニエラはその皿を置いた…
…が、その途端。
食卓は、しんと静まり返った。
「…」
「…」
「…え、えへへ…」
「…ダニエラちゃん、これ…」
「え、えへっ…ちょ、ちょっと、やっちゃいましたぁ」
「ちょ、ちょっと…?!」
そんなことを言って、かわいらしく笑ってみせるダニエラ…
しかし、いくらかわい子ぶってみたところで、その現実がごまかされるわけではない。
そのケーゼクーヘン(チーズケーキ)は…黒かった。
ひどいところでは、消し炭のごとき色にまで変色してしまっている。
疑惑と困惑の視線が注がれるそのケーゼクーヘンを、ダニエラは一切れとってひょいと皿に乗せ…それを、ミヒャエルの前に差し出した。
「は、はい!ドラクゥラさん!」
「えっミヒャエルに喰わすのそれ?!」
「い、いや、だって…お、おいしいかもしんないじゃん、見た目が悪いだけで!」
「…」
目の前に置かれた、ケーゼクーヘン…真っ白い皿と驚くほど鮮やかなコントラストを為す、その黒いカタマリ。
ごくり、と息を呑む。
それは、明らかに生命に危険がありそうな物体だった。
「み、ミヒャエル…無理すんな?」
「いや…」
「きゃあ、やっさし〜い!ベルントとは大違い〜!」
「…」
が…さすがに、招待された手前、手をつけないわけにはいくまい(その上、招待主の手作りとあらば)。
フォークを手にし、そのかけらをすくいとり…思い切って、口の中に放り込む。
…そして、瞬時に、彼は地獄を見た。
「…〜〜ッッ?!」
「!」
「や、やっぱりなあ…だ、だいじょぶ、ミヒャエル?!」
「…」
あまりに強烈で個性的過ぎるその味に、さすがのミヒャエルも無表情を通せなくなった。
何とか必死で噛みくだそうとするが、そのたびに炸裂する苦味のすさまじさに、舌が悲鳴をあげる。
息をついた途端、反射的に「不味い」という言葉が口から出そうになった。
だが…その瞬間。
誰かの言葉が、彼の中でよみがえった―




『い、いいじゃない、ちょっとくらい失敗したって…』
脳裏で響き渡る、鈴のような声。
その声は、怒ったように、悔しそうに…自分に向かって、半ば八つ当たるかのように、こう言ってきた…
『お、女の子が作ったもんなんだから、にっこり笑って<おいしいよ>っていってくれたっていいじゃないのよッ!』




(…そうだ)
ミヒャエルの頭に、電撃が走った。
(にっこり笑って、「おいしいよ」って言ってやらなきゃいけないんだ…
あいつは、俺にそう言っていたじゃないか!)




「ごごご、ごめんなさい、ドラクゥラさん…ぐ、ぐすん」
「い、…いや、お…」
全部飲み込んでしまうと、強烈な味覚のショックは、徐々に薄れて消えてきた。
この分なら、無理やり微笑くらいは浮かべて見せることが出来るだろう―
彼は一息つくと、顔中の筋肉を叱咤し、何とか笑みに見えるように形作ってみせようとした。
「おいし…ッ、…」
…だが。
その言葉は、途中でひずみ、断ち切れた。

「…?!」
「み、ミヒャエル?!」
ベルントとダニエラの瞳が、驚きで見開かれた。
「え…ッ、あ…ああ、あ…?!」
それどころか、ミヒャエル自身すら、そのことに戸惑い、驚いている―
ミヒャエルは、泣いていた。
その両の瞳から、とめどなくこぼれおちる涙。
止めようと必死に意志の力を働かせようとしても、その不可解な涙は止まらない…
息が、苦しい。涙にむせぶからだ。
弁解やいいわけの言葉を口にしようとしても、その全ては声になる前に荒い呼吸にはばまれ、無意味な音になるだけだ。
頬をつたう透明な涙は、止まらない。
「お、おい、どうしたんだよ、なあ…?!」
「…〜〜ッッ!!」
それどころか、荒れ狂う感情の波はどんどんその激しさを増していく。
困惑するベルントの問いかけにも、もはやまともに答えられない。
がくがくと身体が震える。
手を口に当てて無理やり嗚咽を押し殺そうとしても、それはむしろ内に高ぶるそのわけのわからない感情を高ぶらせるばかりだ…
…そして、とうとう。耐えられなくなる寸前まで来た。
木の椅子が、がたん、と硬い音を立てた。
ミヒャエルは唐突に立ち上がった。
口を押さえたまま、涙を流し続けるまま。
「み、ミヒャ…」
「…すまない、俺…」
「!」
この場の雰囲気を台無しにしてしまった詫びの言葉くらいは、口にしようとした。
が…たったそれだけ、たったそれだけ言葉にするのが、精一杯だった。
歯止めがなんとかきくうちに、彼はその場を離れようとした―
「お、おい!ちょっと待てよ!」
すぐさまにドアを開け、暗い夜の町に飛び出していくミヒャエル。
ベルントは、慌ててその後を追う…
不安げな、哀しそうな顔をして彼を見つめるダニエラに、「大丈夫だから」というような顔をして見せてから…
…外は、闇。
すっかり日も暮れた通りを、足早に去っていこうとするミヒャエルの背中が見える。
彼の後を、懸命に早足でついていくベルント…ミヒャエルは、それでも歩く速度を遅めようとはしない。
「み、ミヒャエル!」
「…」
「…ご、ごめんな、ミヒャエル!」
「…」
彼は、立ち止まらない。ベルントの謝る言葉にも。
しかし、次に彼がこういった時…彼の表情に、かすかな動きが生まれた。
「ごめんな、あ、あの…あいつ、いつもはもっとうまいんだよ、ケーゼクーヘン焼くの!き、今日はたまたまってえか…」
「…違う、そうじゃない」
足が、止まった。
ミヒャエルは、うつむいたまま…短く、低い声でそうつぶやいた。
「!…ミヒャエル」
「あ、あの人が悪いんじゃない…そうじゃない、ただ…」
「…ただ」
「…お、思い、出した、だけだ、…ッ」
「…?!」
ミヒャエルの表情が、また動いた。
今度は、よりはっきりと。
それは、明らかな哀しみ…
街頭の光に照らされた彼の顔。頬に残る、涙の跡が痛々しい…
「…写真、返してくれないか」
「!…あ、ああ」
ぼそり、とつぶやかれた言葉に、はっとなるベルント。
わたわたと服中のポケットを探った挙句、ようやくそれを取り出した―
ミヒャエル・ブロッケン大尉の、大切な写真。
それを手渡されたミヒャエルは、澱んだ瞳でそれを見つめている…
そして、無言。
二人の男は、暗い通りで、立ち尽くしたままでいる。
「…」
「…」
「…」
「…あ、あの、ミヒャ…」
「…こいつも…」
その沈黙に耐えかね、ベルントが口を開きかけた、その時。
…ミヒャエルの唇が、動いた。
「こいつも、好きだったんだ…ケーゼクーヘン、焼くの」
「!」
写真を見つめたまま、ぽつぽつ、と語り始めたミヒャエル。
涙で濡れた瞳に写るのは、最愛の女(ひと)…
その女(ひと)のことを、彼は語る。今まで、誰にも語ることの無かった話を。
「俺の、幼馴染の女…でも、ダニエラみたいに料理はうまくなかった…むしろ、下手だった。
いつも、練習しては失敗した奴を、俺が喰わされる。…まずかった、本当に」
「…」
「本当に、まずくて、ッ、…な、泣きそうな、くらいに…!」
「…」
唐突なミヒャエルの告白を、ベルントは無言で聞いていた。
しかし、ミヒャエル自身にも、まったくわけがわからないのだ。
何故、今になって。
何故、今になって、あの時以来誰にも話したことの無かったようなことを…よりにもよって、こんな奴の前で口にしているのか?
わからない。まったくわからない。
だが、彼の唇は、次々とそれを言葉に変えていく…
まるで、今まで押し込めてこられた分の勢いを取り戻すかのように。
「ミヒャエル、…その女(ひと)は…?」
「…死んだ」
「!」
「俺がくだらない軍務で、北部に飛ばされてる間に…じ、事故に、あって…!」
「…」
「結婚しようと『約束』して!帰ったら、いっしょに暮らそうと『約束』して!…それなのに、あいつは!」
どんどんと高ぶる、ミヒャエルの声。
その表情には、怒りと苦しみ、やるせなさがにじみ出る…
「あいつは、俺を置き去りにして…ッ!」
「…」
そう言ったきり、ミヒャエルの言葉は歪んで切れた。
興奮のあまりか、ぜえぜえ、ひゅうひゅう、という音を立てて、必死に息をする。
何とかそれを押さえつけ、落ち着こうとするミヒャエルを…ベルントは、何も言わないまま、見ていた。
独白が、中途半端なところで終わった。
「…」
「…」
風の吹く音すら、はっきりと聞き取れるほど…その場が、静寂で包まれた。
ようやく呼吸を整えることが出来たのか、ミヒャエルは…うつむいたまま、静かに口を閉ざしたままでいる。
「…な、なあ、ミヒャエル…」
「…なければ、よかった」
「え…?!」
「来なければ、よかった…」
「!」
二回目のセリフは、はっきりとベルントにも聞き取れた。
ミヒャエルは、うつむいたまま…後悔の言葉を吐き出す。
握りしめられた両拳が震えている…
「…畜生、そのせいで…お、思い出して、しまった…!」
「…!」
「思い出さないように、今まで、必死で…必死で、忘れようとしてたのに!」
「ミヒャエル…」
「く、苦しくなるから、つらくなる、から、ッ、お、思い出さないように、してたのに…ッ!」
「…」
哀しい、哀しすぎるその言葉に、ベルントのこころが揺さぶられた―
いとしい女(ひと)を失くし、その悲劇から立ち直れないまま、孤独のままで生きる…
それは、今まで誰も知らなかった「ドラキュラ伯爵」の素顔だった。
彼は、今の今まで、己のうちに…彼女への想いを必死で押し込めてきたのだろう。
無感情の冷酷さの下に、無表情の仮面の下に。
思い出せば、また苦しんでしまうから…
だから、彼女の記憶を封じたままで。
それが、最愛の女(ひと)を失くして、それでも生きなければいけないミヒャエル・ブロッケン大尉に出来る、ただ唯一のことだったのだろう…
…だが。
「…ミヒャエル」
だが、それは…ベルントの気に喰わなかった。
だから、彼は…ストレートに、そのことを口に出した。
「それは、間違ってる」
「…?!」
「その女(ひと)が、お前を愛してた、ってんなら。お前が、本当に…その女(ひと)を愛してた、ってんなら。それは、間違ってる」
「…何が言いたい」
自分を否定してきた、ベルントのセリフ。
うろ暗い視線が、彼に向く。ぞっとするような、底冷えした瞳…
それでも、ベルントは黙らない。
彼は、はっきりと言い放った―
「その女(ひと)は、そんなこと望んでないに決まってる!」
「…」
「好きな男に忘れられて喜ぶ女が何処にいるよ?!
…むしろ、自分がいなくなったことを哀しんでくれる、時々思い出して泣いてくれる、
それほどまでに思ってくれるほうが、うれしいに決まってんだろうが!」
「…」
ベルントは、こみ上げてきた思いを…つたないながら、自分の言葉で何とか懸命にミヒャエルに伝えようとする。
しかし…ミヒャエルの瞳は、暗いまま。
その暗さは、今だ解放されぬ闇を抱きこんだまま…
ベルントは、口をつぐむ。その暗い瞳に、気おされて。
だが―
それでも、ベルントは…言葉を継ぐことを、やめなかった。




闇を貫き、ベルントの言葉が…ミヒャエルの耳に、飛び込んできた。




「…泣きたいなら、泣きゃあいいじゃんかよ…!」




その言葉はミヒャエルの鼓膜を揺らし、脳を揺らし…そして、ミヒャエルのこころを揺らした。




「…!」
「泣きゃあいいじゃんかよ、ミヒャエル…!」
ベルントは、もう一度繰り返した。
ミヒャエルから、視線をそらさないままで。
「泣いてやりゃあいいじゃんかよ、その女(ひと)のために、」
そこで一旦、言葉を切る。
そして…ミヒャエルの瞳をまっすぐ見つめ、ベルント・レーマン大尉は、こう言ったのだ…!




「…お前自身のために、さあ…!」
「…!!」




とくん、と、心臓が鳴った。
長い長いため息が、知らず知らずのうちにもれた。
(…ああ)
その時、ミヒャエルは…ミヒャエル・ブロッケン大尉は、ようやく気がつくことが出来た。
(俺は、泣きたかったんだ…今まで、ずっと泣きたかったんだ!)
今まで、自分の中に封印してきたモノ、それが何であったのかを。
(ラウラを失くしたこと、俺のラウラが死んでしまったこと…俺は、ずっと泣きたかったんだ!)
あのケーゼクーヘンを口にした時、堰が切れたように吹き出した、涙の理由を。
(ラウラ、俺は…ずっとずっと、泣きたかったんだ!
お前がいないことがつらくて、さびしくて、苦しくて―俺は、ずっと泣きたかったんだ…!)




そして…
ミヒャエルの瞳から、再び涙がこぼれ落ちる。
ミヒャエル・ブロッケン大尉は、泣いていた。
悪鬼のごとく恐れられた冷酷な将校、「ドラキュラ伯爵」が、泣いていた…




暗い通り。人通りの無い闇の中、男のすすり泣く声だけが響いている。
が、そのうちに、そのすすり泣きの声が、一つではなく…二つになった。
ふとミヒャエルが顔を上げると、そこには…ベルント・レーマン大尉の姿。
と…彼を見たミヒャエルの瞳が、軽い驚きで見開かれる。
何と、いつの間にか…彼自身も、泣いているではないか?!
その顔をぐしゃぐしゃにして、ぼたぼたと大粒の涙をこぼしては袖で何度も何度もぬぐっている。
「…っぐうっ、うううっ、ううっく…!」
「…っくく、っ」
年端のいかないガキみたいなベルントの泣き顔に、思わず…苦笑が吹きこぼれた。
「…何でお前が泣くんだよ、レーマン大尉…?」
「わ…わかんねぇ、でもさあ…!お、俺、哀しくなってきちまって、その…ひっく」
そんなことを言いながら、自分でもよくわからないといったような顔をして、しゃくりあげている。
思いっきり鼻水をすすりあげるその様があまりに子どもっぽかったので、とうとう…ミヒャエルは、こみ上げてきた笑いを抑えられなくなってしまった。
「ふふ、あっははは…!」
「…!」
「馬鹿みたいだ、お前…本当、アホだな!」
「あ、アホ言うなよ、ミヒャエル!」
「っふふ、はは…あはははははは!」
「へ、へへ…あはは、あはははは…!」
ミヒャエルは、笑った。だから、ベルントも笑った。
ひとしきり、二人は笑った。泣き顔で、笑いあった。
そして、その笑いも収まった時…また、二人のあいだに静かな空白が生まれる。
「…ありがとう」
「ん…?何か言った、ミヒャエル?」
「いや、…何も」
「…そっか」
その空白を割って、かすかに聞こえた、その言葉。
問い返したベルントに、ミヒャエルは首を振って答えた。
だが…その顔には、軽い照れ笑い。とても穏やかな微笑。
黒い瞳が、澄んで―笑っている。
それは、まるであの写真の中、いとしい女性と写っていた、あの頃の彼のように…
ベルントも、ただ、微笑みかえした。あえて、それ以上問い返さずに。
と…にかっ、と笑ったベルントは、あえて明るい大声を出す。
「…いっよおおおおおおし!それじゃあ、ダニエラんち戻って飲みなおしだ!今夜は帰さねーぜ、ミヒャエル〜!」
「イヤだ。俺はかえ…」
「タルいこと言ってんじゃねえよ!さ、思いっきり飲み明かそうぜ〜!」
ミヒャエルのすげない断りのセリフも聞いていないのか、けらけらと笑いながらミヒャエルと肩を組むベルント。
だが、ミヒャエルは決して悪い気分ではないらしい…その証拠に。
「はは…馬ー鹿!」
彼は、肩にまわされたベルントの腕も振り払おうとはしなかったし、半ば無理やりの誘いも、もう拒みはしなかった。




「ドォラクーーーーーーーーーーーーーーラアァアアアアアァアアッ!!」
『?!』
「…」
それから、数日後。
軍のオフィス…その廊下中にぐわんぐわんと響き渡るような大声に、その場にいる誰もが振り向いた。
…いや…たった一人だけ、振り向かないままだ。あえて、気づかないふりをしている。
だが、その声の主は…そんな彼に一直線に向かってきた。
「おい、ドラクゥラ!どーせ今からメシなんだろ?!一緒に喰おうぜ!」
「…」
「ドラクゥラ!おい、聞こえてんだろ?!何で無視すんだ?!」
「…」
いくら無視されてもめげない、ベルントは歩みを止めないミヒャエルの後ろにぴったりつけ、何度も何度もその名を呼ぶ。
あの「ドラキュラ伯爵」に向かって、何たる無謀な行為…
しかも、そのあだ名で彼を呼ぶとは!
あまりのことに、むしろ見て見ぬふりをしている周りのほうがはらはらしてしまう。
「ドラちゃん!ドラクゥラ!…なー、ドラってば!」
「…おい、ベルント」
と…ようやく、その歩みが止まった。
「!…何だ、やっぱり聞こえてんじゃん」
ミヒャエルの返事に、にかあっ、と笑うベルント…
その太陽のようなまぶしい笑みに、ミヒャエルはかすかな微笑を返した。
「お前、その…『ドラクゥラ』っての…やめてくれないか」
「何で?いいじゃん。それよりさあ、メシ喰おうぜメシ!」
「…」
「さーさ、善は急げ!混まないうちに行って、早いとこメシにありつこうぜ!」
「…はあ…」
強引に肩を組み、げらげら笑いながら自分を食堂に連れて行こうとするベルント…
そんな彼に苦笑しながら、ため息をつきながら…だが、ミヒャエルは抵抗はしなかった。
ベルントに為されるがまま、ひきずられていくミヒャエル…
廊下中の人間が、目を丸くしてその光景を見送った。
そして…その二人の姿が消えた途端、ざわめきが一挙に生まれだす。
「…お、おい、今の…」
「あ、ああ…信じられん」
「あ、あの、ブロッケン大尉が…『ドラキュラ伯爵』が、」
「職務以外で、誰かと普通に話をするなんて…?!」
とんでもないモノを見た、という驚きで、その声はどれもこれもが高ぶっている。
そう、彼らにはとても信じられないことだろう…
しかし、それは真実なのだ。
ベルントは―ベルント・レーマン大尉は…
残虐非道、悪辣非情、冷酷無比な鬼将校、ミヒャエル・ブロッケン大尉…あの、「ドラキュラ伯爵」の親友となったのだ―