Now you are in the Website Frau Yudouhu's "Gag and I."
TOPゆどうふ企画室>五千円以内で幸せになる方法 その8


五千円以内で幸せになる方法


8、筆記具と、ダンス。

『シャープペンのこと  三年三組 ゆどうふ
 このあいだ、私は青くてきれいなシャープペンをかいました。
500円もしたので、大事につかおうと思いました。
 そうしたら先生が「学校へもってきたらあかんで」といいました。
「どうしてあかんの」ときくと、先生は
「子どものうちはえんぴつをつかったほうがええのよ」といいました。
 仕方がないので家でつかうことにしました。
えんぴつと違って、しんが終わっても先っちょをかちかちすれば
しんが出てくるのですごいと思います。
つかっているとすごくなんだか自分が頭がよくなったきがします。
宿題もこれでやると楽しいです。
でも、漢字のかきとりノートをやると、
いっぺんにしんがへってしまうので
いやだなあと思いました。…』
この辺で引用を終わるが、
実を言うとこれは引っ越しした時に出土した、
私の小学校三年時の作文である。
もはやイスカンダルより遠いところへ消えてしまった思い出ではあるが、
自分の目から見ても、
そのころの自分のシャープペンを手に入れての
狂喜乱舞ぶりが感じられる。
もともと筆圧が強いのに加え、いつも以上に力を加えて書いたらしく、
原稿用紙の裏にまでくっきりと書き跡が残っている。
きっとそのシャープペンで書いたんだろう。

 人が文字をつかって、立ち消えていくはかなげな言葉を
とどめておくということを覚えてから、
筆記具は人にとって最も良き友の一人になった。
くるくると動くペンの動くにあわせ、
我々の思考は飛翔し、墜落し、
急旋回、リフトオフ、自動操縦モードなどを経て
別の世界を形作る。
心は腐らずに残り、嘘も厳格に証明され、
そしてあまりによくできたそれは、
ほかの人をもその世界に引きずり込む力を得た。
これすなわち文学である。
 それだけではない。
今までは張り上げれば一時は響くが、続かない「声」の思想も
踊るペンにより半ば不滅となり、
石版に刻まれ、竹簡に記され、紙に残り、電子に乗り、
より遠くへと響き渡る鐘となった。
 最近は「インターネット」「電子メール」そして「紙がいらなくなる?!」と
やれほれそおれ★と大変にかまびすしいが、
それでも筆記具たちのダンスはとまらない。
私とシャープペンがかつて踊ったダンスはずっと残りつづけ、
きっとそれを読む未来の私、
そしてほかの誰かに伝えるのだろう。
 それは感想文のワルツ。日記のマーチ。創作小説のパソドプレ。
手紙のチャチャチャ。テスト解答用紙の剣舞。落書きの阿波踊り―。
少し黄変した昔のノートには、そんなダンスの足跡が今も残っている。
へたくそな字や絵の行間から、
幼いころの喜怒哀楽、気取り、嘘、悲劇、忘却、
そして時々欠けおち、変質しながら
それでも確かに「私のもの」である思い出が浮かぶ。

 しかし、そのダンスのパートナー、
そう、あれほどまでに喜び手にしていたあのシャープペン。
あれを、わたしはどこにやってしまったのか?
もはや取り戻すことはできないくらい、
遠いところに置き去りにしまったのだろうか?
おぼろげではあるが、
それはなんだか常に「突然の別れ」であったような気がする。
私たちはあまりにも簡単に彼らを失い、手に入れているのだろう。
その一時は何らかの喪失感を感じた。
しかしすぐ忘れて文具屋にいき、
新しい二号さんを物色し始める。
新しいアバンチュールを、新しいダンスのパートナーを求めて…
私は、自分の不誠実さを少し恥じた。
私は、もっと彼らを強く強く愛するべきであったのだ。
「御免よフランソワ―ズ(仮名)、由美子(仮名)、タチアナ(仮名)…
以下省略、僕は君たちをただの筆記具だと思ってぞんざいに扱ってしまった。
でもそれは間違いだったんだ。
僕自身の思い出のダンス、
文字というダンスをつむいだキミたちを
もっと愛するべきだったんだ」
そうして私はフランソワ―ズ(仮名)だと思うそれとの思い出、
あのシャープペンの感想文を近所の公園に埋めた。

もはやめぐりあえない筆記具への追憶の墓標として。