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所詮、抱きつくための毛布にしか過ぎない(2)


「…ん?」
ベッドに寝転んで本を読んでいた男は、思わず、がばっ、と、身を起こした。
…気のせいだろうか、今…何か、玄関の方から音がした…ような、気がする。
少し長めの緑髪をかきなぜ、ふん、と息をつく。
彼の名は、ラグナ・グラウシード…
久遠ヶ原学園の十期生、神聖騎士ディバインナイトの青年だ。
この彼一人だけの城で…といっても、一人暮らしにはやや広めくらいのアパートなのだが…暇な時間をゆったりと過ごしていた、そんな午後7時。
好きなノンフィクションの文庫本を読みふけっていたその彼の耳に、何か…聞こえた、ような気がしたのだ。
「…。」
しいん、と、静寂。
しばしの、空白。
…すると。
…こん…………こん、…こん。
「?」
それは、かすか過ぎて聞き取るのにも少し苦労したが…確かに、ノックのようだった。
だが、何か妙だ。
玄関にはドアチャイムがついているのだからそれを鳴らせばいい、どうして金属製のドアをわざわざノックするのだ?
子どものいたずらか何かだろうか…?
「何だ…?」
とりあえず様子を見よう、と。
ラグナはベッドから降り、はだけたパジャマを直しもせず、ドアの方にのしのし歩いていく。
「…どなたです?」
そうして、がちゃり、と鍵を跳ね上げ扉を無造作に開く…
が。
その赤い瞳が、瞬時に硬直した。


「…貴様」


名前すら呼ばずに。
爬虫類を思わせる紅に、一挙に憎悪と憤怒が混ざりこんでいく。
それもそのはず、だ。
ドアの前に立っていたのは、細身の少女。
ブレザーとスカート、学生服に身を包んだその姿を見れば、すぐにああこの子は高校生か、とわかる。
茶色の少しウェーブがかかったショートヘアに、黒い大きめの瞳。
街を歩けば、勇気のある者が粉をかけようとするくらいには整った容姿。
…だが、この少女こそが、ラグナの何よりも憎悪する悪夢の体現。


「エルレーン…貴様、何をしに来た?!」


そうして、今度は呪いを込めて、その名を呼ぶ…
エルレーン。
それが、この少女の名前だ。


ラグナと彼女は、かつて同じ時を生きていた。
ラグナが師事してともに天魔と戦う旅をしていた、強く美しく気高い女戦士…
サーバントに破壊されたとある街で、彼女が見つけた生き残り。
それが、エルレーンだった。
ショックのせいか多少の精神退行を帯び、自分の「名前」すら言えなかったその少女に、女師匠が与えたのが…「エルレーン」という、「名前」。
それから、女師匠はラグナとエルレーンを連れて、二人に戦う術を教えながら、戦いを続けてきた。
だが、ラグナが一人別れ、武者修行に出ていた間。
その短い間に…女師匠は身罷った。
彼女の死そのものもラグナをひどく動揺させたが…彼をとてつもなく激昂させたのは、何よりもその原因。
女師匠は、エルレーンを天魔からかばって死んだのだ。
逆に言えば、それは、つまり。
エルレーンさえいなければ、彼の女師匠は死ななかったのだ!
だから、その時から。
ラグナにとって、エルレーンは妹弟子ではなく…殺すべき対象、師匠の仇となった。
にもかかわらず、ラグナの殺意を知ってなお、エルレーンはしつこくも彼にまとわりつく。
時には甘え、時には攻撃、時にはいやがらせ…
その度に翻弄され、辛酸をなめさせられ続けてきたのだった。


だから、今回も。
唐突に自分の前に姿を現したエルレーンに敵意を一挙に燃やしたのは、彼にとって当然のことだった。


…けれども。
真っ黒い目をした、目の前の女は、
いつもの、自分を遊びでからかうような、そんな様子では…
なかった。


貴様、何をしに来た、と再度彼が詰問しようとした…その刹那だった。
「…〜〜〜ッッ!!」
少女の顔が、苦痛に歪んだ。
「うわッ?!」
どんっ、と、一瞬息が止まってしまうような勢いで、自分に飛び掛かってくる。
少女の何処か甘い香りが、鼻腔をくすぐった。
狭い玄関で虚を突かれたラグナはとっさに避けることもできず、よろ、よろ、と、そのまま後ずさる。
エルレーンは全力で抱きついてくる、まるで彼の身体にのめりこんでいきそうなほどの力で。
ぎいいい、ばたん、と、玄関の扉が重苦しい音を立てて閉まる頃には、すでに廊下の中央付近まで押されていた。
「お、おい!何を…」
いきなり絡まりつかれ、さすがにしばらく二の句が継げないでいたラグナだが…何とか、抗議の言葉を叩き付けようとして、
「…ッ」
そして、黙る。
エルレーンの、瞳を見て。
だから、やっとラグナは、彼女がどうしてここに来たのか、それを察することができた。

どす黒い、何も見ていない瞳。
こんな目をするエルレーンに見覚えはあった。
まだ二人が久遠ヶ原学園に来る前。女師匠とともに暮らしていた頃。
それは天魔の襲撃自体か、もしくはもっと他に原因があったのか…
少女の精神退行を起こした、おそらくは強烈に残酷な出来事。
エルレーン自体はほとんど記憶を失ってはいたが、そのショックだけは脳の奥深くまで根を張っていたらしい。
…夜中、時折。
まるで発作のように、エルレーンが狂乱することがあった。
悲鳴…いや、もう声ですらない、己自身を切り裂くような音で叫び。
ちょうど今のように、爪で激しく自分の頬をばりばりと引き裂いて。
涙と血でその顔を汚し暴れるエルレーン。
それを必死に抱きとめ、なだめていたのは…

その時と全く同じように狂気に陥り、自分にすがってくるエルレーン。
だが、くっつかれた接触面から伝わってくる彼女の体温のあたたかさにもかかわらず、ラグナの心底は冷えて澄んでいくばかり。
「…。」
そうだ。自分は、ただの代理にされているだけだ。
わかっている。こいつは結局は、自分勝手な馬鹿女に過ぎない。
…けれども。
「…わたしぃ、わたし、ッ、…まもれなかったのぉ」
自分の身を必死に青年にすりつけ、彼の庇護を求めるかのように。
少女の唇から漏れるのは、脈絡のない言い訳、もしくは弁明、いいやきっとただの泣き言だろう。
「わたしだって、いっしょうけんめいやったんだよぉ!
あのひとだってわるいんだよお、だって、だって、こどもをすてたのはじぶんのくせにッ!」
「おい、エル…?!」
「ああああああああ、うわああああああ」
かはっ、はっ、と、異様なリズムの息を刻む、興奮が行き過ぎて過呼吸気味になっているのか。
異常そのもののヒステリックさを見せるエルレーンに、抱きつかれたまま見上げられたままのラグナもどうしていいかわからない。
「…ああー、っ。ふううッ!」
が、自分の中で荒れ狂う感情を抑えきれないのか、なおも彼女は錯乱する。
ラグナを束縛していた両腕をときはなったと思ったら、ぶるぶる震えるその手で…
そのとがった爪で、自分の両頬をかきむしる。
「?!…ま、待てッ!」
あまりにそれが鋭いものだから、容易く彼女の白い肌は裂ける。切れる。血液がこぼれ出す。
それでも飽き足らないのか、うめき声をあげながら今度は首筋をばりばりとひっかき続ける…
「や、やめろッ!」
「…ッ!」
思わず、赤く汚れたその両手を、掴んでいた。
目の前で繰り広げられる凄惨で病的な自傷行為に、さすがに耐えられなかったラグナ。
何かショックなことがあったのは、様子から確からしいが…
「はっ、はっ、はっ、はっ、…はっ」
涙にむせびながらも、荒い呼吸を必死に抑えようとはしているらしきエルレーン。
見開かれた瞳は、真っ暗で。
ああ、おそらくは自分すらも見ていないだろう。
ラグナはそう確信していた。



「…。」
わかっている。
真っ黒に塗りつぶされたこの女の目を見れば、こいつは結局自分すら見ていないことを。
こいつは、虚空を、ないしは彼岸を見ている。
本当に求めている女ひとは、もう此岸にはいないから。
こうやって必死にすがりつくのも、しょせんは…絡まる何かがなければ、ぐずぐずと砕けていってしまうから、それだけだ。



本当は誰だっていいんだろう?
無様な。
「ラグナを守る」「ラグナのため」とか言いながらまとわりついてくる、鬱陶しい女。
誰だっていいんだろう、結局は、
自分がもたれかかれるモノなら、何でも。



「…。」
「あ、っ、」
びくっ、と、背中に這わされた指の感覚に、身体が跳ねる。
すっ、と、伸ばされた腕が、細い少女をすっぽりと包み込む。
寄る辺ない娘の身体を抱きしめ、ラグナは自分の身体の熱を、あたたかい肌の感覚を分け与えてやる。
その愛情の入り交じらない、機械的で冷淡な抱擁。
それでも少女は、安堵に頬をゆるめ、なおも身体をすり寄せてくる。
「…。」
舌打ちしたいほどの不快感が湧いてきたが、かろうじてそれは耐えた。
くったりと全身の力を抜き、全身全霊でラグナに絡みつくエルレーン。
「…らぐなぁ」
甘ったるい声で名前を呼ばれても、無視した。
そうして、しばらく、無音。
アパートの小さく区切られた空間は、奇妙に静かで。
その中に、立ち尽くしている。
一人の青年が。
中途半端な存在を、その腕の中に抱えて。